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SHIELD  作者: ミヤモト リオ
第一章 学園編
7/13

第六話 前 迷宮崩壊

 初感想頂きました。

 叢鎚雷禍さん、ありがとうございます。

 

 暗闇の中に、がちゃりがちゃりと音が響く。光の差さない迷宮に、灯る明かりは松明の火のみ。

 王都にほど近い迷宮《旋廻洞穴》で、全身を甲冑で鎧った一団は酷く異様だった。

 王都を守護するはずの騎士団である。

 仕事を放棄して何をしているのか、という疑問が湧くが、しかし彼らの行為がその職務から大きく逸脱しては居ない。

 何の為に迷宮に居るのかといえば――魔物の掃討である。旋廻洞穴が間も無く崩れ、魔物が王都に攻め入るという報告があった為、彼らは迷宮内の魔物を出来るだけ減らしておくという手に出たのだ。王都の迷宮観測研究所によれば、旋廻洞穴の崩壊まではまだ一週間程度の余裕がある。それまでにある程度は魔物が増えることは予想されるが、それでも今減らしておいて損はない。

 という、騎士団上層部の判断であった。 

 少々拡大解釈気味だが、それで国民の被害を減らせるならば全く問題のない判断である。


 迷宮に来ていたのは、騎士団長以下百名程。それが十人ずつ、十の分隊に分かれて行動していた。王都に残っているのはそれ以外のおよそ百二十人ほどだが、主力は殆どが迷宮へとやって来ていた。


 騎士団長は甲冑をがちゃがちゃと鳴らして歩きながら、密かに首を傾げていた。何故か魔物に落ち着きがない。今まで倒してきたどの魔物もどこか興奮してる様子であった。

 自分の分隊の者に疲労は見えないが、攻撃的になった魔物に僅かな傷を負わされた者も居る。そろそろ休憩するべきかもしれない、と彼は考えた。


 ――ところで、迷宮の《核》というのは、迷宮が崩壊すると魔力となって分散するのだが、その分散の仕方というのは意外と知られていない。それが起きることも少なければ、それを目にする者も、目にして生き残った者も少ないからだ。

 とはいえ、一国の王都の研究所の人間が知らない筈はない。実際、騎士団長は迷宮観測研究所の所員からこう言われていた。


「迷宮の中に居て気だるさを感じたら、直ぐにでも脱出してください。いいですね?」


 それを聞き流しつつも頷いておいた団長だが、彼は今感じているものを『気だるさ』とは別種のものである判断していた。暗闇の中を進むときに特有の酩酊感であると思い込んでいたのである。更に彼は、所員の言葉を他の団員に伝えることを怠っていた。


 要するにどういうことかと言えば――


 ゴゴゴゴゴ、と腹の底に響くような揺れ。団長は何事かと辺りを見渡――――


 閃光。衝撃。爆風。変換されていないのに、圧倒的な熱量を錯覚させるほどの魔力量。


 ――魔力爆発である。


 人間の身体というものは、魔力に対する抵抗が他の種族に比べて極端に弱い。その為、外部からの多量の魔力の強引な供給は非常に危険だ。

 更に、今回の旋廻洞穴の魔力爆発は――何故か、非常に大規模であった。

 爆風に乗った魔力が、迷宮の中に居る全ての騎士を直撃した。

 人間の身体に収まりきるはずもない超多量の魔力。それが、騎士達の『門』を容易に焼ききり、その身体を爆発、四散させる。当然、痛みなど感じる暇もなく絶命する。

 臓物が、脳漿が、砕け散った骨が、迷宮の壁に飛び散った。


 次いで始まるのが物理的な崩壊――というか、こちらもほぼ爆発だ。それが始まる前に、魔物達が供給された魔力によって大きく活性化し、次々に迷宮から出て行く。

 この活性化こそが、迷宮の崩壊が危険視される所以である。


 そして迷宮の外には、辛うじて魔力爆発の難を逃れた見張りの騎士が居た。


「嘘――だろッ!? 団長達は!?」


 大きく独り言を言って、彼は馬に慌てて跨った。

 その後方で、迷宮を出て直ぐに瑞々しい『餌』を見つけた魔物達は、盛大な雄叫びを上げる。

 数えるのも馬鹿らしい程の物量で、矢が飛来する。ひゅんひゅんと鋭い風切り音を立てたそれらはしかし、騎士の鎧に弾かれて地に落ちる。彼は単独での見張り番に就いた際、騎士団から数少ない高級な鎧を貸し与えられていたのである。彼を乗せた馬も、二三掠っただけで難を逃れた。

 続く第二射――は、投げ槍も含まれていた。後ろを振り返って顔をひきつらせた騎士は、手綱を操って辛うじて槍を避け続ける。


「――うわっ!?」


 槍が、鎧の弱い部分である間接部を掠めた。次いで、踵にも当たる。(あぶみ)が外れた。

 姿勢を大きく崩した騎士は、それでも死んでたまるものかと必死に手綱にしがみつく。

 それを追う魔物達は、嬉しげな奇声を上げて第三射をつがえる。とはいえ、統率が取れている訳ではない。偶然タイミングが一致したというのが正しい解釈の仕方である。


「くそ……ッ! 嘘だろ、団長達が全滅したなんて。しかも時期が早すぎる!」


 苛立ち紛れに鞭で馬を叩く。

 悲鳴を上げて、馬は速度を上げた。

 切れかけた鐙に足を引っ掛け直して、騎士は馬に乗って駆ける。

 その背後に、魔物の大群を引き連れて。


 全身傷だらけになり、馬も失った彼が王都に到着したのは、それから二時間後のことであった。


「報告、します。……旋廻洞穴が、崩壊……しましたッ! 団長以下、迷宮内に居た騎士達は全滅! 間もなく――王都に、魔物の大群が到着します!」


 息も絶え絶えに伝え切って、彼は気絶した。その身体を抱き上げ、団長代理として置かれていた第一白兵部隊長は厳しくなった顔を引き締め、大声で指示を出す。


「この場に居る者は、各隊に通達せよ! 魔物が王都を襲撃! 門の前面に魔術隊を配備! 第一弓部隊、第二白兵部隊は後方! 王宮の警備には第二弓部隊、第一白兵部隊を送れ! 三の構えだ! そこのお前と、そっちのお前は鐘を鳴らしに行け!」


 詰め所の扉を蹴破って、彼は剣を腰に差した。


 ――そして、それからおよそ二分ほど後。


「全隊ィ……構えッ!!」


 号令。横に一列、並んだ魔術師達が言霊を周囲に浮かべる。

 彼らが見据えるのは、前方で土煙を上げる魔物の大群。


「《フレイム・ストラタス》――(てぇ)ッ!!」


 幾重にも重なる赤い光の筋が、発射された。それらは瞬く間に大群へ着弾――大規模な爆発を巻き起こす。轟、と爆風が届いた。数人が蹈鞴を踏む。

 しかし魔物は怯まない。積み重なる屍を踏み越え、或いはそれを盾にして、着実に進軍してくる。隊長の頬を一筋の汗が伝った。


「次射準備! 前列は後列と交代せよ!」


 本来ならば交代の時間すら惜しい。しかし彼らには十分な魔力量も、その消費を抑えるだけの技量も不足している。


「くそッ……」


 訓練されてはいるものの、明らかに鈍い動き。隊長は小さく毒づいた。

 ――おのれ、恨むぞ。

 人員も大幅に少なく、尚且つ装備が万全ではない状態での襲撃に、彼は酷く焦っていた。

 迷宮の崩壊は百年に一度程度。三十年ほどの間を開けて、様々な迷宮が崩壊するが――王都への襲撃があるのは実に二百年ぶりである。その空白は王都の守護を命とする騎士団を鈍らせる。彼らは、以前よりも明らかに弱くなっていた。

 その結果が、この目の前の大群である。既に飛んできた矢で数名が絶命し、数十名が重軽傷を負った。

 門を破られれば、王都に大きな被害が出る。冒険者達に襲撃を知らせる鐘はまだなのか、と彼は自分の後方にある大鐘にちらりと視線を向けた。


「足元を狙え! 行くぞ! 全隊構えェッ!!」


 かぶりを振って迷いを払い、眼前の敵に目を向ける。

 再度の号令で、再び言霊を周囲に浮かばせる。最早魔物は目の前だ。武装した白兵部隊ががちゃりがちゃりと音を立てて交代の準備を始める。これならば門の前でなんとかなりそうだ。


「撃――なッ!?」


 号令を言い切る、その直前に。隊長は前方にありえない一団を見た。


「魔物が……もう一群……!?」


 明らかに数がおかしい。元より一、二千は居たが、それが倍近くまで増加した。

 ――この時の彼に知る由もないが、これは旋廻洞穴以外の迷宮の魔物が、余りに巨大な魔力を嗅ぎ付けて迷宮から出てきたという理由によるものであった。魔力爆発が大規模であったことが、ここまで巨大な影響を与えるのである。後にこれを知った迷宮観測研究所は『大気魔力測定器』という装置の開発に心血を注ぐことになるが、それはまた、別の話。


 そうして、魔物の数が膨れ上がる。圧倒的な敵の数に、隊長は唇を噛み締める。

 ――この門は突破される。

 彼は再び発射の号令をかけた。


 前列の、凡そ五十程度の魔物が絶命。しかしやはり、怯む気配はない。雄叫びを上げ、足を踏み鳴らし、武器を打ち鳴らして攻め込んでくる魔物達に、寧ろ騎士団の方が怯む有様である。


「怯むな! 負傷者は後方へ下がって治療しろ! 弓矢隊、準備! 白兵隊は全員弓矢隊、魔術隊のすぐ後ろに控えて待機しろ!」


 隊長は自身の腰に下げた剣を抜いた。鐘はもうすぐ鳴る。少しでも多くの魔物に引導を渡してから果ててやると覚悟して、控えさせていた馬に跨る。


「弓矢隊、魔術隊――撃ェッ!!」


 発射、着弾。そして直後、遂に両軍は接触する。

 彼は吼えた。


「ぅおおおおおおおおおおおおおお!!」


 

 ◆◇――――◇◆



 ぅおおおおおおおおおおおおおお!! と、怒号のような歓声が上がった。


「よぉしお前ら、土産だぁッ!」


 外出から戻った生徒――ゼマが持ってきていた巨大な紙袋の中身をぶちまける。

 大量の菓子類、ジュース、更に娯楽品の類であった。


 通常、学園の敷地から出るには教師の許可を貰う必要がある為、出た生徒は多量の土産を買い込んで来るのが恒例なのである。この度も例に漏れず、ゼマの土産で彼らは小さな宴会を開くことにしていた。


「…………なんでこんなのに参加してるんだろう」

「まあ、そう言うな」


 嘆いたシルトに、たまにはこういうのもいいだろと言って、アルバは『芋汁』の瓶に手を伸ばす。


「……まあ、そうだね」

「ああ」


 友達と馬鹿騒ぎをするのも悪くない。シルトは諦め気味に笑って、自分の手元の瓶を掲げた。


「そうだ。今日ロディアは来ないのか?」

「ああ、何か先生に頼まれて外出するってさ。伝え忘れてたね、ごめん」

「大丈夫だ」

「おい、シルトにアルバ」


 ちびちびと瓶を傾けながら話す二人に、ゼマが声をかけた。些か盛り上がりに欠ける様子を見咎めたのか、或いは二人に用事があったのか、彼は懐からこっそりと小さな紙袋を取り出す。

 どうやら、後者だったらしい。


「これ、お前らだけに持ってきたんだけど」

「…………僕達だけ?」


 シルトは反射的に警戒した。

 ゼマはおちゃらけた雰囲気の癖に妙に律儀な変な生徒だが、基本的にどこぞの生存術教師のような愉快犯じみた真似はしない。しかし、シルトはこの学園に入ってからというもの、そういった『普段』を意識して油断した所為で何度も大変な目を見ている。そういうものは信用ならないし、何より『お前らだけ』というのは怪しすぎた。


「いやさ、シルトはこの間、課題を手伝えなかっただろ? そのお詫びついでに、ちょっとな」

「それは僕が勝手に頼んだんだから、気にしなくて良いのに……」

「いや……気にするなって言われてすぐにその通りになんて出来ないだろ? まあ、俺の気分が収まらないから、受け取ってくれよ」

「そこまで言うなら、ありがたくいただくけど……」

「で、アルバは……なんでか分かるよな?」

「ああ、この前の画集の件か」

「それそれ 本当ありがとな」


 画集とは即ちエロい画集である。アルバと、画集。全く縁のなさそうな言葉の組み合わせに、シルトは目を瞬かせた。あーあ、と呟いて、ゼマは諦めの溜息を吐く。


「この前、色々あってさ――――」


 話を簡単に纏めると、ゼマがとある事情で教師に部屋を捜索される羽目になったとき、一時的にアルバに画集を預けて難を逃れたらしい。何故よりにもよってアルバなのかと思ったが、ゼマが言う分には「意外性あるだろ?」とのこと。確かに意外性だけならと馬鹿みたいにあるな、とシルトは呆れて頬をかいた。


「まあ、そういうわけで。シルトには詫び、アルバにはお礼だ。喜ばれること間違いなしの一品を買ってきた」


 やけに自信満々なゼマに、これは一体どういうことなのかと訝しみつつも、二人は受け取った紙袋の中身を見た。

 同時に、警戒も疑問も吹っ飛んだ。

 歓喜の叫びをあげそうになって、シルトは慌てて息を呑んだ。


「これ……」


 林檎のパイである。しかし、ただのパイではない。王都の一流店「林栄堂」の一品だ。

 黄金色の蜜がからまったパイ生地は見るからにサクサクで、湯気に乗って香ばしいシナモンの香りが鼻をくすぐる。油が塗ってあるのか、僅かな光沢を見せるそれは、高級品だけが見せる風格を放っていた。


「……ゼマ、愛してる」

「……流石だ、ゼマ」

「はっはっは。……高かった上にとんでもなく並ばされたんだからな。俺たちだけの秘密だ」

「勿論」

「当然だ」


 二つ返事で請合う。三人は騒ぐ学生たちを一瞥してから、集られてはかなわないと彼らに背を向ける。そして、いそいそとパイを紙袋から取り出し、盛大(かぶ)り付いた。

 まず、焼けたシナモンの香りが鼻腔を走り抜ける。サクッとした生地と、とろりととろける蜜が口内に充満した。度を過ぎない、繊細な甘さが絶妙だ。とどめはしゃりしゃりと音を鳴らす林檎。


 ――簡単に表現すれば。


「「「うまい!」」」


 息継ぐ暇もなくかっ食らう。高級品だから味わって……とか、そういったことを考えることもできぬほどであった。



 しかし、何事にも終わりは来る。

 生徒たちの馬鹿騒ぎも、頬が落ちるかと思うほどに美味なパイも。

 今回はそれが、少々特殊な形で終わりを告げたと――ただ、それだけの話。


 カラァン、カラァン、と鐘が鳴る。

 定時のものではない。時間も、音色も、何もかも違う。

 これは、敵襲の合図だ。


「《旋廻洞穴》かッ!?」


 誰かの叫びで、ちゃらんぽらんだった生徒たちの顔に鋭い緊張が走った。菓子や飲み物をほっぽり出して、装備を整えに部屋に向かう。三人も例に漏れず、僅か五分後には全員が学園の門の前に集合していた。そこで、シルトとアルバはロディアを探すが、彼女が外出中であることを思い出して揃って舌打ちした。白兵戦がからっきしな彼女は、敵に近づかれると危険だ。一応詠唱破棄の魔術を至近距離で浴びせるという攻撃手段がないこともないが、前衛職がいないとやはり少々不安である。


「Dランク迷宮《旋廻洞穴》が崩落したとの報告があった!」


 自身も武装した近接戦闘術の教師ラルドの言葉に、生徒達が大きくどよめいた。予想通りとはいえ、やはり『迷宮の崩壊』というのは大きな事件である。


「落ち着け! ――現在、魔物共が王都に攻め入ろうとしている。現在は門で抑えているらしいが、時間の問題だろう! パーティー同士連携を取って、都民を守れ! いいな!」


 生徒達はハイ! と揃った返事を上げ、各々があらかじめ決めてあった自身の持ち場へと向かう。

 シルトとアルバも、今回ばかりはロディアには自分で身を守ってもらおうと決め、担当である西の教会へと向かった。



 ◆◇――――◇◆



 時は少し遡る。

 ロディアは、王都のとある店にいた。

 『キレア魔術商店』という名前のそこは、寂れた店構えに陰気な店員というダブルパンチのお陰か、見事なまでに閑古鳥が鳴いている。しかし、この店は店員の態度にさえ目を瞑れば商品の質を鑑みての値段は非常に安い。その為、知る人ぞ知る名店として一部の人間の間で有名であった。かくいうロディアもそのクチである。


「えーっと……。これと、これと、それ。それから、あれもお願いします」

「……はい」


 彼女が何をしているのかと言えば――お使いである。ナザニアに『外出の許可を出してやるから私の欲しいものも買って来い』言われた上での正当な外出だ。何時かの掘れ薬――もとい惚れ薬の一件のこともあるし、そんな人物が教師をやっていていいのかと思わないでもないが、優秀なのは確かなので、学園側も首を切るに切れないでいる。彼女に関する噂には、王と知り合いであるというものまであった。


「全部で、60Gになります」

「はい、これでお願いします」


 一般的な食堂で昼食を取った際の値段がおよそ5Gであるから、これは結構高価な買い物であった。だが、魔術関係の品は値が張るから、それも仕方がない。因みに、このうち四割程度がナザニアのものであった。


「……ありがとうございました」


 塵ほどもありがたさを感じさせない声で、店員が言う。

 それを背後に、ぱんぱんに膨れた紙袋を抱えて、ロディアはゆっくりと歩いた。欲しかったものを買い込んだので、気分がよかったのだ。

 小さく鼻を奏でながら、平和な王都をてくてくと歩いていた、その最中に。


 カラァン、カラァンと有事を示す鐘が鳴った。


「――ッ!?」


 即座に、彼女は紙袋を簡易的な収納の魔術エアボックスにしまった。魔術の使用を補助する杖は持ってきていないが、問題はない。一度学園に戻るべきか、或いはこのまま自分の警備担当区域まで向かって、恐らくそこにいるであろうシルト達に合流するか。どうするべきか、数秒間の思案。

 ――装備を整えてる余裕は、ないか。

 担当の区域に足を向ける。しかし、ここからでは相当遠い。ロディアが今いるのは東の端で、担当は西端から四分の一ほどの場所だ。最短距離を走り抜けても、王都の四分の三を横断することになる。

 ここまでの情報を即座に分析して、この区域で担当者の手伝いをするのが得策であると方針を改める。


 そうと決まれば――と、左右を見渡す。既に一般人は緊急の避難所に身を潜め始めていた。

 彼女はとりあえず、門のある方角に向かって少しずつ進むことにした。


 そして、五分ほど歩いた頃だろうか。前方に少しずつ魔物が見え始めた。


「……来たわね」


 呟く。次いで、ある程度の数を一度に無力化できそうな――それでいて、魔術消費が少ない魔術である《アイスエイジ》の詠唱に入った。


「《水よ》《我が魔力を糧に》《凍り》《我に仇為す》――」


 魔力の温存のため、省略はしない。ロディアの身体の周りに浮かんだ水色の文字――言霊は、それが発動する瞬間を待ち望むように明滅する。

 てくてくと、先ほどと変わらない速度で進んだロディアの身体は、いつの間にか魔物たちの正面にたどり着いていた。


「――《あらゆる存在を》《葬り去れ》《アイスエイジ》!」


 地面に、両手を着く。

 言霊が一際強く輝いて、ロディアの身体へと吸い込まれ――魔術が発動。

 ガラスに皹が入るような甲高い音とともに、周囲一帯の魔物だけが、氷付けになった。

 そして、数秒の後にいっそう高い音を発して、それらは同時に砕け散る。

 これだけで、二十匹近い魔物が一度に絶命した。


「よし……次!」


 ふぅ、と吐息を漏らして、次の詠唱に入ろうとしたところで。

 彼女の目が、一人の少女を捕らえた。魔力を確認――人間である。

 年の頃、およそ十二、三程度だろうか。母親を探しているのか、きょろきょろと不安げに周囲を見渡している。

 その後方からは、当然、魔物が。薄い緑の肌をし、鰓と甲羅、頭に皿をつけた人型、《河童戦士(マーウォーリア)》であった。手には二股に分かれた槍を持っている。


「――マズいわね」


 ロディアと魔物のちょうど中間の位置に女の子がいる。ロディアは比較的規模の大きな魔術を使用したばかりで《門》が若干の硬直時間であり、今咄嗟に使える魔術は《アクアウェイブ》か《ウォーターボール》程度のもの。それでは少女も巻き込んでしまう。

 直接河童戦士を叩ける魔術を使えるようになるまで待っているほど猶予はなく、ロディアに河童戦士より先に少女にたどり着く術はない。万事休すか。ロディアは歯噛みした。

 結局、彼女が選んだのは苦し紛れの一手であった。


「《水よ》《我が魔力を糧に》《瀑布となり》――《天より》《その激流で》《押し流せ》《アクアウェイブ・スプラッシュ》!!」


 即ち。魔術の即興での変化である。

 狙いは辛うじて成功した。河童戦士の頭上に発生した水流はその薄緑の体躯を圧倒し、後方へと押し流す。


「え……?」


 少女は自分の背後で起きたことに漸く気付き、疑問の声を上げる。ロディアは駆け寄って抱き上げた。その視線の先には起き上がった河童の姿。やはり水の魔術は旋廻洞穴の魔物には効果が薄い。ロディアはどうしたものかと思案した。数秒間だけ考えた末に、仕方がないので苦手属性の魔術を使用することに決定する。


「《風よ》《我が魔力を糧に》《刃となり》《切り裂け》《スライス・タイフーン》」


 今度は緑色の言霊。吸い込まれたそれは目視できぬ刃となって射出され、河童の体躯を生々しく切断した。風の属性の最も恐ろしい部分は『視認出来ず、圧倒的速さを誇ることだ。それだけを聞けばとんでもないものに聞こえるが、その代償に攻撃力は低い。尚且つ切断しか出来ないという欠点もある為、大型の魔物に対する効果は薄かった。


 さて、とロディアは自身の抱えた少女に視線を下ろす。非力な彼女には些か重い。一旦下ろして考えることにした。

 この場所から最寄の避難所までは少しばかり距離がある。どうしたものか、と悩んだ末に、彼女は取り敢えず、その避難所まで自分が守りながら連れて行くしかないと判断した。


「ねえ、あなた。名前はなんていうの?」

「……私? 私は、フィスタ」

「じゃあ、フィスタ。これから避難所に向かうから、私から離れないようにしてね」

「……お母さんは?」

「お母さんは……きっと避難所にいるわ。だから、一緒に来て」


 確証のない言葉を言うのは気が引けたが、彼女は仕方なしにそう答えた。疑わしげな表情の少女はしかし、何かの予感でもあるかのようにロディアを見据える。


「……本当に?」

「きっと、居るわ。ええ、きっと」

「……分かった。お姉さんを信じる」

「ええ、それじゃ、行こうか」


 少しだけ顔が歪んだのを悟られないように、ロディアは少し顔を逸らした。

 遭遇した魔物を倒し、それとなくフィスタの母親がいないかどうか視線を巡らせながら、二人はゆっくりと――全速力で先へ進んだ。



 そして、彼女等は避難所へと辿り着く。

 ――正確には、避難所であった筈の、場所へと。


「何、これ」


 少女の手を握ったまま、ロディアは唖然として呟いた。

 死体、死体、死体ばかりが百近く。流れる真っ赤な血溜まりと、積み重なるヒトガタが、凄惨な光景を作り出す。突き立った槍が、転がった剣が、そこであった戦闘を如実に物語っていた。そして、少なくともこの場には、生存者はロディアとフィスタのみであった。


「ねえ――これ、何よ。お母さんはどこにいるの?」

「……」

「ねえッ!? 答えてよッ!!」


 フィスタは、ロディアに縋り付くようにして問い質す。しかしロディアに答える術はなく。彼女は唯、「……分からないわ」と、小さく言って、ごめんなさい、と呟くしかない。茫洋とした彼女の様子に、フィスタの顔が怒りと絶望に染まる。


「ふざけないでよッ! ……お母さんは、私のお母さんは避難所に――ここに居た筈じゃなかったの!?」

「私には……分からない。もしかしたら、貴方のお母さんは別の避難所で、まだ無事かもしれない。でも――貴方の家から一番近かったのがここだというのなら」


 そもそも避難所に辿り着いていない可能性もあったが、ロディアは敢えて口に出さなかった。これ以上追い討ちをかける意味はない。

 一瞬の後、弾ける様に顔を起こしたフィスタは、ふらつく足取りで周囲を確認し始めた。一瞬何をしているのか分からなかったロディアは、その意味に気付くと慌てて彼女の目を塞いだ。


「駄目、駄目よッ! 絶対に、そんなことはしないで!」


 だが、少女はその手を振り払う。ロディアは絶対に見せるわけにはいかないと、再び塞ごうとするが――運命というのは残酷である。

 その一瞬だけで、少女は愛しい人の顔を――恐怖に歪んで固まって、もう動かないその顔を、見つけてしまった。


「あ……おかあ、さ」


 ゆっくりと後ずさる。尻餅を突いたその手に、尻に、真っ赤な液体がへばり付く。

 のろのろとその手を眼前に持ってきて、彼女は目を見開いた。


「あ、お、え――――」


 吐瀉。赤の中に黄色が混ざる。

 まだ幼い少女には、精神的な負担が大き過ぎた。嘔吐く彼女の背中を、ロディアは悲痛な表情で擦る。


 暫くして――吐き気ばかりは治まったフィスタは、呆然として呟いていた。ロディアに向ける視線に、光はない。


「何で……なんで。避難所には、騎士さんがいたはずでしょ? なんで、こんな」

「……ごめんなさい。ごめんなさいね」


 ロディアは黙って屈んで、フィスタを抱きしめた。

 最初は静かな嗚咽――そして、大きな泣き声が、ロディアの肩で響いた。

 凄惨な光景の中、そこだけがまるで絵画のように幻想的であった。




 感想、評価、レビュー、いつでも首を長くして待っております。

 お気に入り登録が五件に増えました!


 ありがとうございます。

 今後ともSHIELDをよろしくお願いいたします。



 追記 今回の活動報告は少し遅れます。申し訳ございません。

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