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私たちはカラット王国の城下町へと足を踏み入れた。
町の周りは壁で囲まれている。いわゆる城塞都市というやつだ。さすがに警備も行き届いているという印象だった。
私たちは町の入り口にある検閲所で審査を受けた。
厳戒態勢の場合には、審査も大掛かりなものとなるが、なにせここは多くの人が行き来する大きな町だ。通常時の審査は簡単に済まされる。
私もエリーも、ちょっとした持ち物検査を受けただけで通された。
旅人などの馬は、検閲所の外にある馬小屋に預けられる。
そのため私は魔法の袋を手に持ち、メインストリートと思われる人通りの激しいこの道を、エリーとふたりで歩いていた。
夕陽も沈み、空は闇夜に包まれている。にもかかわらず、通りには明かりが煌々と灯り、凄まじいほどの活気で満ち溢れていた。
さすがは交易も盛んなカラット王国だけのことはある、といったところか。
ジュエリア王国だったら、夜ともなればほとんどの店は閉まり、数店の酒場が細々と明かりを点けている程度なのだが。
私は愛用のマントに身を包み、エリーを引き連れて街の中を歩く。
「ルビア、そんな長ったらしいマントなんて羽織って、歩く邪魔にならない?」
エリーが私のマントにケチをつけてくる。
しかし、なんという無用心な王子なのだろう。暑いのは苦手~、などとわがままを言ってマントも身に着けないどころか、両腕や太ももをさらけ出すほどの薄着で歩いているとは。
髪を切ったとはいえ、エリーはとても可愛らしい顔立ちをしている。
今は夜だからさすがに目立たないが、空が明るくなったら、こんな格好ではいろいろと問題があるかもしれない。
エリーは実は男なのだと言っても、ぱっと見ただけでは信じてもらえないだろう。
「このマントは騎士としての身だしなみだ。エリーもそんな薄着のままでは今後の旅に差し支える。今日はもういいが、明日はちゃんとマントを着けてくれよ。エリー用の短いマントを、せっかく王妃様が用意してくれたんだからな」
「む~。でもあれ、可愛くないんだもん」
そう言って頬を膨らませているエリー。
はぁ……。こんな心持ちで、はたして無事に旅を続けられるのだろうか。
不安は募るばかりだった。
私は歩きながら、きょろきょろと辺りの店を見回していた。
こんなに遅い時間では、さすがに城へ伺うというのも失礼にあたる。今日のところは宿を取り、馬を長々と走らせ疲れた体を癒しておこうと考えたのだ。
私だけならば粗末な宿でも構わないのだが、仮にも王子であるエリーがいるからには、あまりひどい宿を選ぶわけにはいかなかった。とはいえ、贅沢ができるわけでもない。
ある程度は快適に休めそうな宿を探しながら、私はエリーとふたり、昼間のように賑やかな町並みを歩き続けていた。
「うっわ~、ルビア! これ、可愛いよ!」
エリーは露店に並べられた様々な品物を見ながら、無邪気にはしゃぎ回っている。
ずっと城の中で生活していたから、こういった場所は初めてなのだろう。物珍しさでいろいろと見て回りたいのもわかる。
私はとりあえず、エリーの好きなようにさせていたのだが。
「ルビア~! これ、美味しそうだよ! 買って買って~!」
エリーの興味は留まるところを知らないのか、あれが欲しい、これが欲しいと、しきりにねだっては、小躍りしそうなほどのはずんだ声を上げていた。
そのあまりの浮かれっぷりに、道行く人が振り返って何事かと見ていくほどだ。
自分がどういう立場だかわかっているのだろうか、この王子は。
……いや、完全に忘れているのだろうな。キラキラと好奇心に満ちたエリーの瞳は、いつもの数倍の輝きを放っているように感じられた。
ともあれ、ここまで落ち着きのない状況では、さすがに問題があるだろう。
周りには人も多い。それだけならまだいいが、時間的にもアルコールの入った酔っ払いの姿がちらほらと見られるようになっていた。
ふらふら歩く酔っ払いと、ふらふらはしゃぎ回るエリー。
そんなふたりがすれ違ったらどうなるか、予想もつくというものだ。
「わっ!」
エリーは案の定、酔っ払いにぶつかってしまった。その酔っ払いは、がっしりとした体格の大男だった。
ぶつかった勢いで弾き飛ばされ、エリーは道に倒れ込む。
とはいえ、確実に悪いのはエリーだ。道の両端にずらりと並ぶ露店に目を奪われ、ぶつかってしまったのだから。
「おう、嬢ちゃん、危ねぇじゃね~か! ちゃんと前を見て歩け!」
「痛たたた……。なんだよ! 倒れたのは僕のほうなんだからね! そっちが悪いのは明白じゃん!」
酔っ払いのごもっともな意見に、エリーはすごい勢いで反撃していた。
おいおい……。
私は呆れてしまう。
「なんだとぉ~? 嬢ちゃん、冗談も大概にしないと痛い目を見るぜ?」
酔っ払いは、今どきこんなことを言う奴がいるのか、というようなセリフを吐きながら、エリーに詰め寄ってくる。
「うるさい! それに僕は男だ! 嬢ちゃんじゃないよ!」
「なんだとぉ~?」
酔っ払いは身を屈め、倒れているエリーの全身をくまなく舐め回すかのように、ねっとりした視線を這わせる。
さすがのエリーもたじろいでいるようだった。
「そんな可愛い顔して、男だとぉ~? 嘘をつくなよ、嬢ちゃん!」
さらに顔を近づけてくる酔っ払いに、顔をそむけながらも、エリーは懲りもせず反抗する。
「嘘なんてついてないもん! それよりお酒臭いんだから、近寄らないでよ!」
まったく、こいつは……。
いくらなんでも、そろそろ止めてやらないとヤバそうだ。私はふたりのあいだに割って入った。
「ん? なんだ、てめぇは!?」
「私の連れが失礼した。許してやってくれ」
酔っ払いは、頭を下げる私のほうへと怒りの矛先を向け直す。
エリーはすでに私の背後に隠れていた。
「おいおい兄ちゃん、謝って済むと思ってんのか!? この落とし前、どうつけてくれるっていうんだ、あぁん!?」
勢い込んで凄んでくる男の手に、私はそっと金貨を握らせた。
感触で見当はついただろうが、男は握った手を目の前で軽く開き、中にある物体をしっかりと確かめる。
男の目は一瞬で変わった。
まぁ、向こうもべつに騒ぎを起こしたかったわけではないだろう。
「……ふん! ま、今回は許してやらぁ。その嬢ちゃんには、しっかり言い聞かせておけよ!」
それだけ言い残すと、男はそそくさと去っていった。
周りで息を殺して成り行きを見守っていた野次馬たちも、ほっと安堵の息を吐いていた。
「嬢ちゃんじゃないのに……」
不満そうにつぶやいているエリーの頭を、私はゲンコツで叩く。
「痛っ!」
そして、抗議の目を向けてくるエリーの手を引いて、素早くその場を離れた。
これ以上騒ぎを起こされては、身がもたない。早いうちに宿を探して休もう。
日々の鍛錬で体力に自身があったとはいえ、長々と馬を走らせ、私も疲れているのは確かなのだから。
☆☆☆☆☆
「ああいうのって、あまりよくないと思うな」
宿を探して歩きながら、エリーはまだ愚痴愚痴言っていた。「ああいうの」とは、お金を渡して解決したことだ。
「お金だって無限にあるわけじゃないんだから、節約しないといけないじゃん」
その意見自体はもっともだ。
もっともなのだが……。
「だったら最初から、あんな酔っ払いに突っかかったりするな!」
「え~? だって、僕は転んだんだよ~? 痛かったんだから!」
「自業自得だろう、ちゃんと周りを見ていなかったんだから。それに、あのまま放っておいたら、それこそもっと痛い目を見てたと思うが? それでもよかったのか?」
「う……」
エリーもべつに、わかっていないわけではないのだろう。ただ単に、私がいることで甘えてしまっているだけなのだ。
もちろん、それではダメだというのを思い知らせるために、さっきはすぐに止めに入らなかったのだが。
「とにかく、もっと注意しないとダメだぞ? だいたいエリーは、髪を切ったとはいえ、ぱっと見は女の子にしか見えないんだからな。この町なら大丈夫かもしれないが、もっと治安の悪い町だったら、さらわれたりしないとも限らないぞ?」
「でも僕、男だし。大丈夫だと思うけどなぁ」
「……美少年好きな趣味のやからもいると聞くぞ? 脂ぎったデブオヤジの慰み物になりたいのか?」
「うっ……それは、さすがに嫌だな……」
「ともかく、自分の立場を考えて行動しろ」
む~、と口を尖らせるエリー。
不満そうな顔をしながらも、私の手はしっかり握ったままだった。さらわれたりしたら怖い、という思いは抱いているのだろう。
こんな様子を見ていると、やはりまだまだ子供なんだな、と思う。
城の中から出られない上、姫の影武者として存在を隠されて育てられてきたのだから、一般的な教養が欠落していたとしても、一概にエリーを責めるわけにはいかないと言える。
どちらかといえば、教育係を仰せつかっていた私の責任、ということになるのかもしれない。
私たちは黙ったまま歩き続けた。
分が悪くなると黙り込んでしまうのは、エリーの悪い癖だ。将来を考え、直しておくべきかとは思うが……。
今日はエリーだって疲れているはずだ。教育はこのくらいにしておくか。
そんな私の目に一軒の宿屋の看板が映り込んだのは、エリーがまぶたをこすって眠そうにしている、まさにそのときだった。
豪華というわけではなく、それでいて粗末な感じもない、清潔な雰囲気のたたずまい。
見たところ一階は酒場になっているようだが、バカ騒ぎするような声も聞こえない。
旅人の宿「アクアマリン」。
質素な看板には、そう書かれてあった。
エリーも限界のようだし、今夜はこの宿に決めるとしよう。
私はすでにうつらうつらし始めているエリーの手を引きながら、宿の扉をくぐり抜けた。