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「今日は本当にありがとにゃ!」
思う存分はしゃぎ回り、ほのかに浮かんだ汗を夕陽にきらめかせながら、その女の子は言った。
「うん、僕も楽しかったよ! ありがとね!」
エリーも清々しい笑顔で答える。
そのすぐ横には、汗だくで息を切らせた私……。
なぜ、私が一番疲れているのか。理不尽ではあるが、楽しんでいるときというのは、疲れも気にならないものだろう。
私のほうは、身体的な疲れも確かにあったのだが、それ以上に精神的な疲れにやられていたというのもあり、かなりへばっていた。
「それじゃあ、もう今日は帰るにゃ! さらばなのにゃ!」
それだけ言ったかと思うと、少女は飛び跳ねるように身軽な様子で、夕陽の向こうへと走り去ってしまった。
あれだけはしゃぎ回って、どうしてあんなに元気なのだろう……。
それはともかく。
「いったい、なんだったんだ、あの子は……」
思わず疑問が口から飛び出していた。
「実は、僕は知ってる」
ニコニコしながら、そう答えるエリー。
その目を見つめる私は、まだ息が整わず、なにも言えない状態だった。だがエリーは私の望んだとおり、そのまま話し続けてくれた。
「彼女は、ブリリアント帝国の皇帝の娘で、猫目姫だよ」
「ひ……姫ぇ!?」
「うん。ああやって変装して、よく町に繰り出してるみたいだね。相変わらずだなぁ」
相変わらず……。
ということは、エリーはあの姫様と面識があったわけだ。
「うん。黒ちゃんと、こはちゃんのところには、よく遊びに行ってたんだよ~。猫ちゃんとも、よく一緒に遊んだんだ!」
黒ちゃん、こはちゃんって……。
「もしかして、黒曜帝と琥珀妃か……?」
「うん! ふたりとも、すっごく優しいんだよ!」
エリーは満面の笑みを浮かべる。
ブリリアント帝国の皇帝である黒曜帝とその妻である琥珀妃、そしてひとり娘である猫目姫。
これらの名前は本名ではなく、呼称だ。
この国の王族は、暗殺を恐れて本名を隠すという習慣がある。
暗殺の中には魔法の道具を使う方法もあり、その場合、本名がわからないと効果がないらしい。そこで、こういった習慣が根づいたのだという。
暗殺に対してどこまで効果があるのかは、実際のところ、よくはわからないが。ともかくこの国の王族は、そうやって呼称を使っている。
そのため、本名は知られていない。当然ながら私も知らないし、エリーだって知らないだろう。
というか……。
「エリー自身は、それほど親しくしていたわけでは、ないんじゃないのか?」
私は疑問を投げかける。
エリー王子の存在は、外部には秘密になっているはずなのだ。
もっとも、公用で諸国に出かける場合には、いつエメラリーフ姫の影武者が必要になってもいいように、エリー王子も連れていく。そのとき、私は城で留守番になるわけだが。
確かに、ジュエリア王家総出で何度かブリリアント帝国に足を運んでいたのは記憶している。
とはいえ、基本的に影武者であるエリーがそんなに黒曜帝や猫目姫と親しくなれるとも思えなかったのだ。
「ん~、お姉様ってほんと、体弱いからね~。ここに来たときも具合が悪くなって、何回か僕が代わりに会ったことがあるんだよ」
「そうなのか。不憫なお姫様だな」
「もちろん、黒ちゃんやこはちゃんと話した内容とか、猫ちゃんと一緒に遊んだこととかは、あとでお姉様にお話するんだけどね。僕はそうやってお姉様とお話する時間も、大好きだったんだ」
エリーはうっとりとした瞳でつぶやく。
体の弱いエメラリーフ姫と、影武者のエリー。立場は違えど、仲のよい双子の姉弟なのだ。
立場上、お互いの記憶をなるべく共有する必要があるから、というのもあったとは思うが、単純に一緒にいて話すことが好きだからこそ、そうやって密に情報交換をしていたのだろう。
「そうそう、情報収集しないとね。いつもどおりだけど、明日また、お姉様に変装して城に行ってみよう!」
もしかしたらエメラリーフ姫をさらった黒幕かもしれない皇帝のもとへ、いきなり乗り込むというのは危険な賭けではあった。
しかし皇帝が姫をさらったなんて思えない。いや、思いたくないのだろう。
エリーは以前会ったときの印象を、すごく優しい、と語っていたのだ。だからこそ、それを確かめるために、という意図もあるのかもしれない。
どちらにしても、関係あるかないか反応を見たいという思いは、私としてもあった。
それに、隣の国ですら噂が流れているのだから、皇帝の耳に入っていると考えるのが自然だろう。
情報を得るには、姫に扮して接触するのは効果的だ。
ただ、問題がある。
「私はさっき、猫目姫に会ってしまったわけだよな? そうすると、私の存在は不自然にならないか?」
「ん~? ああ……そっか、確かにそうだね」
普段どおりならば、私はエメラリーフ姫の従者という名目で一緒についていく。
しかし、その従者が前日に別な人と一緒にいて、しかも猫目姫が変装していた女の子とともに遊び回っていたことになるのだ。
そのあいだ、姫はどうしていたのかなど、いろいろと不都合が生じてしまうだろう。
「それなら……僕に任せて!」
ニヤニヤと笑顔を浮かべるエリー。
なにやら、イタズラを思いつき、楽しくてしょうがない状態の子供、といった雰囲気だ。
私は悪い予感がして後ずさった。
「ルビアも変装すればいいんだよ! 僕の変装道具とか衣装とか、貸してあげるから!」
そう、エリーの変装用の道具とか衣装と言ったら、つまり……。
「大丈夫、僕が可愛くしてあげるよ! ルビアの女装、楽しみだなぁ!」
おいおい、さすがに無理があるだろう!? やめてくれ、エリー……!
私の悲痛な叫び声は、すでに女装した私の姿を想像することに余念がないエリーの耳には、まったく届きはしなかった。