第三話 掘れ薬
「惚れ薬を作る」
と、シルトが生存術魔術薬製作科の教師であるナザニアに言われたのは、とある日の昼休みのことであった。昼食を取っていたところを呼び出されたのである。
「惚れ薬、ですか?」
聞き返したのは、それが今日では中々聞かない名称だったからだ。
惚れ薬とは文字通り、服用することで特定の人間を強く意識するようになる魔術薬である。
しかしその効果の続く時間は短く、かつ効果が切れたあとはその時間の自分の行動が記憶に残るため、飲ませた者は大抵蛇蝎のごとく嫌われる羽目になる。更には作り方が無駄に手間がかかり、一つ間違えるだけでただのごみに成り下がってしまう。
よって、そんなものを作るのは余程の馬鹿か、或いは何か必要に駆られて作らざるを得ない状況に陥った者だけである。
まさか教師ともあろうものが邪な目的を持ってそんなものを作るとも思えないので、シルトは訝しげな視線を向ける。ナザニアは口に咥えた煙草をくゆらせた。後ろで無造作に括った深い緑色の髪が揺れる。
「なに、ちょっと思いついたことがあってな。お前、前回の課題出してないだろ? その代わりに、今回の材料を集めてもらおうと思ってな」
「それが……惚れ薬ですか?」
「応よ。何、疚しいことがあるわけじゃあない。だがまあ、誤解を避けるためにも誰かに話したりはしないほうがいいと思うがな」
「はぁ……」
言い渡されたのは、《迷宮守》の尻尾を五本。他は備品でなんとかするらしい。迷宮守の尻尾は、Cランクの迷宮《蜥蜴大穴》でのみ入手できる、そこそこに貴重な素材である。
よって、シルトは現在、気が乗らないながらもロディアとシルトに気付かれないように迷宮守を探していたのである。その姿が非常に小さい迷宮守は、敵に気付くと強い毒を吐いて攻撃するが、危険と見るとその尻尾を切り離して逃げ出すのだ。シルトは誕生日のときアルバに貰った片手剣を使って、既に二本の尻尾を入手している。やはり傍から見ると怪しいらしく、ロディアになんども心配されている。まさか惚れ薬を作るためともいえないため、自分の身体で迷宮守を隠しながらの尻尾取りとなっていた。
しかし、現在の階層は既に五。今回の依頼は七階層にある《蜥蜴戦士》の巣の破壊だ。残るニ階層と、帰りであと三匹分の尻尾を集めなければならない。中々難しいものだ。
そして、そんなシルトを見ているロディアたちは。
今日のシルトはなんだか変だ、と思っていた。
行き成りランクCという難易度の高い依頼を持ち込んできて、半ば強引に迷宮に出るわ、妙にそわそわしていて落ち着きがない上に先ほどから自分とアルバのほうを何度も確認して警戒するようなしぐさをしている。無意味に剣を振るいだしたときには慌てて何かあるのかと聞いたが、不自然に誤魔化されて終わった。
「ねえ、アルバ」
「なんだ」
「シルト、やっぱり変よね」
「あれが変じゃないと思うなら、いい治療術士を紹介しよう」
「シルトに紹介したほうがいいんじゃないかしら」
アルバと首を捻る間にも、シルトはきょろきょろと迷宮の隅から隅までを眺めている。かと思えばいきなり疲れたような溜息を吐き、ロディアたちのほうを見て吃驚したように視線を逸らす。
「ねえ、シルト。本当に大丈夫?」
「ん? ああ、うん。大丈夫だいじょう……ッ!」
迷宮守、発見。
腰の後ろから剣を引き抜いて、迷宮守を攻撃する。その小さい身体を生かしての死角から毒を吐くという罠じみた攻撃手段しかもたない迷宮守は、すぐに尻尾を自切して逃げ出した。
三本目、ゲットだぜ!
「ま、またシルトが……まずいんじゃないの、アルバ?」
「もしかしたら、なにか魔術がかけられてるんじゃないのか?」
「見た限りだと、そういうわけじゃないみたいだけど……。屍魔導のローブの効果もあるし、それは大丈夫みたいよ?」
後ろでの相談は、シルトの耳には入らなかった。
と、そのようにして何度も怪しまれながら、迷宮から出るまでになんとか五本入手することができた。迷宮をでた直後に二人がかりで治療術士のところまで連れて行かれそうになったのは、完全に余談である。
◆◇――――◇◆
そして素材は集まった。
迷宮に入って手に入れてきたものに加え、ナザニアの準備していた細かい危険物たち。どれも下手に口に入れればとんでもない惨劇を作り出すこと請け合いの品々である。
後は、材料を粉末にしたり、煎じたりと色々下ごしらえをした後、時々魔力を流し込みながら三日ほど煮込めば完成である。
そしてその後の三日間、シルトはいかにも自然な顔を装っていたって普通に授業を受けていたが、内心では気が気ではなかった。事此処にいたって、俄然興味が湧いてきたのである。
「今日で二日目……立ち上る湯気は既に黄緑だ。これなら完成は間違いなさそうだな」
唯の惚れ薬であれば、二日目の時点では濃い赤の煙が上るはずだ。しかし、その鍋が上がるそれは毒々しい黄緑になっていた。一体どういうものを作ろうとしているのだろうか。シルトは身震いした。そもそも本当に惚れ薬を作っているかどうかすら怪しい。しかし、ナザニアはその湯気がさも当然出るものであるとばかりに満足げにうなずいて、シルトに部屋からの退出を命じた。残るは一日である。
「シルト、ちょっといいか?」
そして、彼は自分の部屋に戻ろうとしたところでアルバに声をかけられた。
聞けば、訓練をしようとのこと。調度いい運動になると二つ返事で了承し、二人はそろって寮の庭へ出る。
「なんだ、今日は【攻防の対盾】か?」
「偶にはこれもありかな、と思ってさ」
シルトが構えているのは、二つの細長い金属板。それを、両の肘から拳に掛かるように装着している。一応は盾という分類ではあるが、トンファーのように攻撃に使うこともできる。とはいえ、シルトは攻撃はからっきしであるため、ただ単に両腕に装着できる機動性のいい盾としか扱っていなかった。
「よし、じゃあはじめるか」
「そうだね」
対峙は一瞬。飛び出したアルバの怒涛の連撃が、シルトの防御をかいくぐるべくして迫る。シルトは主に右手の盾で、しかし時には左手も使って危なげなくそれを逸らしつつ、アルバの隙を抜け目なく探す。
一方があえて隙を作ればもう一方はそこにあえて攻撃を打ち込み、それを弾かれた隙すらをも自身の作り出した罠とする。
心得のないものがみたなら完全に互角ととれるであろうが、彼らには明らかに差が出来ていた。一方が額に浮かべた汗が、滴った。
そして勝負は佳境に差し掛かる。
アルバの右の刃を左手の盾で大きく弾き、続く左は右で受け止める。
そして、シルトは両手を合わせた。
そこに装着された細長い盾が合わさり、一つの大きな盾となる。
足に力を込めて、彼はアルバを引き摺り倒さんと突進――――
「ごへうっ」
そのときの悲鳴というか、うめき声を、無理やりにでも文字に起こせば、こうなる。
シルトの鳩尾に、強烈な衝撃。
――――そういえば、この盾には欠点があったんだよなぁ、と。シルトは仰向けになった姿勢で空を見上げながら、他人事のように思った。
この二つの盾は、別に魔術やなにかで連結されているわけではないのだ。二つの盾の中間部分を突けば、その攻撃は容易に入る。
「阿呆。お前、その盾使うの何時以来だ」
「いや……まあ」
「というか、お前最近何か不自然だぞ」
不自然? と、シルトは聞き返す。頷いて見せたアルバは深刻な表情で続けた。
「一昨日迷宮に行ったあたりからか。明らかに何かあるだろう。何か疚しいことがあるんじゃないのか?」
「やまっ……そ、そんなことあるわけないよ」
目を逸らしながら言うシルトに訝しげな視線を向けるも、アルバはそれ以上追及しなかった。
「まあ、お前のことだから犯罪の類に手を染めちゃいないだろうな。所で、これで俺の860勝859敗だぞ」
「む……もうちょっとでニ連勝だったのにな」
「お前じゃ無理だ」
うっさい、と言って、シルトは立ち上がる。
二人は揃って寮へと戻った。
翌日二限、生存術の魔術薬の後にある休みで、ナザニアの研究室へ入ったシルトは、強烈な悪臭に顔を顰めた。
「先生、大丈夫なんですか、これ?」
「ああ。思った通りの完成形だ」
「おめでとうございます。それで、どういう効果があるんですか?」
彼女が持った二つの瓶の中にはそれぞれ、黄色い粉と、緑の粉が少量ずつ入っていた。なんとも危険そうな色合いである。
しかしナザニアは自信満々に「うむ、よくぞ聞いた」と頷いて、煙草の火をもみ消した。
「なんとだな、これには――――ん? 待てよ」
言いかけた言葉を途中で止めて、にやりと笑う。時々突飛な事を言い出すこの教師に嫌な予感を覚えて、シルトはやっぱりいいです、と慌てて退出しようとし、
「まあ待て」
捕まった。
そして、彼女は黄色いほうの粉の入った瓶を差し出す。
「……まさか」
「飲め」
そのまさかだった。いきなり人体実験とか聞いてない、とぶるんぶるんと首を振るシルトに、しかしナザニアは満面の笑み。ただし非常に邪悪だ。
「課題」
「うぐっ」
「いやなに、いいんだぜ? 私が唸るようなレポートを、明日までに提出出来るなら」
無理である。そもそも今回のレポートは『ポーションを使い切った場合における簡易的な応急薬の調合方法及びその効果の上昇を見込むための材料の考察』というもの。大体の生徒が、成績優秀者に頼み込んで見せてもらわなければ書けないような鬼畜な課題だ。
提出日までに友人を説得しきれなかったことが、シルトの運の尽きであった。
「……害はないんですね?」
「それは大丈夫だ。何、所詮はちょっとした惚れ薬の一種だし、出回っている奴より効果は薄い。しかもそっちは飲んでも誰かに惚れることはない」
「惚れないって……じゃあこっちはなんの薬なんですか?」
「いいから黙って飲め」
強引に口の中に押し込まれた。次いで、水を流し込まれる。
何の準備もしていなかったシルトは、吃驚して飲み込んでしまった。
「な、なにするんですか!」
「はっはっは、まあなんだ。ほら、効果はないだろう?」
「いやまあ、そうみたいですけど……」
「次の授業が始まるぞ。ほら行った行った」
シルトは首を傾げながら退出した。
◆◇――――◇◆
事件が起きたのは、昼休みであった。
シルトが幼馴染二人と食堂にて昼食をとっている時である。
急に入ってきたナザニアが、彼らに絡み始めたのだ。
「よう、お前ら。次の授業で前回の課題を返してやるからな。随分酷い出来だったな」
「あ、ナザニア先生。こんにちは。昼食ですか?」
「ん? ああ、まあ、ちょっとな」
そして、世間話じみたノリでの会話は続く。
課題の話をしにきたように見せて、ナザニアはさりげなくロディアのすぐそばに寄った。
「まあ、そういうわけだから、次回、授業が始まるちょっと前くらいにとりにきてくれ。ああ、誰か助手を連れてきてもいいぞ」
「わかりました」
そして、アルバとロディアが目を離した瞬間。
目にも止まらぬ早業で、ナザニアはロディアの水が入ったコップに、緑の粉を入れた。それはすぐに溶けていき、シルト以外誰にも気付かれることなく水と同化する。
そして、悲劇は起きた。
ロディアの席は、アルバの向かい側。そしてロディアは、何の因果かこの時に限って水を左手側――即ち、アルバの右手側においていたのである。
手を伸ばして、最も楽に手に取れるのは右手側の水。
ナザニアが細工したその水を手に取ったのは、アルバであった。
「あ、アルバ、それあたしの水」
ロディアの制止は間に合わず、アルバはそれを飲み込んでしまった。
効果はすぐに現れる。
最初は、《夢羊》の角に含まれた魔力操作阻害効果が、一瞬の酩酊
の生む。次に、《牝番草》の種による強烈な催淫効果。対象は――《迷宮守》の尻尾によって大幅に増幅された《牡番草》の種にたくわえられた魔力の香りを持つ、
「え?」
シルトである。
シルトは、アルバの顔を見て、戦慄した。
顔が赤いとか、いつもよりきらきらしているとか、そういうところではない。
目、である。
普段であれば、鋭くとがった眦が僅かに下がって、溶けた瞳をしていた。見つめる対象は、当然シルト。
そして――
ふぅ、と吐息を吐いて。
アルバは。
シャツの。
ボタンを開けた。
鳥肌が、とんでもない速度で体を駆けた。しかし何故か、アルバの顔がまともに見られない。自分の顔が熱を帯びているのがわかる。僅かに荒くなった吐息が漏れるのがわかる。
照れか、恐怖か、あるいは両方か。
「あっはははははは!!」
シルトはナザニアの哄笑に追われながらその場を逃げ出した。
走った。思い切り走って、駆け込んだ先は寮の自室。
「……なんだ今の、なんだ今の!」
扉に凭れかかって、荒い息を整える。身の危険に、貞操の危険に。脳内の警報装置は全力で作動していた。だが、焦っているシルトは、迫る脅威に気付けなかった。
人が動く、音がした。
――ところで。
シルトとアルバ、単純な移動速度で言えばどちらが早いのかといえば。
アルバのほうが、早い。寮までの距離であれば、多少遠回りしても先回りできるくらいには。
「やっぱり、ここに来たのか」
「回り込まれた!」と冷や汗を流し、大慌てで扉を開――
「待てよ」
腕を、掴まれた。錆付いた首がぎぎぎ、と音をたてそうなほどに、シルトはゆっくりと振り返る。
「な、なに?」
「逃げること、ないだろ?」
相も変わらずとろけた瞳でシルトを見つめるアルバは、その腕を引き寄せる。
片手でシャツのボタンを外していくアルバ。上気した頬からは、同性ですらはっとしそうなほどの色気が感じ取れた。いやいやと首を振るシルトの抵抗の力は、最早弱い。
「ほら――――お前も脱げよ」
「ま、待ってよ………」
涙目で首をふりながらも、されるがままにボタンを外される。
シャツの前を肌蹴た二人が、見つめあう。
アルバがシルトに襲い掛かって、二人は重なり合ってベッドになだれ込み――
「ちょっとシルト、大丈――って、何やってんのよ!!?」
シルトを心配して追ってきたロディアは赤面した。しかし、シルトの助けを求める視線に我に返り、無詠唱の魔法でアルバを気絶させた。
かくして、シルトの貞操に危機を齎した事件は、辛くも終結したのである。
因みに。
興味本位から薬を作って生徒に飲ませた挙句、このような騒動を巻き起こしたナザニアは、この後一年間にわたる減俸を言い渡されたらしい。
自業自得である。