第一話 授業風景
闇夜を、怒声が切り裂く。
Cランク迷宮《鬼ヶ穴》。その下層部で、戦の音が鳴り響く。
魔物、『戦鬼』。
赤銅の肌と、常人の四倍はあろうかという巨体。その腕は丸太――否、大樹の幹ほどもあろうかというほどに太い。身に着けるのは、その腰に巻いた『牙虎』の毛皮のみ。そして、額に生えた天を衝く一対の短い角。
まさに、悪鬼の名に相応しい。
相対するのは三人の人間族の少年少女。
黒髪黒目のどこかぼんやりとした印象を受ける少年――シルト。細身だが、その身体はよく鍛えられているのが分かる。シャツとズボンのみを身につけ、その手には大きな楕円形の盾を装着している。
二人目は、長めの青い髪に怜悧な顔立ちをした少年。シャツとズボンの上から軽い鎧を装備し、その両手には一対の短剣。名を、アルバ。
そして長い金髪の少女――ロディア。整った顔立ちに、気の強そうな瞳が愛らしい。ローブと杖を持った姿は、まさに魔術師であった。
種族としての特徴である憤怒をその顔に浮かべた戦鬼が、その巨大な拳を振り上げ――振り下ろす。
轟、と風がうなった。
それを前にしてシルトは、ただ眼前に構えた大盾を持つ手に僅かに力をこめただけ。
ただそれだけで、岩をも砕く戦鬼の一撃は止められた。
「グ、ォおおおおおおおお!!」
理解できない、と戦鬼は戸惑いの叫びを上げる。そして次こそ叩き潰すと気合を込めて再びの殴打。しかし、シルトは冷静に盾の位置を変えていく。
弾き、逸らし、跳ね返す。
「《水よ》《我が魔力を糧に》《瀑布となり》《押し流せ》《アクアウェイブ》ッ!」
短い詠唱。ロディアの目の前から発生した怒涛の勢いを持った水流が、シルトに掛かりきりになった戦鬼の足元を直撃し、攫う。見事に片膝をついた鬼を見て、それを撃ったロディアは高らかに叫んだ。
「やっちゃいなさい!」
「任せろ」
音をも置き去りにするかのようなアルバの踏み込み。
その軌跡は一条の光となる。
その憤怒の中に確かな恐怖を刻ませたまま、戦鬼の首は己の胴と永遠の別れを告げた。
◆◇――――◇◆
【王国立冒険者育成学園】。
それが、シルト達の通う学園である。将来的に国に貢献する冒険者を育成するために非常に安い学費で通学できる。全寮制を取っており、地方の生徒も通学できる。入学資格は十三歳からで、十九歳までの六年間を生徒として学ぶことが出来る。
授業は大別して戦闘、魔術、生存術、そして実習の四つがあり、それぞれに成績が付けられる。
学園という場にも関わらず、既に冒険者としてのランクがあり、下はGから上はBまで、それぞれの生徒が振り分けられている。学園内階級――それが明確に分けられた学園なのだ。
そして、今回の実習の授業では、自由なメンバーで魔物の討伐を行った。
シルト、アルバ、ロディアの三人はそれぞれ個人でのランクはDだが、三人でパーティーを組めばBにまで跳ね上がる。彼らは今回、生存率を上げるためにランクが一つ下の迷宮へと潜っていた。
「……一限から実習とか、酷くないか?」
第五学年のとある教室で、シルトはぐったりと椅子に凭れながら誰にともなく呟いた。シルトたち三人は、既に達成条件である戦鬼の角は提出しているため次の授業の三限までは休憩である。
「まあ、座学で爆睡するよりはマシだと思うがな」
期待していなかった返事を返したのは、アルバである。若干の皮肉を交えた物言いに、しかしシルトは全く応えた様子もなくのんびりと欠伸交じりの返答をする。
「そうかなぁ……? まあ、うん。おやすみ……」
「…………」
というか、睡魔の所為で適当だった。無駄骨に近い状態のアルバはこめかみをヒクつかせてその端正な顔を少し歪める。が、すぐに意味が諦めたように目を逸らした。シルトのこういった態度には慣れているのだ。
ロディアは少し離れたところで苦笑いをしていた。
シルトが目を瞑って心地よい微睡みに身を任せてしばらくすると、徐々に教室の中の空席が少なくなっていった。遂には全員が己の席に就き、間もなく三限の開始を告げる鐘が鳴り響く。アルバの投げた紙くずが後頭部に当たり、シルトは目を擦りながら身を起こす。直後には、担任教師が姿を見せた。
「よぉし、今回も死亡者ゼロ、失敗者もゼロだ。納品時の状態が悪い奴、時間が掛かり過ぎた奴はもっと精進するようにな。そんで、三限は近接戦闘術だ。今日は座学なしで訓練をするそうだから、各々訓練用の武器を持って第一闘技場に向かうように。ラルド先生が既に闘技場にいるから、急げよぉ」
嘆く声と、喜ぶ声が半々ずつ上がった。いくら実技の多い学園とはいえ、今日はいつもより大分ヘビーである。しかし、すぐに三々五々闘技場に向かう準備を始めた。一応とはいえ、生徒は皆意識が高いのである。
向かった先の闘技場はとんでもなく広いドーム状の建物で、床には土が敷き詰められている。そんな中で適当に集合した生徒たちに向かって、たくましい筋肉の髭面教師は無意味に声を張り上げる。
「今日は近接戦のランクごとにペア組んで戦闘だ!! 刃引きの確認を怠るなよォ!」
そんじゃ始め、と言って手を叩き、担任は闘技場が一望できる場所まで離れた。残された生徒たちは各々のランクごとに自身の戦闘訓練の相手を探す。
近接戦ランクCのシルトの相手は、同じくランクCの背の低い少年、ゼマである。彼は幅広の両手剣を使う。シルトは普段のものより小振りな――というか、基本的な大きさのドーム型円盾を右手に装備し、短い片手剣を左手に持っていた。右手――即ち主装備は、あくまで盾だ。
「よしシルト、やるか」
「ん、よろしく」
どことなく気の抜けた声を上げて、二人は対峙する。
ぴりぴりとした独特の緊張感が走った。
「、せッ!」
ゼマが踏み込んだ。短い呼気。鋭い斬撃は、シルトの掲げた盾に逸らされる。並みの使い手ならばそこで体勢を崩して大きな隙を生むだろうが、そこは流石のCランク。ゼマは流れた剣の柄から右手を離し、半身になって剣を振り上げる。盾を持つ手を攻撃されては敵わないとシルトは距離を取る。そして、間髪を入れず飛び出した。左手に持った片手剣を振り下ろす。
「…………」
途端にゼマは白けた顔をした。攻撃の速度こそ速いが、刃筋はぶれ、狙いもろくに定められていない明らかにお粗末な攻撃だ。ゼマはその片手剣を強く弾いた。途端に体勢を大きく崩すシルトに、ここが好機と攻撃を叩き込む。
「……くっそ」
漏れた罵声は、ゼマのものだ。とんでもなく不安定な姿勢だった筈なのに、シルトは危なげなくゼマの剣を防いでいた。
――そう。シルトは、防御の一点特化。逆に言えば、攻撃に関してはてんで駄目なのだ。だから、訓練で彼が負けることはまずない。だが、勝つことも滅多になく、訓練は大抵が時間切れで終了する。『シルトに一撃入れた奴には報酬が出る』という噂まで立つほどだ。実は今回の訓練でも、ゼマは結構気合を入れていた。因みに、誰が報酬を出すのかは不明である。
そして、そんな訓練で、アルバはと言えば。
「俺の勝ちだな」
瞬殺であった。殺してないが。
シルトとは正反対に、攻撃のみに特化した『超攻撃専門職』。それが、アルバのあり方だ。防御力が低いなら、相手に攻撃される前に倒してしまえばいいじゃない、という次第である。しかしそれとは対照的に、防御など一切考えていない。単純な近接戦訓練の成績ならばBランクどころか学園として異例のAランクにも辿り着くというのに、彼がCランクに位置されているのは、そんな危うさを教師陣が踏まえた結果である。その攻撃の苛烈さは、昔からのシルトとの戦闘訓練の結果が1716戦中858勝858敗であるということからも伺える。シルトがアルバの攻撃を防ぎ損ねたならばアルバの勝ち、防ぎつつ一撃入れれば――というか攻撃を放てば当たる為、一発でも攻撃を撃てばシルトの勝ち、ということだ。
最強の盾と最強の矛。シルトとアルバは幼馴染かつ親友でありながら、互いをライバルとして認識していた。
ところでロディアは、片手剣すら持ち上げるのが精一杯というインドア娘だ。短剣片手に、同じくインドア少女といい勝負を広げた末に、敗北していた。近接戦闘のランクは当然ながら、最低のGである。はらりと広がった金髪には、どことなく哀愁が漂っていた。
さて、そんな近接戦闘の授業も終わり、昼食を挟んで午後の授業へと移行する。
午後は魔術。体力のいらないこの授業では、ロディアが活躍する。
担当の教師であるローブ姿の比較的若い女性が、教壇に立って口を開いた。
「はい、じゃあ今日は魔力量の節約についての講義からです。一コマ分講義をしたら、闘技場……はラルド先生が使ってらっしゃるんだっけ。じゃあ第二の方に行って今日の授業内容を実践してもらいます。
えーっと、じゃあ始めますよ。そうですね、みなさん第四学年のうちに魔術で魔力が消費される仕組みについては既に学習しているはずですから――――」
この時点で、既にシルトは机に突っ伏して静かな寝息を立て、アルバは頬杖をついて窓の外を眺めていた。
その二人よりも後ろの席に位置するロディアの怒りの視線がぐさぐさと刺さっていた。アルバは一応とはいえ内容を聞いたが、ハナから魔術など使う気のない――というか使えないシルトはどこ吹く風といった具合である。
盛大な溜息を密かに吐くという高等技術をやってのけたロディアは、気を取り直して教師の言葉に耳を傾ける。今日の内容などいつ学んだことかすら分からないほど前に身につけたことなのだが、生真面目な彼女はわざわざメモを取って自身の記憶に間違いが無いかを確認していた。
「シルトさん、理解できないのは分かりますが、聞く姿勢くらいはとってくださるとありがたいです」
注意が飛んで、ふが、とシルトの寝息がとまる。身を起こした彼は「すいません」と言って、真剣な目で授業を聞き始めた。
「はい、続けますね。魔力の消費時の【門】の回転、これを一定にすることで、魔力の変換の無駄を減らします。そうすることによって――」
机に突っ伏した。
教師も諦めたように溜息をついて、授業を続ける。最初こそ何度も注意していた彼女だが、今では一度の授業に一回するかしないか、といったところである。
そんな具合で座学も終わり、生徒は一同第二闘技場へと向かった。第一闘技場よりもひとまわりほど小さいが、十分大きい広場である。
「それでは皆さん、各々危険性の少ない魔術で試してみてください」
教師の言葉に従って、各自が魔術を展開する。ロディアはほんの僅かな魔力で巨大な水球を作った。魔術のランクはBというとんでもない少女である。
アルバはEランク。火炎放射を撃ち出して、ロディアに鎮火されていた。
そして、シルト。十センチ程度の土を、ほんの僅かに盛り上がらせた程度。
生まれつき魔力が異常に少ないシルトには、魔術などほとんど使えない。当然ながら、ランクはG。それが当然だと思っているし、生まれもった魔力量を伸ばすことなどできないのだ。どうしようもない。魔力量の節約という技術など、遥か以前に試したのだ。その結果が、この僅かばかりに盛り上がった土。
「はぁ……」
溜息を吐いて、シルトはすっからかんになった自身の魔力の回復に専念した。
◆◇――――◇◆
「しかし、今日の授業はかなり重かったな」
「そうね……。魔術の時間、寝ないようにするのが大変だったわ」
「嘘吐け。クソ真面目に話聞いてたじゃねえか」
放課後の寮、談話室。いつもどおり椅子にぐったりと寄り掛かった三人は、ラフな格好でくつろいでいた。
「ねえ、明日の授業はかなり楽だったよわね?」
「ん、ああ」
じゃあさ、と呟いたロディアはその金髪をけだるげに払う。
「じゃあ、依頼でも請けない?」
依頼。冒険者ギルドと提携して運営されているこの学園では、学生でも請けられると判断された依頼が、ギルドから回されてくる。報酬は手続き料と、僅かに成績に加算される分が引かれて生徒に渡されるが、それでも小銭稼ぎくらいにはなるのだ。シルト達三人は、たびたびこの依頼を請けていた。
「おう、そうだな」
「ん、いいよ」
どことなく嬉しそうに返事をしたアルバと、どっちでもよさげに答えたシルト。
ロディアは満足そうに頷いた。
「それじゃあ、決定ね!」
4/16 魔物の表記が『モンスター』となっている部分があった為、修正
4/21 あとがきを活動報告に移動させました