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ローズ王妃が去ったあとも、トパルズはエリーにベタベタとくっついていた。
そんな様子を、怒りが沸き上がるのを抑えながらじっと睨みつけていたのだが、トパルズが突然、とんでもないことを言い出した。
「ルビアさん、悪いんだけど少し席を外してもらえないかな?」
こ、こいつ……。エリーの腰に手を回しながら涼しい顔でそんなことを言いやがって……!
お前とエリーをふたりきりになんて、できるわけがないだろう!
思わず怒鳴りつけそうになるのを、私は必死でこらえる。
エリーがこちらをじっと見つめていたからだ。
――僕は大丈夫だから、トパルズの言うとおりにしよう。頑張っていろいろ聞き出してみるよ。
そう瞳で語っていた。
冷静になれ、私。確かにトパルズはこんな奴だが、エリーは男なんだ。
姫に成りすましていることがバレたら問題ではあるが、いざとなったら奴を一瞬怯ませることくらいはできるだろう。そのあいだにでも、逃げることは可能なはずだ。
――本当に、大丈夫か?
そんな意味を込めて、エリーをじっと見つめ返す。
エリーは決意を含んだ表情で、黙ったまま頷いた。
ここはエリーに任せるしかないか……。
「わかった。部屋の外に出る」
無愛想な声でそう告げて、私は席を立った。
「部屋から出ると中庭があるから、その辺りを散歩してくるといいよ。くれぐれも扉の前で聞き耳を立てたりはしないようにね」
いやらしい笑みを浮かべるトパルズに、とても不安な気持ちになりながらも、どうにか感情を抑えきれた私は部屋を出て、中庭へと向かうことにした。
☆☆☆☆☆
様々な草花が植えられた中庭。心地よい花の香りが、そよ風に乗って漂ってくる。
そんな花々の中に、長い髪と豪華なレースをあしらったドレスを風に揺らしながらたたずむ人影を見つけた。
「ローズ王妃……?」
「あら、ルビアさん。その様子ですと、トパルズに追い出されてしまったというところですかしら? あの子ったら、ひどいですわね」
王妃は気さくに話しかけてくれた。その穏やかな口調からは、さっき見たバカ親ぶりは微塵も感じられなかった。
少々おっとりしてはいるものの、王族としての気品と気高さを携えている。それでいて、近寄りがたい雰囲気をまったく与えない、温かく包み込むような可憐な微笑みを浮かべる王妃。
警戒を緩めてはいけないという私の不穏な思考すら、氷が溶けるように薄められていくのを感じていた。
「驚いているみたいですね。それも無理はありませんけれど。自分でも親バカだというのは重々承知しているのですよ。ですが、トパルズは私にとって、たったひとりの大切な息子。わかってはいても、ついつい過保護に育ててしまいます。……ほんと、ダメな親ですね、私って」
王妃は目を伏せ、そうつぶやいた。私には、かける言葉さえ見つからなかった。
それすら見透かされているかのように、王妃は言葉を続ける。
「いいのですよ。ただ話を聞いてもらいたいだけなのですから」
ゆっくりと顔を上げ、空を振り仰ぐ。
雲間から差し込む光が、その歳を感じさせないほど、王妃の顔を輝かせているように思えた。
「トパルズは、エメラリーフ姫のことがすごく気になっているみたいでした。たった一度会っただけでしたのに。あの子はあんな性格ですから、いろいろと誤解されていますけれど、とても純粋な子なのですよ。そんな息子の儚い想いを叶えてあげたいと思うのは、親としては自然なことではないかしら」
そう、ですね。
私は王妃の言葉を遮ってしまうのを怖れて声を挟むこともできず、ただ心の中で相づちを打つしかなかった。
「エメラリーフ姫との縁談の話をいきなり持ちかけたのは、少々急ぎすぎだったかもしれないと思ってはいたのですよ。それでも、再会してお互いを認識するきっかけだけでも作ってあげられたら、そう考えたのです」
王妃は中庭を優雅なゆったりとした足取りで歩き回りながら、言葉を紡ぎ出していった。
「それにしても、今日はよくいらしてくださいましたね。あの子ったら、すごく張りきってしまって、ご迷惑をおかけしているとは思いますけれど、大目に見てあげてくださるとありがたいですわ」
「はい」
思わず、私は頷いてしまっていた。
王妃はただただ、優しげな微笑みをたたえている。
「エリーちゃん、ほんとに可愛いくなって。ルビアさんはエリーちゃんのことが本当に心配なのですね。これからも大切にしてあげなくてはいけませんよ?」
それでは、そろそろ戻ります。そう言ってローズ王妃は中庭を出ていった。
私も戻るか。
そこで、ふと考える。
おや? 王妃はトパルズの縁談を成功させたいはずなのでは……。
それなのに私に対して、エリーを大切にするように言うというのは、どういうことだ?
考えてみれば、王妃は最初、姫のことをエメラリーフ姫と呼んでいた。それなのに、今ここに来ているエリーのことは、エリーちゃんと呼んだ。
もちろん、王族の長い名前の場合、短い略名で呼ぶことが多いのだから、たまたまそういう言い方になっただけかもしれないのだが……。
ローズ王妃は、息子と違ってなかなか底の知れない人なのかもしれない。
☆☆☆☆☆
部屋に戻ると、エリーが私に飛びついてきた。
当然ながらそれを不快には思っただろうが、トパルズはしつこく引き止めたりはしなかった。
ただ、私がそろそろ帰ることにすると告げると、トパルズは性懲りもなく、またしてもベタベタとエリーにくっついてきた。
城門の前で名残惜しそうにエリーから離れたトパルズは、
「エリーちゃん、また来てね~!」
と叫んでいた。
二度と来るか!
私はそんな思いを呑み込みながら、カラット城をあとにした。
「で、どうだったんだ?」
城門からいつまでも手を振っているトパルズの姿が見えなくなると、私は間髪を入れずエリーに問いかけた。
「んっとね、ごめん。手がかりになりそうなことは聞き出せなかった。でも、トパルズはなにも知らないんじゃないかな。嘘なんてつけないと思うし」
当初の目的についての結果を、エリーは淡々と語る。
しっかりと役目は覚えていたわけだ。偉い偉い。
だが、私が聞きたかったのは、それよりも、もうひとつの心配のほうだったわけで。
「それで、その……大丈夫だったのか?」
「え?」
目を丸くして、きょとんとしている。
一瞬の間のあと、明るい笑顔に切り替え、エリーは答えてくれた。
「あ……心配してくれてたんだね、ありがとう!」
「あいつ、なにもしなかったのか?」
あの状況からすれば、それは考えられなかった。だから私はおそるおそる訊いてみたのだが。
「んーと、抱きついてきたりとか、あとは手を背中から回してきて、腰の辺りを触られたりはしたけど……」
「あいつ……!」
思わず怒りの表情が浮かんでしまった私を笑顔でなだめたのは、エリー本人だった。
「ルビア、大丈夫だから。ほら、僕、男なんだからさ。……イヤだったのは確かだけど、そんなに、気にすることじゃ……」
そう言いながらも、思い出してしまったのか、表情が曇るのを見逃す私ではなかった。
「エリーが嫌な思いをしたのは確かなんだから。……ごめんな、不快な役をやらせてしまって」
「ん、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
エリーはそう言って、私の腕をぎゅっとつかんでくる。
いつもなら恥ずかしさもあり拒むところかもしれないが、私はその腕を振りほどきはしなかった。
そろそろ夕陽に染まり始めた町並みを、私たちは宿へ向けてゆっくりと歩いていく。
――しかし、結局手がかりはなしか。どうしたものだろうな。
私は頭を悩ませていた。