春の夜長に恋占い 1
――遅れる気はなかったのよ。
ただ突然、弟がお腹痛いとか言いだして、両親と一緒に救急病院へつれていったの。
結果として盲腸だったから、抗生剤で散らすにしても手術するにしても一週間ぐらいで退院らしいけど、それってあくまで結果論よね。あの時はどうなる事かと思って、肝が冷えたんだから!
だから、本当に、約束を守る気はあったんだってば!!
あたしはその日、友人の芽衣と約束をしていた。
場所は二宮高校新校舎2階、2-3の教室。あたしたちの教室だ。
目的はたいしたことない。最近女子生徒の間で噂になっている、すばらしく効く恋のおまじないとかいうやつを芽衣が試したいって言ったから。
このおまじないってやつが、女子高生のお遊びにしてはやたらハードル高くって、10時ちょうどに新校舎の2階の窓から見える旧校舎2階の校長室に飾ってある弁天さまに向かってこう唱える。
オン ソラソバティエイ ソワカ
これ、7回ね。噛んじゃ駄目よ。
するとたちまち効果が表れるそうで、突然告白されただとか急にデートに誘われただとか、良い噂ばかりが毎日耳に入る。だから報われない恋をしている芽衣が、藁にもすがる気持ちで試したいって言い出したのも、まあ納得できる。
でも芽衣はおまじないとか言ってたけど、どうかんがえても真言よね、これ。
弁天様にお祈りするのは理にかなってると思うけど、そもそもどうして校長室に弁天様がとか、どうして10時とか、だったら高台にある弁天様を祀ってるお寺にお参りにいったほうがいい気がするとか、疑問は尽きないんだけど付き合いだから仕方ない。一応親友だし。
それに私自身ちょっと興味があったのは事実だったの。だから約束を守る気はあったのよ。
破る気はなかったって言った方がいいかもしれない。
弟の透の入院手続きを済ませて、母がつき添うことになり、父と一緒に私が家についた時には、すでに時計の針は9時50分を回っていた。
私の家から学校までは20分。絶対間に合わない。
でも約束は約束。とにもかくにもそのまま家を飛び出して、学校まで全力疾走した。途中で携帯電話を忘れたことに気がついたけど、そんなもの取りに帰ってる時間はない。とにかく、あたしは学校に急いだ。
まだ冬を抜けきらない春の空気はひんやりと冷たく、走って汗ばむあたしの肌を冷ます。
冷たい空気が喉を抜けて肺に入り込み、むせそうになったころ、校舎が見えてきた。
あたしの通う二宮高校は、奥に去年増築したばかりの新校舎と手前に築50年くらいの旧校舎、二つの校舎が渡り廊下を挟んでHの字のように立っている。
間に合うかもしれない、と思った時お高さんの鐘がなった。高台にある寺だからお高さん。正式名称はわすれちゃった。お高さんは朝7時から夜の10時まで1時間おきに鐘をならして時間を教えてくれる。
まずい、と思って足を速めようとするが、日頃の運動不足がたたって逆にスピードは落ちてしまう。
鐘の余韻が空気を震わせる。芽衣は今頃ひとりで弁天様にお祈りをしているのだろうか。そう思ったらますます気ばかりが急いてくる。
鉄の校門はなぜか人一人通れるほど、開いていた。
芽衣が開けたのかな、と思って気にせずくぐって、また走る。そうしたら、校舎の入り口も、人一人分ほど開いている。
噂では、夜は入口のカギが閉まっているから裏手の巡回の警備員さん用の出入り口から入ること、とまで指示があったのだ。表から入ると警報が鳴るんだって。そりゃあそうよね、最近物騒だもの。
でも裏に回っていたのでは結構なタイムロスだ。校舎を突っ切れれば早い。
なんて幸運なんだろうと思って、あたしは校舎のなかに入った。靴を脱ぎ捨てて、靴下のままペタペタと上がる。下駄箱の奥に渡り廊下があって、そのまま新校舎へ行ける。新校舎を入ってすぐに階段があって、そこを上がればすぐあたし達の教室だ。
15分の全力疾走で千鳥足になりながら、先へ行こうとして、あたしはふと何かの気配を感じた。首を回すと、右手の廊下の突き当りの教室のわずかに開いた扉から、灯りが漏れている。
あそこは確か、美術室だ。
扉の隙間から灯りが煌々と漏れる様は、あたしを引きつけるのには十分だった。なぜか、足が向かってしまう。
――どうせ間に合わないんだし……
芽衣には悪いけど、薄情な理由をつけて、ゆっくりと灯りの方へ。
人の話し声が聞こえる。男の人だ。数人いる。
「――これで、俺達助かるんだよな」
「たぶんな」
「優の“時間”に間に合ってよかったよ」
「あと1年、危ないところでしたね」
4人、くらいかな?
全員男の声。
あたしはこっそり扉を開けて、中を覗き込む。うーん、よく見えないわ。これ以上開けちゃうとこっちに気づかれそうだし。
「とにかく、来週には西の湖へ行って、沈めよう」
「優は病院から出られそうなんですか?」
「厳しそうだな。検査結果次第で外出許可がでるかどうか……」
囁くような声に、胸がどきどきする。どうしよう、もしかして泥棒とか?
「許可がでなかったら仕方ない。俺たちだけで行こう」
なんだか重苦しい空気だ。泥棒ではなさそうだけれど、こんな時間にこんなところに集まってなにかしてるなんて、自分のこと棚にあげるようだけど、怪しいにも程がある。
と、その時、上の階で大きな音が聞こえた。何かが落ちるような音。
男達が緊張をみなぎらせた。
「……誰かいるな」
「いいのか、せんせい?」
からかうような声。とういうより、今、先生、っていわなかった?
「……見てくる」
「師範、俺も行きます」
2人分の足跡が近づいてくる。あたしは慌てて扉が開いたら視角になる位置に身を隠した。知ってる? 結構これ、わからないものなのよ。
扉が開き(幸いにもつぶされずに済んだ)2人、部屋を出て行く。
その背中を、そっと伺い見てあたしは思わず叫び声を上げそうになった。
だって、本当に“先生”だったんだもの。
桐生 啓介。
数学担当のとにかく厳しくて恐い先生で、この間7が1に見えたって不正解にされたのを文句言ったら、絶対零度の瞳で見られて3秒で白旗上げた相手。
学校一の不良の四十九院君だって平伏させるほどの恐ろしい人。
その後ろを行く人はみたことない顔だった。でも制服は見たことある。暗くてよく見えないけどたぶん白の学ランは近くの超有名進学校、九条学園のものだ。
2人はまるで幽霊みたいに足音を立てず、2階へと上がっていった。
……大丈夫かしら。もしかして今の、芽依がなにかしたとか?
不安になってこっそり追いかけたところで、2階から今度はガラスが割れる音がした。
ちょっと、これ大丈夫?
美術室から残りの2人が飛び出してくる。慌てて隠れて、その顔を覗き見て、またびっくり! 1人は秋月 秀一。学校一のモテ男で泣かした女は数知れず。で、もう1人がなんと件の四十院 桜多。ものすごい不良で方々で喧嘩しては進路指導の先生の手にも負えず、結局桐生先生に回されるっていう悪循環を繰り返してる男。半径1メートル以内に近づくと噛まれるっていう噂まであるくらいに凶暴なんだから。
あたしは慌ててあとを追いかけようと思ったんだけど、また、なにかに引っ張られるような気がして、後ろを振り返った。
開け放しになった美術室の扉。
教室の中には机が並び、奥に机を6つ並べてある一角がある。あそこで話していたんだろうか。そして、その机の上に、暗い廊下に煌々と光を溢れさせている教室のなかで、異質な輝きを放って、まるいガラス玉が乗っていたのだ。
その時のあたしは、きっとどうかしてた。だって、すぐそこで騒ぎが起きてるのに、まるで空き巣みたいにその隙を狙って、誰かの持ち物に触るなんて、普通しないわ。
でもね、あたしどうかしてたのよ。
きがついたら、ガラス玉は割れていた。
そう、あたしが割ったの。
これが、あたしと彼らの、はじまりだった。