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「ちょっと、あんたたち、なに言ってんのよ!?」
宿に戻ると、突然マリンさんの叫び声が響いた。
彼女の力強い声の中に緊張の震えを感じ取った私は、静かに中の様子をうかがう。
マリンさんの横には、笑顔を絶やさないアクアさんが立っている。
そして、下劣そうな笑みを浮かべるヒゲを生やした男を筆頭に、総勢五人の男たちが姉妹を取り囲んでいた。
ヒゲの男は、その整った身なりから察するに、ある程度は位の高い者なのだろう。
一方、他の四人は、ごく普通の町のオヤジといったところか。
それでも、姉妹を睨みつける瞳には、明らかな怒りが含まれているように見えた。
「私はただ、商店会の代表として意見を述べているだけですよ。ご両親が亡くなってしまったのはとても残念ですし、心中お察し致します。しかしですね、まだ若いおふたりだけで店を切り盛りするというのは、いかがなものかと思いまして」
ヒゲ男が唇の端を吊り上げながら、落ち着いた声で言い放つ。
「もちろん、それなりに繁盛しているのは存じておりますよ? ですが、それもあなた方ふたりを目当てに来る客層がほとんどという話ではありませんか。しかも悪酔いして迷惑をかける客人がいても、なにもできない状態だとか。問題が起こってからでは遅いのですよ」
言っている意味はわかりますよね?
そんな言葉を表情に乗せ、ヒゲ男がふたりに詰め寄る。その顔には歪んだ嘲笑さえ浮んでいた。
その不気味さに怯んで後ずさるマリンさんと、まったく動じた様子も見せないアクアさん。
「今すぐにとは言いません。ですが、近いうちに店の権利を商店会に譲渡して、経営からは身を引いてもらいます。いいですね?」
「な……なんでよ!? 勝手に決めるな、こら! ここは私たちの店よ!」
「威勢のいいお嬢さんだ。ですが、もう少々状況を把握する理解力が必要だと思いますよ」
口もとには相変わらず嘲りを浮かべながらも、ヒゲ男の目は笑っていなかった。
ザッ……。
残りの四人が身構える。
いつでも、おふたりの身を取り押さえることができるのですよ? ヒゲ男の目はそう語っていた。
店の中には、ほとんど客はいない。
状況を見て逃げ出したか、それともあのヒゲ男が追い出したのか。
それでもなお残っている客は、すでに酔いつぶれているか、興味本位で残っているだけの者だろう。
確かに若い娘ふたりだけで宿と酒場を経営していくのは、相当難しいと考えられる。それはわからなくもない。
とはいえ、今あの男がやっていることは明らかに恐喝だ。
ふたりの身を案じて経営を代わろうという話ならば、まだ考える余地もあるだろうが、店を手放せと言っているのだから、私の取るべき態度は決まっていた。
しかし、今ここにはエリーもいる。
腕にそれなりの自信を持つ私ではあったが、相手は五人――。
エリーを、そしてアクアさんとマリンさんを守りながら、はたして奴らを追い払うことができるだろうか?
ぎゅっ。
エリーも状況を察したようで、私の腕をつかんでいる手に力がこもる。
私を見上げるエリーの瞳は、なんとかしてあげて、と訴えかけていた。
☆☆☆☆☆
一歩、私が足を踏み出す……よりも、一瞬早く。
「待てよ、おっさん。こんないたいけな少女ふたりに、大の大人が寄ってたかって。情けねーな!」
いつの間に動いたのか、ひとりの男性がヒゲ男の前に立ちはだかっていた。
黄色い髪からのぞく瞳の色は、深い青。ふたつの青い瞳が、ヒゲ男をキッと睨みつけている。
「まったくだよ。口説くつもりなら、もっと気の利いたセリフを考えるべきだろうね」
その横では、真紅の長髪を揺らめかせた女性が、切れ長の真っ赤な瞳をヒゲ男に向けていた。
「なんだ、貴様らは!?」
明らかな動揺の色を浮かべるヒゲ男。
このふたり、強い。私は直感的に感じ取っていた。
おそらくは、ヒゲ男もそれを感じたのだろう。
「名乗るほどの者じゃないがね。状況はよくわかっちゃいないが、ちょっと度が過ぎやしないかい? 充分な営業妨害になっていると思うぜ? いくら商店会のお偉方とはいえ、これは問題あるんじゃねぇか?」
躊躇することなくヒゲ男を威圧する、青い瞳の男。
「……そちらこそ、状況を理解すべきですね。お前たち、やってしまいなさい!」
ヒゲ男のかけ声を合図に、四人の男たちが飛びかかる。
だが、そこは戦い慣れしていない面子だ。ふたりにいいようにあしらわれ、軽く首筋を叩かれるだけで次々と気を失ってしまう。
これならば、私の出る幕はないな。
そう思った矢先だった。
「くそっ。先生方! よろしくお願いします!」
宿の入り口から数人の男が入ってきた。
――なっ……!? 外で待ち構えていたというのか!?
くそっ、油断した……!
悔やむ私と同様に、威勢よく飛びかかってくる男たちをさばいていたふたりにも、緊張の色が浮かぶ。
「くっくっく。形勢逆転というところですかな?」
そんなヒゲ男の言葉などお構いなしに、店に押し入った男たちは、無言のまま青い瞳の男と赤い瞳の女を取り囲む。
その手には、小型のナイフのような物が握られていた。
躊躇なく切りかかる男たち。
人数は全部で六人ほどだが、それぞれが訓練を受けた戦い慣れした様子が見受けられる。
明らかに、青い瞳の男と赤い瞳の女のほうが不利だ。
「くそっ! ガーネッタ、どうする?」
「これくらいで怖気づいてどうするんだよ、フローライト! ……でもこの人数じゃ、確かにマズいね……」
額に汗を浮かべて防戦一方のふたり。
男たちの一部は、アクアさんとマリンさんにもつかみかかった。
ザシュッ!
奴らのナイフが赤い瞳の女に襲いかかる、まさにそのとき。
私は飛び出していた。
突然の乱入者に、男たちは一瞬たじろぐ。
「悪いが、私も参戦させてもらう」
言って男たちを威嚇する。
「こっちへ!」
そのあいだに、エリーが宿屋の姉妹を部屋の奥に導いていた。
「おっと、待ちな、お嬢ちゃん」
「わっ」
――くそっ! まだひとり、別の奴がいたのか!
エリーの前に、大男が立ちはだかる。
勉強は教えていたが、エリーに武術は教えていない。そんな野蛮な役を、エリーに押しつけたくはなかったからだ。
こうなるとわかっていたら、護身術くらいは覚え込ませるべきだったかもしれない。そんな後悔の念も浮かぶ。
ともかく、エリーではアクアさんとマリンさんを守りきれはしないだろう。
私はエリーのもとへ駆け寄ろうとして、その行く手を阻まれた。
「おっと、お前の相手はこの俺様だぜ!」
訓練は受けているようだが、その雰囲気に統一性はない。盗賊団といったようなやからも、中にはまじっているのかもしれない。
そんなことより、今はエリーだ!
私は視線を巡らせた。
大柄な男によって乱暴に腕をつかまれたエリーの姿が飛び込んでくる。
「痛っ!」
顔を歪めるエリー。
男はつかんだその手の先に、キラリと光る物を見つけた。
「ほぉ、嬢ちゃん、いい指輪してるじゃねぇか。高く売れそうだぜ!」
「痛いってば、離せっ!」
いつものように、嬢ちゃんじゃないやい、なんて言い返す余裕もない。
このままではエリーが危ない!
そう思った刹那。
「ぐぉっ!?」
変な悲鳴を上げてのけぞったのは、エリーの腕をつかみ上げていた男のほうだった。
「女性に乱暴する男は最低の生き物だってのを忘れちゃいけないぜ、おっさんよ!」
青い瞳の男だ!
フローライトと呼ばれていただろうか。手にはいつの間に取り出したのか、短刀が握られている。
崩れ落ちそうになるエリーの体を、そっと抱きとめるフローライト。
「おっと、お嬢ちゃん。大丈夫かい?」
「あ……ありがとう」
フローライトの体を支えに、エリーはどうにか自分の足で立つ。
少々ふらついてはいるが、どうやら大丈夫そうだ。
「さて、おっさん。どうするんだい?」
見れば、あとから入ってきた男たちも、すでに半数が床に倒れ伏していた。
「うぐぐ……っ! 先生!」
先生と呼ばれた、先頭を切って押し入ってきた男は、無言のまま私たちを見回した。
その顔に、ふっと微かな笑みが浮かぶ。
「……今日のところは、引き上げる」
そんなつぶやきを漏らしたかと思うと、すたすたと出口へ向かった。
しっかりと状況を分析して引き上げることを決めたのだろう。それは正しい判断だと言える。
用心棒としてのプライドよりも、自らの状況判断能力を優先した。
思ったよりも「できる」男のようだな。
今日のところは、引き上げる。そう言ってはいたが、再びこの宿に押し入ってくるようなことはないはずだ。
「えっ? ま……待ってくださいよ、先生!」
困惑するヒゲ男も、慌てて用心棒のあとを追って宿を出ていった。
私はその背中を黙って見送る。これ以上余計な犠牲を払う必要もないからだ。
フローライトとガーネッタと呼ばれたふたりも、店から見えなくなるまで、奴らの背中を黙って睨みつけていた。