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それから数日の間はごくありふれた日常が続いていた。
騎士団としての訓練に汗を流し、夕方になる前に少しの予習をしてからエリー王子の勉強。
休憩を挟んで夜になっても、エリーが寝るくらいの時間まで勉強は続く。
深夜になると、エリーからの質問で答えられなかった部分や曖昧な部分があったら確認をし、最後に軽い体力作りだけして寝る。
朝になれば王妃への報告を行い、また一日が始まる。
「ねぇ、ルビア。たまには本を読んでよ!」
勉強の合間に、エリーは時々、こうして本を読んでほしいとせがんでくる。
小さい頃からの教育係ということで、よく物語の本などを読み聞かせていた。その時間がエリーも好きらしく、今でもたまにお願いされるのだ。
お姫様が様々な困難を乗り越えて王子様と結婚し幸せに暮らすといった物語も多いが、エリーが好きなのはそういった話ではない。
エリーが好きなのは意外にも、悪い魔族などが現れて、それらを勇者がバッタバッタとなぎ倒すような英雄譚だった。
今日も私は本棚の中からエリーが喜びそうな本を手に取り、読み聞かせてやった。
暁の緋き魔族王と呼ばれるカルセドニーの手によって、炎に包まれた王国。圧倒的な魔王の力に成すすべもない国民たちは、ただただ恐怖に震えていた。
そこへ颯爽と現れたのはイケメンの王子様。
お前の悪事もここまでだ! とばかりに、魔族に斬りかかる。
しかし、王子は魔族の反撃を食らってしまった。魔族に普通の剣での攻撃など効かないのだ。
絶体絶命のピンチに陥った王子。
ここで負けてしまっては、大好きな国民たちを守ることはできない。悔しさに涙をこぼした。
と、その手に握られていた剣から、突如としてまばゆい光がほとばしる。その剣は、実は伝説の魔法剣だったのだ。
彼の想いに共鳴した魔法剣の力で魔王は倒される。
ただ、王子もまた、役目は果たしたと言い残し、永遠の眠りについてしまうのだった。
王子の死を悼んだ国民たちにより、彼の活躍は誇るべき英雄の伝説として、今も語り継がれている――。
そんな内容のお話だった。
魔族だの伝説の魔法剣だの、物語としてもかなり無理があるように思うのだが、エリーは瞳をキラキラ輝かせて夢中になっていた。
「カッコいいなぁ~。僕も英雄になりたい! でも、英雄として称えられたけど、結局、王子様は犠牲になってしまったんだから、悲しいお話なのかもしれないね」
エリーは物語を聞き終えると、率直に感想を述べる。
教育係としてお話を読んで聞かせるのは、考えることが大切だからだ。
物語の中の様々な場面を想像し、自分なりに考えを巡らせながら成長していく。そのためにも、こういった時間は必要なのだ。
……できれば、自分で読んでくれるようになってほしいものだが。
こんな、いつもどおりのとても平和な日常。
カラット王国からの使者が来たことすら忘れてしまうくらいに、日々は何事もなく過ぎ去っていった。
湿った空気が心までをも曇らせるかのように薄暗くすべてを覆い尽くしてしまう、運命のその日までは――。
☆☆☆☆☆
訓練場から自室に戻った私のもとへ、衛兵のひとりが言伝にやってきた。
王妃が呼んでいるので、至急謁見の間まで来てほしいとのことだった。
私は訓練で疲れた体を少し休めたいとも思ったが、至急と言うからには急がねばならないだろう。
さすがに汗まみれの訓練着だけは着替え、急いで部屋を出て王妃の待つ謁見の間へと向かった。
「ルビア!」
謁見の間に入るなり、サーヌ王妃の声が響いた。扉を閉じると、王妃と王の御前まで出て片膝をつく。
衛兵たちはすでに下がらせてあり、今この部屋にいるのは、朝の報告会と同じように三人だけだった。
「疲れているところ、すまないな。早速だが大変な事態になった」
曇った顔の王妃が告げる。ディル王も、目を伏せていた。
「エメラリーフが……姫がいなくなったのじゃ」
謁見の間の外まで声が漏れないようにとの配慮だろう、声を落として王妃は語った。
姫はこのところ、ずっと元気がなかったのだという。あの縁談話があってからだ。
国のためという建前はあろうとも、よく知りもしない相手との結婚を重く受け止め、思い詰めていたのだろう。
王妃はもちろん、カラット王国の使者にはその場で返事などはせず、すぐに帰ってもらっていた。
使者としても、カラット国の王妃がトパルズ王子の縁談を考えているので、そのうち正式にお話したいと思っている、といった意向を伝えに来た程度だった。
そのため、返事を先送りにしたとしても、なんら問題はない……はずだった。
エリー姫がトパルズ王子に実際に会ったのは、かなり幼い頃が最後らしい。
だが、甘ったれた自分勝手な王子という悪い噂話は耳にしていたに違いない。
そんな相手と結婚させられるかもしれない、と思って悩んでいたのだろう。そして思い詰めたあまり、家出を決行した、といったところだろうか。
「それならば、まだよかったのかもしれぬ」
王妃はさらに沈んだ口調で続けた。
どうやらエリー姫は、さらわれたのではないか、と。
「なっ!? し……しかし、王城に忍び込んだ上、姫をさらって見つからずに出ていくなど、そうそうできるわけもないと思われるのですが……!」
城には衛兵たちが常に巡回している。
さほど裕福な国ではないとはいっても、ここは仮にも一国の王城なのだ。それなりに警備の手はある。
だいたい、私たちを含めた騎士団だって、城内の見回りの任務には就いているのだ。
私自身は王子の面倒を見る役目もある関係上、ほとんどその任に就くことはないが、持ち回りで担当となり場合には、我が第三騎士団の面々も登城して責務をまっとうしているはずだった。
「無論、なにかの間違いであってほしいとは思っておるが……。ただ、姫の部屋に不自然な部分が多くあったのじゃ。肌身離さず身に着けているはずのお気に入りのペンダントも置きっぱなし、クローゼットも調べてみると、どうやら寝間着のままいなくなったようでな。部屋からは窓を伝って外に出たようなのじゃが……」
「ですが王妃、姫の部屋はこの城でも一番上の……」
「そうなのじゃ。あの高さからでは、たとえロープを下ろしたとしても、姫の力で降りていけるとは到底思えぬ。誰かが抱えたまま降りるというのも厳しいじゃろう。わらわは、薬などで眠らせた姫をロープで縛るなどして固定したまま、下に降ろしたのではないかと考えておる。それでも危険だとは思うのじゃが。もし、そうでもないとするならば……」
そこでサーヌ王妃は一旦言葉を止めた。が、どうにか続きを口にする。
「魔法を使って、運んだことになるかの……」
☆☆☆☆☆
――魔法。
普通の人間が持ち得ない特殊な能力を、すべてひっくるめて魔法と呼ぶ。
古代の王国の書物を見ると、宮廷魔術師など魔法を使える者も、数は少なかったと思われるが、一般に認知される程度には存在していたらしい。
書物・文献などのすべてが正しい記述だとは、さすがに言いきれないだろう。だが、今でも数多く残る魔法のかかった品物が、魔法使いの存在した確固たる証拠となっていた。
とはいえ、現在では魔法使いは事実上存在しないと考えるのが一般的だ。
魔法のかかった品物を使う場合でも、念を込めるなど、ある程度の資質と訓練が必要となる場合が多い。
そのため、現在の世においては、普通に魔法使いといえば、魔法のかかった品物を扱える人という意味合いで使われている。
あくまでも魔法を使える者は伝説上の存在、そう思われていた。
しかし……。
実際に自らの力で魔法が使える真の意味での魔法使いも、どこかでひっそりと現存しているのではないか、と考える者も少なくない。
昔は普通に存在していたのに、今はいないなんておかしい、という理論だ。
もしそんな魔法の力を持った人間がいるとすれば、大いなる脅威になるとして怖れられるのも、ごく自然な流れと言えるだろう。
我が国の民衆は、魔法使い――いや、魔法の品物を扱えるだけの人と区別するために、魔術師と呼んだほうがいいだろうか、その魔術師という存在を怖れている。
いや、我が国だけではない。全世界的にそういう風潮にあると思っていい。
魔法のかかった品物は便利なため、それを応用した物が量産され、現在では一般の人でもある程度使えるようになっている。
そういった魔法の品は普段から使っているというのに、魔術師を怖れるというのもおかしな話だと思わなくもないが。
いつの時代でも恐怖の対象というのは、えてして話題になりやすいものだ。人間とは元来、怪談や噂話のたぐいが好きな生き物とも言えるのだから。
魔術師を怖れるような話を語り継ぐことも、ある意味では娯楽のひとつとなっているのかもしれない。
☆☆☆☆☆
話は少し逸れてしまったが、魔術師が関わっていようがいまいが、エリー姫がいなくなったことに変わりはない。
それは現実として重く受け止めなければならないのだ。
「縁談の話も少々問題になっていての。先日カラット王国から使者が来たときには急がないと聞いておったのじゃが、できればすぐにでも話し合いの場を持ちたいとの書状が届いてしまったのじゃ。まぁ、トパルズ王子がエリー姫に会いたいと騒いでいるだけ、という可能性も高いのじゃが。ともかく、姫がいなくなったことを知られてしまうのは、いろいろとマズいであろう」
確かに、縁談相手の姫が失踪したと知られたら問題になる。
しかもそれが、さらわれたとなったら……。場合によっては、傷物に……。
と、そこまで考えて、私はその恐ろしい考えを振り払った。
「そういうわけじゃから、早急に、そして極秘裏に姫を探さねばならぬ。その任をお主に与えようと思っておるのじゃ。お願いできるか?」
「……わかりました。命に代えても、姫を探し出します!」
それが私の使命だ。
エリー王子のことが気がかりではあったが、そうも言っていられないだろう。しばらく王子の勉強はお休みするしかあるまい。
「王子に影武者になってもらって、姫の不在を国民にも知られないようにせねばならんな」
「待ってください、お母様!」
突如、王妃の声を遮って、ひとりの人影が謁見の間に飛び込んできた。
それはエリー王子だった。
彼は謁見の間の奥側にある扉――王妃や王の自室からこの部屋へと続く通路側の扉から入ってきた。
そこは、王族以外通ることを許されていない通路だ。ただ、エリーの生活している、物々しい金属製の扉がついたあの部屋とも、秘密の通路でつながっている。
たまに王妃がエリーの様子を見るために使っていると聞いてはいたが、私自身は通行を許可されていない場所となる。
おそらくはエリーも、部屋を抜け出して謁見の間の様子をうかがったりといったことを、頻繁にしていたのだろう。
今日もそうやって扉の前まで来たものの、私と王妃との話し声がしたため、邪魔をしないように聞き耳を立てていたというところか。
エリーは長い栗色の髪を振り乱しながら、つかつかと王妃のもとへと歩み寄る。
そしてサーヌ王妃の正面に毅然と立ったエリーは、はっきりとした声で、こう言い放った。
「僕も……ルビアと一緒に、お姉様を探しに行きます!」