第四話 難題課題
魔術。
それは、文字通り本来は魔物が使用していたとされる術である。
その属性は《火》《水》《土》《風》の四つに分けられ、特性を持つ。あらゆる生き物には生まれつき魔力が宿り、その属性によって得意魔術、苦手魔術が決定するのである。術者は『魔力』と呼ばれるそれぞれの属性を持った物質を燃料とし、誰もが持つ《放射》《吸収》《循環》という三種類のの『門』と呼ばれる――所謂内燃機関で変換することで術を行使する。巷で、同じ属性でも苦手な種類の魔術があれば『あいつは《××》の門が狭い』などと表現するのは、これが由来とされる。
また、魔術を行使するには一般に詠唱と呼ばれる行為が必要であり、それによって言霊――その単語に宿った魔力を使用し、門の活動のしやすさ、つまるところ燃費を大幅に向上させる。詠唱破棄という高等技術(第四巻258頁参照)を習得していない場合、無理に詠唱を省略して魔術を行使しようとすれば、人間の体内で門が過度の活動を起こし、異常な発熱や脱水症状、最悪の場合には死に至ることもある。これは人間の身体の構造が本来魔術を使用することを想定していないため、門という器官が相当に未発達であるためだと考えられている。
さて、一般的に詠唱にはいくつかの単語が――――
「ふぅ……」
シルトは開いていた本――魔術全書~入門から究極まで~ 第一巻――を閉じて、眉間を揉んだ。右の手元にはまっさらなレポート用紙が存在し、その上をペンを持った手がふらふらと所在無げに揺れている。更にその奥、つまりシルトの反対側にはびっしりと書き込まれたレポート用紙に目を通しているロディアがいて、その隣には途中まで書きこんだ紙に少しずつ文字を書き連ねていくアルバがいた。
「……これは、やばいよな」
ひとりごちるシルトに返事をする者はいない。ロディアは彼をちらりと見ただけで手元に視線を戻し、アルバに至っては反応すらしなかった。
魔術科目のレポート課題。『魔術の詠唱を省略する際の言霊』というタイトルで書くそれは、第五学年にとってはそこまで難しくない内容とはいえ、期限が短い。魔術の授業を選択したはいいものの全くついていけていないシルトには無理難題といっては過言ではない程度の難易度だった。
「ねえ、ロディア」
「駄目」
……言う前に拒否されると、精神的に凄く辛い。シルトは身を持って知った。だが、彼は諦めずに次の標的へ声をかける。
「アルバ」
「無理だ」
シルトは思い切り項垂れた。恐らく――というか確実に、このままでは終わらない。しかも、彼の経験則から見るにこの二人が手伝ってくれることはまずない。
どうしたものかと数秒考えてから、しかし他に頼る友人もいない身である故に自分でやるしかないという結論に達した。時間を確認すれば、今すぐ始めればなんとかなりそうな時間である。
第四巻はどこかな、と呟いて立ち上がり、本棚に向かう彼を見て、残された二人は顔を見合わせた。
「……大丈夫かしら」
「まあ、書き上げるくらいは出来るんじゃないか?」
楽観的に呟いたアルバに肩をすくめて、ロディアも自分の手元に視線を戻した。
そして書きあがったシルトのレポートは、それはそれは惨憺たる有様であった。
そもそも十年近く前に魔術から興味を失って、碌に授業も聞いていなかったのだ。何種類かの本の記述を繋ぎ合わせただけで、考察も目的もまともに書いていないのである。
「うわぁ……」
読み返して、自分で呻くほどの出来である。どうしようもない。
まさかこれを提出するわけにもいかず、シルトは唸りながら書き直し始める。しかしその手はすぐに止まり、代わりにうんうんという唸り声が漏れた。
「……まずいなぁ」
何一つ改善されず、時間だけが刻々と進んでいく。
本とにらめっこし、二、三書き込んで、紙を捨て、再び本を睨みつけて、書き込み、紙を捨て――――
「このレポートは評価できません。三日後までに書き直して来てください」
案の定というかなんというか、呼び出しを食らったシルトは魔術教師の非情な言葉にがっくりと肩を落とした。
「やっぱり、駄目ですかね」
「駄目です」
「どうすればいいんでしょうか」
「……そうですね。考察をしっかりすれば辛うじて評価は出来るでしょうか」
「そうですか」
結局のところ、提出したのは何の変化もない駄レポートであったから、それも当然かもな、と諦観を浮かべて頷き、シルトはその部屋を退出した。
「さあ……どうしたものか」
ひとりごちて、歩き出す。現在最も有力なのは、顔見知りの生徒に手当たり次第に教えてくれるよう頼み込むという案である。
「しかしなぁ……」
問題点その一、そもそも友人が少ない。あまり友人を作るタイプではない為、頼む対象が少ないのである。
問題点その二、全員既に提出済みのため、協力するには時間が掛かる。
詰まる所、見込みはなしだ。シルトは大きく溜息を吐いて、とりあえずは何か食べようと食堂へ足を向けた。
◆◇――――◇◆
「すまんな、手伝えそうにない。俺はこれから外出する用事があってな」
お手上げといったように肩を竦めたのは、シルトの数少ない友人であるゼマであった。
いい加減顔見知りは当たりつくしたが、全て駄目だった。シルトは肩を落として首を振る。
「いいよ、こうなったらもう一回なんとしてでも書き上げて提出するしかない。……また突き返されるかもしれないけど」
どよーん、と目に見えて落ち込むシルト。『自分の好みではなく、全てを満遍なく修めることで未来の可能性を高める』と謳うこの学園では、全教科が必修なのだ。完全なる門外漢でも課題の提出は必須であった。最早万策尽きた様子の彼に、ゼマは申し訳なさそうな顔をした。
「……何か、土産を買ってこよう」
「ありがとね……」
苦渋の表情で礼をする。視線だけ動かして時計を確認すると、今すぐ始めれば書き上げるくらいは出来そうな時間である。
「ああ、なんか既視観……」
額に手をやるシルトに同情的な視線を送ったのは、ゼマだけではなかった。周囲の生徒達が、大凡どういうことが起きているのかを察していたのである。
それじゃあ図書館でも行ってさっさと書き始めようかな、と溜息交じりに言って、シルトは歩き出し、
「――ああ、そういえば」
呼び止める声に、顔だけで振り返る。ゼマは妙に真剣な顔をして言った。
「《旋廻洞穴》が、本格的にマズイらしいぞ」
うへぇ、と息が漏れた。
――――迷宮とは何か。
一言で言ってしまえば、魔物の巣である。地脈のこずんだ場所で魔力が集まり、固まることで《核》が出来、それから出る魔力が、魔物を引き寄せるのだ。しかし、巣とて永久ではない。時間の経過と共に劣化し、遂には崩壊する。
そうなれば、中にいる魔物たちはどうなるか。
常時ならば魔物たちは日光を嫌う習性と、餌である魔力が迷宮内には豊富であることから、基本的に外に出ることがない。しかし住処が壊れ、餌もなくなってしまうならば。
狩るのである。
人間の肉が美味いのか、ただ食い物足りえる生き物が多く集まっているからなのかは分からないが、魔物たちは人間の住む都市や町、村を襲うのだ。
迷宮の寿命は凡そにして百年から二百年程度といわれる。崩壊した迷宮の《核》は魔力となって分散し、また別の地脈のこずみで新たな《核》となる。よって、迷宮の絶対数は変わらない。
「……気をつけるよ」
「気をつけてどうにかなる問題でもないがな」
苦々しげに、ゼマが笑う。
《旋廻洞穴》はDランク。比較的大型の迷宮で――王都が最寄の人里である。崩壊すれば、まず間違いなく王都に魔物の大群が押し寄せる。王都は当然、この国で最も巨大な都市だ。騎士団に、冒険者、それどころか学園の生徒までも総動員しての防御戦となることが予想された。
「まあ、未来の迷宮崩壊より、今の課題ってね。僕はもう行かないと」
「おう。頑張れよ」
手を振って歩き出す。先行き見えない課題に、シルトは顔を歪ませた。
◆◇――――◇◆
さて、宵の口を少し過ぎて、夜と表現しても差し支えない程度の時間のことである。
図書館にて、シルトはまたも一人でレポートに取り組んでいた。周囲にはゴミと化した紙くずが落ちており、進展している様子は全くない。いつぞやと同じように唸る声が聞こえ、かなり深刻なのが窺えた。
そこに近づいてくる人影がある。
「…………」
ロディアであった。しかし、シルトが気付く気配はない。数歩後ろでしばらく様子を見守ってから、彼に聞こえぬように小さく溜息を吐いてからそこを離れていく。
そしてそのまま、図書館で数分ほどかけていくつかの書架を回り、数冊の分厚い本を重ねて持つ。
手のかかる子供の面倒を見るような表情でシルトのもとへ戻り、隣に立つ。
「ん?」
ここに来て漸く他人の存在に気付いた彼の前に、どさどさと本を積む。
「のわっ」
仰け反ったシルトは、疑問を顔に浮かべてロディアを覗き込み、次いで乗せられた本に目をやり――――目を剥いた。
そのタイトルを一部挙げるとすれば、『魔術の短期発動基礎 詠唱の省略から言霊圧縮まで』『詠唱破棄の伊呂波』『言霊選びのセンスを磨く』。こんな感じである。
「そもそも、シルトは資料を探すのが下手なのよ。ほら、この本の……ここにあるでしょ」
詰まれた本の一冊を手にとって、あるページを開いてみせる。そこには丸写ししても大丈夫なほどにぴったりな記述があった。それに瞠目して見入り、ロディアの説明を聞きながら、なんだかんだで面倒見がいいなぁと思うのであった。
そして、ロディアの協力は実を結び、シルトは何とか課題を通過することが出来た。
思い切り助けられたので、照れ隠しついでに、ロディアに借りができちゃったな、などと言ってみる。
「バカ、そういうのは気にしなくていいの」
目を逸らしながら、彼女はぶんぶんと手を振った。