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「本当に、ありがとうございました」
アクアさんが丁寧に頭を下げる。
奴らが去ったあと、倒れたままになっていた男たちを町の衛兵に引き渡し、一段落したところだった。
「いやいや。でも、災難でしたね。それに、店にもかなりの被害が出てしまいました……」
視線を巡らせてみれば、倒れた奴らの血がいたるところ飛び散り、争った勢いで椅子やテーブルも壊れているのが見受けられた。
「ほんと、お掃除が大変ですわ。……マリン、頑張ってね」
ニコニコと悪意のない笑顔を浮かべながら、アクアさんは妹に声をかける。
「姉さんは、掃除しないのね……」
いつものことなのか、反論もしないマリンさんだった。
「それにしても、あのふたり組は何者だったのだろう?」
青い瞳の男と赤い瞳の女は、いつの間にか姿を消していた。
思わずこぼれてしまった私のつぶやきに、アクアさんが答えてくれる。
「そうですね。うちの宿にお泊りいただいていたお客様だったのですが、先ほど衛兵に連絡する前に、急いでチェックアウトを済ませて出ていかれました」
衛兵への連絡の前に出ていった……。
怪しいとは思うが、助けてもらったわけだし、気にしないことにしておくか。
「そういえば、あの人たちにあなた方のことを訊かれました。名前くらいしか知りませんでしたし、お客様のことをベラベラと喋るわけにもいかないので、なにも言いませんでしたけど」
ふと、マリンさんがそう言った。
彼らが、私たちのことを訊いていた……? いったい、どういうことだろう。
「でもあの人、僕を助けてくれたよ。いい人だと思う。目を見ればわかるよ!」
エリーはキラキラと瞳を輝かせながら力説していた。
確かにエリーの恩人ではあるが、なにか引っかかる。
――おや?
そこで私は気づいた。
「おい、エリー。指輪はどうした?」
「え? あ……あれ? あれぇ~?」
両手の指を顔の前で何度もヒラヒラさせて、指輪がはまっていないことを確認するエリー。
その後、服のポケットや荷物の中も調べてみたが、やはり指輪は見つからなかった。
「……僕、落としちゃったのかな……。あっ、さっき僕の腕をつかんでた男! 指輪を見て、高価だって言ってたよ! あいつが盗んだんじゃ……」
「いや、衛兵に引き渡す前に身体検査はしているようだった。あんな高価そうな指輪を持っていたら、あいつの身なりからすれば確実に盗品だと判断されるだろう。それならば、衛兵はその場でアクアさんたちに伝えているはずだ」
エリーはきょとんとした目で私を見ている。
いい人だ、そうエリーは言った。だから、言いたくはなかったが……。
ここは現実というものを突きつける以外にない。
「お前を助けた、あのフローライトという男。あいつが盗んだとみて、まず間違いないだろう」
「え~~~~~っ!?」
そんなはずないよ~、あの人いい人だもん!
そう言いたそうなエリーを手で制する。
状況から見て、そうとしか考えられなかった。
いくらエリーが鈍いとしても、自分の指にぴったりフィットした指輪を引き抜かれたら、いくらなんでも気づくはずだ。
とすれば、相手は相当の技能を持っていると思っていい。
そう考えると、あの場にいた者の中では、フローライトとガーネッタというふたり組しかありえない。
指輪を盗めるとすれば、エリーに近づいたあの青い目の男――フローライトだけだろう。
「あの、その指輪って、大切な物だったんですか?」
おずおずとした声で、マリンさんが尋ねてくる。
盗まれたのならば自分たちのせいだと思い、申し訳ない気持ちになっていたのだろう。大切な物だったらどうにかして弁償しないと、とまで考えているようだった。
もちろん弁償の必要なんてない。こちらのミスで盗まれただけなのだから。
あの指輪は、いわば王家の証とも言える指輪だ。
今の時代となっては、形式上身に着けているだけという程度ではあるのだが。
しかし、もし失くしたとなったら問題がある。その意味では、大切な物、というのは正しいとも言えた。
エリーの奴、もっと気をつけてくれないと困るな。
肌身離さず身に着けておくのは悪くはないが、人にはなるべく見られないようにすべきだろう。
それはともかく、マリンさんにどう答えればいいものか。本当のことを言うわけにもいかないし……。
困っていると、アクアさんが会話に割り込んできた。
「マリンったら……。一瞬しか見えなかったけれど、あんなに高価そうな指輪なんだから、大切なのは当然でしょう? ルビアさんからエリーちゃんへのプレゼントだったのよね? もしかして、婚約指輪だったのかしら?」
……そういえば最初に私の子だと間違われた際に、女性だというのを否定していなかったな。
チェックインするときに書いたエリーという名前も、普通ならば女性の名前なのだから、男だなんて思ってもいないのだろう。
複雑な事情でもあるし、わざわざ否定しなくてもいいか。私はそう考えていたのだが。
「ち……違うよぉ! それに僕、男だもん!」
エリーの奴、言ってしまうし……。
「あらあらあら~! そんなに恥ずかしがらなくてもよいのですよ! そうなのですね、男同士で……。あらあらまぁまぁ!」
……アクアさん、なんというか、凄まじく勘違いしていませんか? しかも、そんなにも嬉しそうな笑顔で……。
はぁ~~……。
私とマリンさんの深いため息が重なる。
「そ……それはともかく、あのふたり組、どこに行ったかはわかりませんか?」
どうにか気を取り直し、私は尋ねてみた。
エメラリーフ姫のことは心配だが、手がかりもまったくない状態だ。
指輪がないと、いざというときに身分の証明もできないかもしれない。今はどうにか指輪を取り返すことを優先的に考えよう。
その行く先で、姫についての情報も集めればいい。
「そうですねぇ……。そういえばチェックインするときに、カリナン公国から旅してきたとお話していた気がします」
「ああ、そういえばそうね。そんな話をしてたと思う。あっ、べつに盗み聞きしてたわけじゃないですよ? たまたま、聞こえちゃっただけなんだから。お客様の話に聞き耳を立てるなんて、そんなこと、ほとんどしないんですから!」
アクアさんの返答に相づちを打ち、べつになにも言っていないのに、マリンさんは勝手に弁解の言葉を加える。
それにしても、ほとんどしないということは、盗み聞きの経験があると認めていることになる。そのことに、マリンさんはまったく気づいていないようだった。
「ありがとうございました。それでは私たちも明日旅立ちます。今日は遅いので、すみませんが、もう一泊させてください」
できればすぐにでも旅立ちたかったが、もう夜も更けている。
横でエリーが眠そうにしているのだから、今日はゆっくり休むしかないだろう。
「わかりました。助けていただいたわけですし、料金はいりませんよ」
そう言ってくれるマリンさんの厚意は丁重にお断りして、私たちは床に着いた。
助けたとはいっても、椅子やテーブルを壊してしまったのはこちらにも原因があるわけだし、修復費用もかかるだろう。
ある程度仕方がない状況ではあったとは思うが、もう少し穏便に解決すべきだったな。
あまり騒ぎを起こすのは得策ではない身の上だ。それに、エリーを守れない状況になったのは私自身のミスでもある。
私がそばに駆け寄れる状態であれば、指輪だって盗まれたりはしなかったのだ。
まだまだ私も修行が足りないということか……。
隣で安らかな寝息を立てているエリーの髪を撫でながら、私は自己反省会を終えると、浅い眠りに就いた。