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早朝の風が、すぐ目の前にいるエリーの髪をなびかせていた。
さすがにまだ眠いのだろう、うつらうつらと波間に漂う笹舟のように頭を揺らしている。馬に乗っているというのに器用なものだ。
もちろんいつものように、馬を駆る私の前に座っているだけではあるのだが。
私は今日、早朝から出かけることで、少しでも出発の遅れを取り戻そうと考えた。
手がかりがあるわけでもないのだが、だからといって、だらだらしていたのでは見つかる物も見つからないかもしれない。
エリーがはめていた指輪は、ジュエリア王家の紋章が入った物だ。
代々受け継がれているような由緒正しい品物というわけではなく、その色や形など、代によって新たに作り変えるのだそうだ。
そして、エメラリーフ姫の指輪と同じ物を、エリー用にも作ってあった。
姫の影武者であるエリー王子の物ならばレプリカでも構わない気もするのだが、そのあたりは王妃のせめてもの思いやりなのか、同じ指輪をふたつ作って、それぞれ姫と王子に渡したらしい。
失くしたとなればさすがに怒られるだろうが、今ではほとんど象徴的な扱いでしかない指輪だとか。
ぱっと見、豪華そうではあるが、実はそれほどでもない。
当然ながら、一般庶民から見れば高価だろうし、偽造しにくいように装飾も施されている。闇ルートでならば、かなりの値がつく可能性はあるだろう。
とはいえ、あまり裕福ではないジュエリア王家であっても、もう一度作ればいいだけのこと、と言われる程度なのは確かだ。
さほど気にする必要もないのかもしれないが……。
たとえそうであっても、王子の身を任された私の監督責任問題はある。
サーヌ王妃ならばそのことで私を厳しく咎めたりはしないだろうが、私自身としては自分が許せない。
油断していたのは明白なのだ。その失態は償わなければならない。
私はそう考え、なんとしても指輪を取り戻す決意を固めていた。
指輪を盗んだと思われるのは、旅人の宿「アクアマリン」で出会った、フローライトという男だ。おそらくはもうひとりの女性、ガーネッタとふたりで行動しているのだろう。
アクアさんとマリンさんの情報によれば、彼らはカリナン公国から旅してきたとのことだった。
高価な指輪を手に入れた場合、もし盗賊団などの組織の一員だったら、一旦アジトなどに戻るに違いない。そうでなかったとしても、あの指輪を問題なく売りさばくためには、ある程度裏の世界に関わるルートが必要となるはずだ。
どちらにしても、一旦は普段から生活している地域に戻ると考えられた。
実際には、彼らがカリナン公国から旅してきたという確証もないし、カリナンが隣国だったからその名が出ただけで、さらに隣のブリリアント帝国や、その先の国出身という可能性もありえるのだが。
ただ、カラット王国から出るとすれば、地理的にカリナン公国、もしくはジュエリア王国を通るしかない。カラット王国と隣接しているのは、この二国だけだからだ。
カラット王国はジュエリア王国の西に位置していて、その南側にカリナン公国がある。
カラット王国の北側と西側には、巨大な山脈がそびえ立っている。「神々の山脈」とも呼ばれる険しい山々で、その先にまで行った者はいないとさえ言われている。
近隣諸国の先史からも、この山脈を越えた人の話や、逆に山脈の向こうからやってきた人の話はまったく聞かない。
そういった話がないからといって、山脈の向こうに人がいないとは言いきれないと思うが、山脈を越えるのが困難だというのは間違いない。
ジュエリア王国に向かったという可能性もあるにはあるが、今は彼らがカリナン公国から来ていたという情報を信じるしかない。
というわけで私たちは、彼らの行方に関する情報を得るため、カリナン公国の首都であるトランスファールへと向かっていた。
首都を目指すのは言うまでもなく、情報が集まる場所だからだ。
単純に、カラット王国との国境から比較的近い場所に位置する大きな都市が他にはない、という理由もあるのだが。
公国という名から想像がつくかもしれないが、カリナン公国はもともとカラット王国の属領だった。
カラット王国は、今でこそ地下資源によりかなりの資金を持った大国になっているが、以前は国全体を統治できるほどの国力はなかった。そこで国内をいくつかの領域に分け、それぞれに公爵を置いて各地の支配権を与えていた。
カリナン公国もそんな領域のうちのひとつだったが、カラット王国が莫大な資金を得る前に独立したという過去を持つ。
領域分けされていた中では比較的広い土地だったことと、ジュエリア王国やブリリアント帝国とも隣接していたことから、様々な貿易品により財を成し、独立するまでに至ったのだろう。
それを成し遂げたカリナン一世は相当の切れ者だったようだ。
時は流れ、現在はカリナン四世によって統治されているが、小国でありながらも非常に安定した統治国家だと言われている。
カリナン四世の后であるメノウ王妃は絶世の美女という噂があり、その愛娘、ラピスラズリも親譲りの美しい姫君だと聞き及んでいる。
どこの国でも、王妃や姫といえば美しいと相場が決まっているが、その中にあっても、彼女たちの美しさは別格らしい。
ジュエリア王国のサーヌ王妃や成人したばかりのエリー姫も、充分に美しい。姫に関してはまだ幼い面影を残していて、可愛いと表現したほうがいいかもしれないが。
王妃や姫は、やはり美しいのが普通だ。例外があってもいいとは思うのだが、そういった話は不思議と聞かない。
女性優位なジュエリア王国では違ってくるかもしれないが、基本的には王妃や姫といえば国民から羨望を受ける象徴的な意味合いもあるわけだし、美しいほうがいいのは自明の理だろう。
少し話が脱線したな。
ともかく私たちは今、カリナン公国の首都を目指している。
世間知らずなエリーがいるというのも、情報収集する場合に心配ではあったが、ここは治安もいい国のはずだし、それほど問題にはならないだろう。
トランスファールに着いたら、まずは衛兵に盗難に遭ったことを話してみるつもりだ。
ふたり組の特徴もわかっているのだから、もし彼らが有名な盗賊だったりすれば話が聞けるかもしれない。
盗まれたのが王家の指輪だなどと本当のことは言えないだろうし、エリーが親からもらった形見の指輪とでもしておこうか。
「う~ん、おはよぉ~」
「おっ、エリー、起きたか」
「うにゃ……」
まだ寝ぼけているエリーの頭を撫でながら、私は目の前に広がる広大な平野を眺めていた。
トランスファールまでは、まだ半日くらいはかかるだろう。
なるべく急ぎつつ、それでもエリーが振り落とされたりしないように気をつけながら、私は馬を走らせ続けた。