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皇都セミナピッツの中央広場に、大きな人垣ができていた。
ジュエリア王国のエメラリーフ姫を公開処刑するという噂が瞬く間に広がり、多くの人が集まってきていたのだ。
当然ながら、公開処刑の話を聞いてすぐに真実だとは思わなかっただろう。だが、なにが起こっているのか確かめたいとは思ったはずだ。
そして会場に作られた高台の柱に縛りつけられたエリー姫の姿を見て、本当のことなのだと認識する。
柱に縛りつけられているのは、姫の扮装をしたパールなのだが、遠目からではわかるはずもない。
エリー姫が初めて公の場に姿を現した成人の式典から、まだ大して日数も経っていないのだ。噂には聞いていたとしても、その姿を実際に見たことがある者など、この国にはほとんどいないだろう。
一般市民を騙すだけなら、べつに姫と見た目が似ているパールが姫役を務める必要はない。
とはいえ、騙す必要があるのは実際に姫をさらったと考えられる組織のほうだ。
昨夜パールが話していたとおり、ここで姫の公開処刑が執り行われると知れば、さらには処刑される人物の姿が姫とそっくりだと知れば、もしかしたら自分たちがさらった姫のほうが偽者なのかもしれない、という考えを奴らが持っても不思議ではない。
処刑されようとしている姫が偽者なのかどうかを確認するため、組織の人間がパール扮する姫に近づいてくる可能性は高いと思われる。
高台の周りには、スノーフレークを統率しているアレックスを筆頭に、物々しい装備の衛兵たちが覆い尽くしていた。
組織の連中が近づいてきたら、すぐにでも取り押さえられるはずだ。
エメラリーフ姫の公開処刑という名目になっているので、ディル王とクリストの姿は見えなかったが、おそらくは広場のどこかに身を潜めて様子をうかがっているに違いない。
高台の周囲に集まった群集の中には、黒曜帝と琥珀妃、加えて猫目姫の姿もあった。
「これは、いったいどういうことだ!? アレックス、答えろ!」
などと、あの温厚な黒曜帝が怒鳴っている。その様子を見る限り、今回の件に皇帝は絡んでいないようだ。
黒曜帝だけでなく、琥珀妃も驚いたような顔をしていた。
猫目姫も同じように驚きの表情を浮かべていたが、彼女はすでに昨日の時点で状況を知っている。こちらは完全に演技だった。
私とエリーは今、高台の下に作られた隙間に潜んでいる。
ここは死刑執行の直前、パールが人形と入れ替わり退避するために作られた場所だ。衛兵たちが準備を開始する前、まだ夜も明けていない暗いうちから、私たちはこの場所に忍び込んでいた。
あまり広いスペースはない。そこにエリーとふたりで寝そべっている状態で、もう何時間も潜んでいるため、体中に痛みを感じていたりはするのだが。
「これから、エメラリーフ姫の公開処刑を開始する!」
アレックスが高らかと宣言し、公開処刑の儀がスタートした。
その声に合わせて衛兵たちにも緊張が走る。
周りの群集から高台を守る衛兵たちが多数、一定のラインからは誰も入れないように、人壁となって囲っていた。
やがて、高台の上に立つ三人の銃士が構えを取る。
中天近くまで昇った太陽の光が、銃口に反射してきらめいていた。
今回行われる処刑の方法は、魔銃殺だ。魔法銃という魔法の力で放たれる古代の銃器によって、一瞬にして撃ち殺される。
近年では処刑の執行自体が少ないため、魔銃殺もなじみのない方法にはなっていたが、昔はよく行われたらしい。
正式な処刑の儀式には細かい決まりがある。
三方向から同時に撃たれることになるのだが、その銃の配置は、真正面と、それぞれ左右に三十度、目標から十メートルの位置で構えることになっているのだ。
なお、銃弾にも特殊な魔法の道具が使われるため、撃たれた者は痛みを感じることなく瞬間的に命を奪われ、血もまったく流れないと言われている。
血も出ないということで派手さはないものの、公開処刑というのはもともと見せしめのために行われる儀式だ。
そのため、ある程度パフォーマンスとして人の心に刻まれるような演出がなされる場合が多い。
今回もあっさりと処刑を終わらせたりはせず、ゆっくりと時間をかけて儀式を執行する手はずになっている。
作戦では、そこを狙うことになっていた。
銃が撃たれる直前、演出のために煙で辺りを覆い尽くす。
そのあいだに、パールを人形と入れ替え、素早く柱に縛りつける。
煙が晴れて姫の姿が現れた瞬間に、大げさな音響効果を施した銃声とともに魔法銃の弾が撃たれる。
弾が撃ち込まれた衝撃で激しくのけぞったあと、人形はぐったりと項垂れる。
あまり観衆を近づかせないのは、このときにバレてしまわないためという理由もあった。
最後に、速やかに公開処刑の終了を宣言し、後処理を始めてしまえば万事OKというわけだ。
儀式のあいだに、観衆を監視する衛兵を広場内に多数配置しておけば、不審な動きをする者なども把握できる。
組織の奴らだと確認できたらそのまま泳がせ、尾行して組織の本拠地をつかむという寸法だ。
そんなに上手くいくものだろうか、という思いもあるが、スノーフレークとしては少しでも情報を得たいというのが本音なのだろう。
直前に周辺を覆い尽くす煙は、魔法の道具である「発煙石」を使って発生させる。
高台の円周部分に小さな穴が開けられ、その中に発煙石が埋められてあった。
発煙石は太陽の光に反応して煙を発生する。つまり、太陽が完全に中天に差しかかったタイミングで、煙が発生することになるのだ。
タイミングが来るまで、儀式の演出としてちょっとした時間稼ぎが行われることにもなっていた。
その時間を使わせてもらう。
突然、ぐったりとしていたパール扮する姫がその顔を上げる。
しかしその様子は、完全に常軌を逸していた。
「ぐへへへへへへへへへ!」
異常な笑い声を上げながら、暴れ始める姫。
彼女が腕を広げると、厳重に縛りつけてあったはずのロープが一気に引きちぎられる。
「ぐへへへへへへへ! 我は魔族の王、カルセドニー! 長年の眠りから、今こそ目覚めたぞ!!」
観衆に、そして衛兵たちに、ざわめきが広がる。
演出ではないなにかが起こっている。それは高台の上で動揺しているアレックスの様子をを見れば一目瞭然だった。
異変の発生に逃げ出す観衆も現れ、パニック状態になり始めていた。
衛兵たちはさすがに逃げ出したりはしなかったが、それでも明らかな動揺がうかがえる。
魔法銃を構えていた銃士たちもその銃口を下げ、「なにが起こってるんだ!?」などと口々に叫びながら、辺りをきょろきょろと見回していた。
「ぐへへへへへへへへへへ! まずは手始めに近くにいる人間どもを殺してやろうか!」
姫は口からよだれを垂れ流しながら、血走った目を見開いて周りの衛兵たちを威圧していた。
それにしても、凄まじいな……。
もちろんこれはパールの演技だ。
ロープにも最初から切れ目が入れてあった。人形と入れ替わる時間を短縮するため、少し力を入れれば千切れるようになっていたのだ。
さらに、魔族の王、カルセドニーうんぬんの発言に関しても、当然がならでたらめ。
エリーによく読んで聞かせていたお話に出ていた魔族の王の名前をそのまま拝借し、パールが演技しているだけなのだ。
セリフはエリーが考えたものをもとに、パールがアドリブを加えて演じることになっていたのだが、まさかここまでとは……。
迫真の演技というやつだ。
さて、このあとは私たちの出番が待っている。気を引き締めなければ。
騒ぎで混乱した中でも、時間は刻一刻と過ぎていく。
ほどなくして、太陽は中天へと昇った。
予定されていたとおり、発煙石から発生した煙が辺り一面を覆い尽くす。
その機に乗じて、私とエリーは潜んでいた狭い隙間から身を起こし、パールのもとへと急いだ。
私たちがパールのそばに着くと、そこには猫目姫の姿もあった。混乱に紛れて高台に上ってきたのだろう。
「さあ、早く逃げるにゃ!」
その言葉に従い、私はパールの手を取ると素早く高台から飛び降りていた。
「こっちにゃ!」
すかさず猫目姫が先導してくれた。観衆が混乱する前から周りを探り、人の少ない方向を見つけておいてくれたのだろう。
高台から離れ、広場から脱出しようとする私たち。
騎士としての身だしなみであるマントが走るのには邪魔だったが、気にしている暇はない。
これが、エリーの考えた作戦だった。
公開処刑の最中、パールが魔族を語ることで混乱を生じさせ、儀式を中断させる。
儀式が中断しても、太陽の動きに変わりはない。煙は予定どおりに上がることになる。
その煙幕に紛れ、私とエリーがパールを連れて逃げ出す。
猫目姫にはあらかじめ、私たちの逃走のサポートをお願いしてあった。
特殊部隊の作戦には、なんらかの裏がある可能性が高い。そう考え、パールの身の安全を優先させることにしたのだ。
中央広場を出たら、一直線に城へと向かう手はずになっていた。
特殊部隊を統率している隊長という身分のアレックスでも、帝国の城にまで手を出せるはずはない。
黒曜帝も関わっているようだったら問題があったかもしれないが、その可能性はなくなったと言っていいだろう。
高台の周辺にはまだ、大量の煙が立ち込めている。
衛兵が追ってくる気配もない。
ここを抜ければ、すべて終わりだ。
私たちは悠然とした気持ちで、中央広場の出口を目指していた。
そんな私たちの行く手に、人影が浮かび上がった。
動きを止める猫目姫。
続いていた私たちの動きも、必然的に止まる。
いつの間に回り込んだというのだろう。
目の前に立ちはだかった人影、それはアレックスだった。
だが……。
――グルルルルルル……!
低いうなり声を轟かせていて、明らかに様子がおかしい。
そしてアレックスは、その口を開いた。