春の夜長に恋占い 3
秋月先輩はまず、弁天を一発殴ると、すぐに体をひねって今度は蹴り上げた。黒い闇から手のような物が伸びてきて、先輩を捕まえようとする。
ひらりと、蝶が舞うように流麗な動きでそれを避けて、もうひとつ、蹴り上げた。入れ替わるように、四十院君が躍り出る。
二人のアクション映画さながらの戦いっぷりに見惚れていたら、いつの間にか千屋君も弁天のそばまで近づいていることに気がついた。千屋君は腰を低くして近づき、芽依を抱き上げると、すぐに戻ってくる。
「芽依っ!」
駆け寄ると、千屋君はそっと、壊れ物を扱うように芽依をおろした。
「気を失っているだけだろう。そんなに怨を浴びてはいないようだから、一晩寝れば明日には忘れているさ」
「よかった……!」
抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。温かい。本当によかった。
そんなあたしを見て、それまで仏頂面だった千屋君がうっすらと笑顔を見せた。いやだこの人、美人だわ。
「あの、ありがとうございます」
「感動の再会果たしたんなら、邪魔だ。すこし下がってろ」
桐生先生がさっとしゃがみこんで、さりげなく芽依の顔色を確認してから言った。そうなのよね。恐いんだけど、面倒見いいのよこの先生。それで一部の生徒からはすごく人気があるの。
「はい」
答えて、あたしは芽依を引きずって隅のほうへ避けた。ごめんね親友、さすがに50kgオーバーのあなたを持ち上げることは出来ないわ、ってそれ考えたら千屋君細い体で相当怪力ね。
千屋君が桐生先生に近づいてなにやら相談している。
「どうしますか? こんな時間です。消灯時間は過ぎているでしょうから、優も抜け出すことは出来ないでしょう」
「取り敢えず叩いて弱らせる。それから縛って、詰めて、明日優のところへ持っていけばいい」
言って、桐生先生は懐から人差し指ほどの瓶を取り出した。え、詰めるって、それに、あれを? かなり無理がある気がするんですけど。
千屋君もそう思ったのか、眉を寄せて、
「そうは言っても」
と弁天を見、
「中々難しそうですが」
と首を傾げた。
「仕方ねえだろ。どうにかするしかないんだ。おい、樫原」
「はいっ!」
「おまえ、さっきあの弁天に恋のまじないとやらをするっていってたな。流行ってるのか?」
ああ、もうごまかせないわ、これ。そもそもさっき秋月先輩が内容ばらしちゃったし。仕方が無くあたしは頷いた。
「……はい」
「どの程度?」
「たぶん、女子生徒で知らない子はいないと思います」
あたしの答えに、千屋君が眉をひそめた。
「やっかいですね」
桐生先生も大きな溜息を吐きながら、頷く。
「ああやっかいだな」
「あのー、一体どういうことですか?」
恐る恐る尋ねたら、2人は顔だけ振り向いて座っているあたしを見下ろした。月明かりだけが頼りの暗い廊下に、2対の瞳が光っている。
「お前に教えてやる必要はねえよ」
と言って桐生先生が背を向け、
「あまり、踏み込まない方がいい」
と、千屋君が顔を背けた。
「……すでに巻き込まれてるようには、見えませんか?」
「お前が首突っ込んだんだろ。俺たちが5年掛けて集めたものを全部チャラにしてくれやがって」
あ、そうだった。居づらくなったあたしは思わず姿勢を正し、その場に正座した。
「見たところ、あの弁天は先ほど水晶から解放された“徳”を喰って急に巨大化したようですね」
千屋君は白い指先を弁天に向ける。
「見て下さい。腹に収まり切らず、漏れている」
弁天からは、シュウシュウと小さな音を立てて煙が上がっている。なるほど、あれがお腹に入りきらなかった徳なのね。
「ああ。 ――行くぞ」
桐生先生が腰を低くした。
飛ぶ、と思った瞬間には、桐生先生はもう弁天のそばにいた。大きく刀を振り上げ、叩ききる。
弁天は耳に痛い叫びをあげ、真っ二つに避けた。
息を切らした秋月先輩と四十院君が戻ってくる。
「あいつ、叩いても叩いても小さくなんねーぞ!」
四十院君が息を吐く。千屋君が淡々と答えた。
「いや、確実に小さくはなっているが、でかすぎてそう感じないだけだろう」
「お前、御託はいいから、行けよ。交代だろ」
同じく肩で息をしている秋月先輩に睨まれた千屋君は、肩をすくめ、軽やかに駆け出した。桐生先生に縦に真っ二つにされながらも、すでに再生を始めている弁天を、今度は薙ぎ払う。
「あー疲れた」
秋月先輩が汗をぬぐいながら髪をかき上げた。この動作に、同じクラスの女子が黄色い声をあげるのだ。
「それで、君、えーと、」
「あ、樫原です。樫原美雪」
「クラスは?」
「2-3です」
「おいこら秀一! うちの学年の生徒にコナかけてんじゃねーぞ!」
一瞬こっちに戻ってきた桐生先生が、叫んでからまた引き返す。
すごいわ先生。数学教師のくせしてなんて軽いフットワークなの。
「おーこわ。刀持ってるとますます恐いとおもわねー?」
秋月先輩がふざけて両方の二の腕を抱えながら言うから、思わず頬が緩んだ。しかし秋月先輩はすぐに顔を引き締めて、弁天を睨む。
「しっかし、本当に変わらないな」
弁天は2人に切られたところを凄まじい速さで再生していく。
「やっぱり優呼んだ方がいいんじゃねーの?」
メリケンサックつけた拳をたたき合わせながら、四十院君がぼやく。それには答えず、秋月先輩はのびをするともう一度弁天に向かって行った。
その時、
「千屋っ!!!!」
桐生先生の声が聞こえて、何事かと見ると、千屋君が弁天から伸びた手に足を取られ、壁に叩きつけられるところだった。
頭を打ったのかも知れない。糸の切れた人形のように手足の力を失って廊下に伸びる。
「千屋君!」
思わず駆け出していた。四十院君が止める声が聞こえたが、そんなもの気にしてられない。彼は、芽依の恩人なのだ。
「千屋君っ!」
細身の体を揺さぶると、少し眉を動かして呻いた。
良かった。生きている。
ところが、あたしは千屋君に意識を向けていたせいで、弁天の手がすぐ側まで来ていることに気がつかなかったのだ。
「美雪ちゃんっ! 前見ろ、前!」
秋月先輩の声に、顔を上げた時にはもう遅かった。
底の見えない微笑みが、目の前にあった。長い髪が影を纏い、手のように伸びて、うごめいている。琵琶を抱えた細い手が動き、あたしに伸びてくる。
じわじわと恐怖が這い上がる。
「樫原、立て、逃げろ! 樫原っ!!!!」
桐生先生達がこちらへ近づこうと必死になっているが、他の手に邪魔をされて上手くいかない。
逃げなくちゃ、逃げなくちゃいけない。
でも、足が竦んで動けない。本当に、力が入らない。
弁天の手が、あたしの顔に触れる。
その手が触れたところから、ざわざわと体中に何かが広がっていく。
真っ暗闇に落ちていくような感覚。
これは、きっと女の子達の恋する心が、負の方向へ育ったものなのだ。
その人を見つめれば見つめるほど、恋しくなる。
その人の側にいる人が誰もかれもが羨ましくなる。
羨ましくなると、恨めしくなる。
恨めしくなると、憎くなる。
胸が張り裂けそうだ。辛い。
恋なんて、まともにしたことがないけれど、こんなに辛いものだなんて。
遠くに桐生先生達があたしをよぶ声が聞こえる。
もうだめだ、と思った時、あたしは、自分のお腹の底になにか明るい物があることに気がついた。
そっと拾い上げる。
撫でると、光は輝きを増した。
手の平を天にかかげて、そのまま弁天の方へ伸ばす。
――――キィィィィィィィィッ!!!!!
あたしは、薄く張った膜の中からそれを見ていた。
黒い、怨という煙を上げ、弁天は耳が痛くなるような甲高い悲鳴を上げて、身のうちから壊れていく。
弁天が全ての怨をはき出して、元の木彫りの人形に戻った時、ようやくあたし自身も、正気に戻った。
あたしの膝の上に頭をのせていた千屋君が、細い眼を見開いて唇を震わせ、あたしを見ている。
何? 何なの?
恐くなって、あたしはあたりを見回した。
みんな、同じ顔をしている。
「浄化、した……」
桐生先生が、呟く。
「見たよな?」
桐生先生は振り返る。秋月先輩と、四十院君が頷く。
「俺も見ました」
千屋君が、言って、立ち上がった。
「今、ここで、彼女が、弁天を浄化しました」




