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コンコン。
エリーが勉強に飽き始めた頃、扉をノックする音が聞こえた。
「紅茶とお菓子をお持ちしました」
綺麗な声が金属製の扉越しに響く。
「あっ、パールだ! 入って入って! おやつの時間~!」
エリーがペンを転がして扉に飛びつく。
まぁ、いい時間だし、少々休憩を取るか。集中力なんてそう長くは続かないし、やる気のない状態で勉強しても頭に入らないだろう。
……我ながら甘いな、とは思うが。
扉を開けて入ってきたのは、侍女のパールだった。
私とは幼馴染みで、パールの母親もこの城で侍女をしていた。その関係で親同士も仲がよく、今でも実家に戻った際には度々遊びに来ているのを見かける。
彼女は長いウェーブのかかった栗色の髪を優雅に揺らしながら、エリーに飛びつかれながらも笑顔を絶やさない。
お盆の上の紅茶をこぼさないように懸命にバランスを取りつつも、手馴れた様子でエリーをあしらっていた。
「ほらほら、そんなに急がなくても、なくなったりはしないんだから。ちゃんとテーブルに着いて、お行儀よく食べるのよ?」
「はぁ~い」
エリーは素直な返事をすると、パールの言葉に従い、椅子に座って紅茶とお菓子が置かれるのを待つ。
本当に嬉しそうに笑っている。
「今日はクッキーを焼いてみたのよ。チョコチップ入りのと、苺のジャムをトッピングしたのも作ってみたのだけれど、どうかしら?」
「うん、どっちも美味しいよ! さすがパールだねぇ~!」
エリーはそう言って、口の中にクッキーを次々と放り込む。
「こらこら、そんなに一度に食べるな。水分も取らないとノドに詰まるぞ」
「え~? 平気だよ、いくらでも食べられ……んぐっ!」
と、そこで声を止めて苦しそうな表情をするエリー。
ほら、言わんこっちゃない。
エリーは咳き込みながら、急いで紅茶をノドに流し込んでいた。
「けほっ、けほっ。……も~、ルビアがごちゃごちゃ言うから、ノドに詰まったじゃないか!」
「おいこら、責任転嫁するんじゃない!」
「僕、悪くないもん!」
こんな頑固なところは、いったい誰に似たのやら。
私の脳裏には、いつもほんわかした笑顔の印象しかないのに、言葉には圧倒的な威厳を持ったサーヌ王妃の姿が浮かんでいた。
あの人も言い出したら聞かないタイプだったな。
ディル王がいつも隣で苦笑いを浮かべているのが思い出された。血は争えないというやつか。
「ふふふ。ほんとに、ここはいつも楽しい雰囲気ね。こんな感じなら、勉強もイヤじゃないでしょ?」
パールが紅茶のおかわりを注ぎながら、エリーに笑顔で言葉を向ける。
「う~ん、でもね、ルビアってば意地悪だから~。僕が悩んで苦しんでるのを、笑いながら見てるんだよ?」
「お前が全然理解しないからじゃないか。しかも、すぐに別のことに気を取られるし。もうちょっと集中力を持ってだな……」
「む~、聞こえないも~ん!」
エリーは耳を塞いで憮然とした表情をする。
まったく、こいつは……。
パールは相変わらず、ふふふ、と笑みを浮かべていた。
「ほら、ルビア。お勉強も大事だけれど、他にも大切なことはあるんだから。うふふ、ふたりとも、やっぱり楽しそう。エリー王子は、ほんとにルビアのことが好きなのね」
そんなふうに言われて少々照れてしまう私だったが、見るとエリーも同じように赤くなっているようだった。
おっと、少々解説しておくべきだな。
パールは私と同様、ここにいるエリーが王子だと知っている数少ない人間のうちのひとりだ。
エリー王子のことは極秘事項のため、他の人には知られてはならない。パールには妹がいて、侍女の見習いとして手伝いをするためによく城に来ているのだが、その妹にすら秘密だった。
「さて、そろそろ行きますね。食べ終わったお皿とコップは扉の前にでも出しておいてください。あとで取りに来ますから」
「え~? もっとゆっくりしてけばいいのに~。一緒にクッキー食べようよぉ~!」
エリーが残念そうにパールの腕にすがって哀願する。
パールがいなくなったら、すぐにとは言わないが勉強再開の時間が近づくというのがわかっているからだ。
もちろん言葉どおり、パールにもっと一緒にいてほしいと思っているのも確かなのだろうが。
「こら、エリー。パールにだって他の仕事があるんだ。わがまま言うんじゃないぞ」
「ぶ~」
私がたしなめると、エリーはぶすっとした表情になる。
しかし、よくこうもコロコロと表情が変わるものだ。
これで男の子なのだから、なんというか将来が心配な気がしないでもない。
「ふふふ。またあとで来るから、ね? ちゃんとルビアの言うことを聞いて、しっかりお勉強するのよ?」
「はぁ~い」
エリーはパールの言葉だと素直に従う。なぜか私には反発することが多いのだが。
「それじゃあ、お邪魔しました。ルビア、今日もお疲れ様。お勉強の後半戦も、頑張ってくださいね」
しなやかな仕草で立ち上がり、私にそう言い残してウィンクをしたパールは、静かに部屋から出ていった。
☆☆☆☆☆
「さて、勉強再開といくか」
「え~? まだクッキー残ってるよ~? 紅茶だって冷めちゃうんだから、食べ終わってからにしようよ!」
笑顔でお願いしてくるエリーに、ピシャリと否と答えられるほどの厳しさを、私は持ち合わせていなかった。
つくづく甘いな、私は……。
「食べ終わったら、ちゃんと勉強するんだぞ?」
「うん!」
クッキーを両手に持って微笑みの度合いが五割増しになったエリーを見ていると、こちらまで笑顔になってしまうから不思議だ。
「でも、パールって可愛い人だよねぇ。お料理も上手だし~」
「ああ、そうだな」
素直に答える。幼馴染みだから彼女のことはよくわかっているつもりだ。
さっき持ってきてくれたようなお菓子はもちろん、様々な料理もお手の物。性格もいいし、細かな気遣いもできる。
たまにちょっとしたポカをやらかしたりもするが、それが逆に可愛さを際立たせる要因になっているとも言えるだろう。
「ルビア~?」
思わず穏やかな表情になっていた私の顔をのぞき込むエリー。
「やっぱり、パールのことが、お・き・に・い・り?」
ニヤニヤしながら、変な区切り方で強調した言い回しをして私をからかい始める。
そりゃあ、パールのことは嫌いではないが、なにせ幼馴染みで小さい頃から意識してなかったのだから、今さらこれといってなんとも思ったりは……。
いや、確かに綺麗になったなぁ、と感心はしているが……。
と、そんなふうに内心焦っていても仕方がない。こういう場合の切り札を、私は持っているのだ。
「べつに、そういうのじゃないって。それよりお前のほうはどうなんだ? 妹のシストちゃんと上手くやってるのか?」
こちらもニヤニヤしながら言い返してやる。
シストというのは侍女見習いをしているパールの妹の名前だ。
パールも小さい頃から城に見習いとして来ていたのだが、そんなパールにくっついて城内に顔を出していたのがシストだった。
中庭でお花と戯れていたエリーと出会い、よく一緒に遊んでいたらしい。
エリーが姫の双子の弟だというのは極秘事項で、姫はひとりっ子だということになっている。
とはいえ、うりふたつなほどそっくりな顔で、しかも城にいるのだから、無関係というのも不自然だ。
そう思ったエリーはシストと出会った際、自分はエメラリーフ姫だと名乗ったのだそうだ。
中庭はエリーのお気に入りの場所で、よくそこに行っていた。そんなとき、そこに偶然通りかかるシストと会っては、いろいろとお話をしているのだという。
いくらエリーといえども、話してはいけない内容については理解していた。
そのため、会話の内容としてはもっぱら、花に関する話をしたり、シストに城の外の話をいろいろ聞いたり、といった感じだったらしい。
しかし、シストが偶然通りかかった、というのはちょっと違うのではないかと私は思っている。おそらくシストは、エリーのことが気になっているのだろう。
それを指摘すると、エリーは顔を赤らめるのだ。
「シストは関係ないじゃん! だいたいシストは僕のこと、姫だと思ってるんだから。女の子同士のお友達って感じなだけだよぉ!」
赤い顔をごまかすように、手に持ったクッキーを素早く食べてノドに紅茶を流し込む。
エリーは、すでに冷め始めていた紅茶を、一気に飲み干した。
「ま、とにかく」
空っぽになった皿とコップをお盆の上に乗せ、扉の前に置いた私は、振り向きざまに笑顔を作る。
「勉強再開だ」
「う~~~~、ヤ~ダ~よぉ~~~~! 今日は終わりにしようよぉ~!」
嫌がるエリーの願いは、今度ばかりは叶うことがなかった。