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「いらっしゃいませ!」
部屋を取ろうとカウンターに向かった私を、元気な若い女の子が応対してくれた。
外から見た印象のとおり、決して豪華ではなかったが、心地よい雰囲気が感じられる木造の宿だった。
一階はやはり酒場となっているため若干のアルコール臭はするが、基本的に果実酒が多いのか、それほど嫌なニオイではなかった。
「お部屋は二階になります。夕飯が必要でしたらご用意致しますけど、どうしますか?」
「そうだな、お願いする」
考えてみれば、夕飯も食べずに歩き続けていたのだ。ここは、おなかを満たしておきたかった。
まぶたをこすっていたエリーは部屋に置いてきたほうがいいと思っていたのだが、「夕飯」の言葉に反応したのか、おなかすいたぁ、とつぶやいて、空いている席にさっさと座ってしまった。
私は、あまり胃にもたれない程度の軽めの食事をふたり分注文する。
かなり眠い状態のエリーは、それほど食べられないかもしれない。エリーが残した物を私が処理するのは、いつもの役目だった。
エリーは年齢的には育ち盛りの男の子であるはずなのだが、どういうわけか食が細かった。見た目のイメージどおり、と言ってしまえばそれまでだが。
そのわりに、いろいろな種類の物を食べたがるのだから困ったものだ。
ちょっとずつ食べては、飽きた、などと言って残しているのも日常的な行動だった。
……少々甘やかしすぎだろうか。
「そこのお席でお待ちください」
注文を終えた私はエリーの隣に座る。
先に座ったエリーは、相当眠かったのか、うつらうつらと舟を漕いでいた。
まぁ、テーブルに料理が並べば起きるだろう。
私は静かに料理の到着を待つことにした。
☆☆☆☆☆
「お待たせしました、パンとスープと、サラダ、フルーツになります!」
「わ~、美味しそう~!」
私の予想に反し、エリーは頼んだメニューが届く前にしっかりと目を覚まし、期待に胸を膨らませながら待っていた。
スープはさすがにコーンを使った一種類だけだったが、パンやサラダ、フルーツに関しては、少量ずつ多くの種類を頼んであった。
もちろん、エリーが満足できるようにそうしたのだ。
「ほら、ちゃんと布巾で手を拭いてから食べろ」
「もごっ。ふぁ~い!」
エリーはすでに手づかみで食べ始めていた。行儀が悪いこと、この上ない。
今さら手を拭いても、あまり意味はなさそうだ。
と、そんなエリーの様子を、メニューを運んでくれた娘さんが優しげな目でじっと見つめていた。
私の視線に気づくと、その娘さんはこちらへと向き直り、こう言った。
「可愛らしいですね。……お子さん、ですか?」
ガンッ!
私は少々ショックを受けてしまった。
確かに老けていると言われることがあるのは事実だが、十五歳になる子供がいるように見られるとは、さすがに思ってもいなかった。
「あっ……。ご、ごめんなさい! そうですよね、まだお若いのに、こんな大きなお嬢さんがいるはずないですよね!」
娘さんは深々と頭を下げる。
「あははは! ルビアって、おじさんっぽいもんねぇ!」
などと楽しそうに笑っているエリー。
そういうエリーの口の端には、パンに塗ってあった苺のジャムがくっついていた。
指摘せずにそのままにしておいたほうがいいだろうか、とちょっと意地悪なことを考える。
もっとも、エリーのほうだって実年齢より幼く見えるわけだが。
それにしても、またお嬢さん呼ばわりされていたことには、どうやらまるっきり気づいていないようだ。
「もう、マリンったら……。お客様、申し訳ありませんでした。妹が失礼を……」
目の前にいるマリンと呼ばれた娘とよく似た、それでいてとても落ち着いた雰囲気の女性が、カウンターの奥からゆったりと歩いてきて、お詫びの言葉を述べた。
「アクア姉さん!」
「この子ったら、すごくそそっかしくて困っていますのよ。このあいだも、お持ちしたスープをひっくり返してお客様に頭からかけてしまい、大変な騒ぎになりましたの。元気なのは悪いことではありませんが、もう少々落ち着いてもらわないと、お嫁の貰い手もありませんわよねぇ。ほんと、困りますわ」
「ちょ……ちょっと、そんな失敗のことまで話さなくてもいいじゃない!」
「いえいえ、あなたはいつもそう。お客様に果実酒をいただいて、酔っ払って大声で歌ったり、踊り回ったり、もうほんとに落ち着きがないったら……」
「だから、なんでそう次々とそんな話をべらべら喋るのよ!」
マリンさんが耳まで真っ赤になりながらお姉さんの口を手で塞ごうとするのを、しなやかな身のこなしであっさりとかわしつつ、アクアさんはさらに喋り続ける。
「それはあなたが次から次へと失敗するからよ。まったく、困ったものね。そういえば、このあいだも……」
こっちのお姉さんはお姉さんで、かなり「困ったもの」な気がしてきた。
私は言葉を挟んで、姉妹の言い争いを止めることにする。
「アクアさん、とりあえず食事は全部運んでいただきました。美味しい食事をありがとうございます。食べ終えたら今日は休みたいのですが、部屋の鍵をお願いできますか?」
「あら、すみません。すっかり忘れておりましたわ。こちらが鍵になります。二階に上がって左手の一番奥の部屋、鍵には部屋の番号が書いてありますので、確認してお入りくださいね」
お姉さんのほうも、この様子だと失敗はかなり多いのではなかろうか。
そんな感想を抱きながら鍵を受け取る。
周りにはまだそれなりに客が残っていたのだが、食事をしながらもこちらの様子をうかがっている目は、とても優しそうな雰囲気に満ちていた。
この姉妹のほんわかした漫才風の会話を楽しむためにここへ来ているような、そんな常連客ばかりなのかもしれない。
「ほんとに失礼しました! それでは、ごゆっくりどうぞ!」
大きな動作でお辞儀をし、そう言い残してカウンターに戻るマリンさんと、それに続いて穏やかな笑顔をたたえたままカウンターの奥にある部屋へと下がるアクアさん。
そんなふたりの様子を、エリーもパンを口いっぱいに頬張りながら見つめていた。
「なんか、とってもいい宿だね、ここ」
「そうだな」
さっきから口の横についたままだったジャムを拭いてやりながら、私は素直に答える。
エリーの言うとおり、私もいい雰囲気だと思っていた。
見たところ、従業員はあの姉妹だけのようだ。マリンさんのほうはどう考えてもまだ十代、お姉さんであるアクアさんでも二十代前半といったところだろう。
そんな姉妹だけでこの店を切り盛りしているのだとすると、かなり大変だとは思う。
しかし、それでもこんなにいい雰囲気で、質素ながらも清潔な宿と酒場を経営できているのは、やはりあの姉妹の人柄による部分も大きいのだろうな。
温かな空気に包まれたまま、食事を終えた私たちは二階に用意された部屋に入り、ベッドに潜り込む。
エリーはすぐに寝息を立てていた。
明日は城まで足を運ぶことになる。
エリーがまたなにか騒ぎを起こしたりしないだろうか……。
そんな心配をしながら、私もすぐに眠りの底へと沈んでいった。