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デジタルの残滓

「どうせまたパスコードロックと戦うのか……」

 大学二年生の真由は、バイト先の遺失物センターのバックヤードで溜息をついた。目の前には、一週間前に地下鉄の網棚で拾われたという、少し古い型のスマートフォンが置かれている。

 本来、中身を勝手に見ることは禁じられているが、持ち主の手がかりを探すのも仕事のうちだ。しかし、この端末は何度電源を入れ直しても、壁紙すら設定されていない無機質なログイン画面が表示されるだけだった。

 ふと、画面の隅に赤い通知バッジがついた。

『未読メッセージ:1』

 送信者の名前はない。真由が何気なく画面をスワイプすると、パスコードを入力していないはずなのに、するりとロックが解除された。

 表示されたのは、真っ黒な背景に白い文字だけのチャット画面だった。

『助けて。駅に、置いていかれた』

 悪戯だろうか。真由は眉をひそめたが、すぐに次のメッセージが届く。

『寒い。暗い。零、っていう駅。誰もいない』

 真由の指が止まった。「零駅」。それは最近、SNSのオカルト掲示板で噂になっている都市伝説の名前だ。

「……まさかね」

 返信しようとキーボードを叩こうとしたが、文字入力ができない。代わりに、スマートフォンのカメラが勝手に起動した。

 インカメラの映像に映っているのは、自分の顔ではない。

 背景には、薄暗い地下鉄のホーム。そして、画面の中央には、虚ろな目でこちらを凝視している、青白い顔の少女がいた。

『ねえ、代わってよ。あなたの場所と、私の場所』

 少女が画面越しに手を伸ばした瞬間、スマートフォンのバイブレーションが、骨まで響くような激しい振動を始めた。

「きゃっ!」

 真由は思わず端末を床に放り出した。しかし、床に落ちたスマートフォンの画面からは、どろりとした黒い液体のようなものが溢れ出し、影のように床を這って真由の足元へ伸びてくる。

 気づけば、周囲の景色が歪んでいた。

 センターの白い壁は煤けたタイルの壁に変わり、蛍光灯の明かりは鈍い紫色の光へと変貌していく。

 遠くで、ゴト……ゴト……と、壊れた機械のような不規則な走行音が聞こえてきた。

「嘘、なんで……」


 真由が顔を上げると、そこはもう遺失物センターではなかった。

 剥がれ落ちた時刻表、錆びついたベンチ。そして、柱に掲げられた看板には、血のような筆致でこう書かれていた。


『零』


 足元には、先程放り出したはずのスマートフォンが、無傷で転がっている。画面には地図アプリが開かれ、現在地を示す青い点が、真っ暗な虚空の中で激しく点滅していた。

 真由は震える手で、足元のスマートフォンを拾い上げた。

 画面に表示された地図アプリは、本来の地下鉄路線図を無視し、血管のようにのたうつ無数の黒い線を映し出している。現在地を示す青いドットは、迷路のような階層を刻一刻と移動していた。

「……動いてる。私が動いてないのに、地図だけが進んでる」

 その時、背後の暗闇から「通知音」が響いた。

 ピコン。

 静寂を切り裂くその音に、真由の心臓が跳ね上がる。

 手元の画面を見ると、新しいメッセージが届いていた。

『後ろにいるよ。一緒に自撮りしよ?』

 真由は悲鳴を飲み込み、全速力でホームを駆け出した。振り返る勇気はなかった。ただ、背後から「カシャッ、カシャッ」という、スマートフォンのシャッター音が連続して聞こえてくる。それは、誰かが自分の逃げる姿を執拗に撮影している音だった。


 階段を駆け上がり、改札階へ辿り着いた。

 そこには、無数の「自撮り棒」が、地面から竹の子のように生えていた。その先端に固定されたスマートフォンは、すべて真由の方を向き、レンズが生き物の瞳のように不気味に光っている。

「なんなの、これ……!」

 真由が足を止めると、周囲のスマートフォンが一斉にフラッシュを焚いた。

 パシャッ!

 一瞬、視界が白く染まる。

 目が眩んだ隙に、一人の少女が目の前に立っていた。先程、画面越しに見たあの少女だ。

 少女の手には、真由が持っているものと全く同じスマートフォンが握られていた。

「ねえ、私のタイムライン、見てくれた? 誰も『いいね』をくれないの。ここには、電波がないから」

 少女の顔は、解像度の低い画像のようにノイズが混じり、時折激しく歪んでいる。

「あなたが、私の代わりに『いいね』を回収してきてよ。地上の、あの眩しい世界で」

 少女がスマートフォンの画面を真由に向けた。

 そこには、真由のSNSアカウントのプロフィール画面が表示されていた。しかし、アイコン写真は真由ではなく、この少女の無表情な顔に書き換えられている。

「嫌……やめて!」

 真由は必死に拒絶したが、少女の指が画面上の「更新」ボタンに触れた瞬間、真由の意識がデジタルデータとして吸い込まれるような、耐え難い浮遊感に襲われた。

 自分の手足が、四角い画素ピクセルに分解されていくのが見える。

 一方で、目の前の少女の体は、どんどん肉感的な温かみを取り戻し、真由の姿へと「同期」されていく。

「……あはっ、繋がった」

 少女の口から、真由自身の声が漏れた。

 少女は軽やかな手つきで真由のスマートフォンを操作し、カメラを起動した。

「最後の一枚。タイトルは……『零駅からの卒業』」

 少女がシャッターボタンに指をかけたその時、真由のポケットの中で、自分の「本物のスマートフォン」が激しく震え出した。

 それは、現実世界の友人からの着信だった。


「……リン、ちゃん?」

 バイブレーションと共に画面に浮かび上がったのは、現実世界でいつも一緒に講義を受けている親友の名前だった。

 デジタルの海に溶けかかっていた真由の意識が、その聞き慣れた着信音で一気に引き戻される。

「……っ、私は、ここにいる!」

 真由はピクセル化し始めていた右手を無理やり動かし、少女が構えていた「遺失物のスマートフォン」を叩き落とした。

 ガシャン、と画面が派手に割れる。

 その瞬間、同期されていたデータが逆流し始めた。少女の姿が激しいノイズに包まれ、ビデオ通話の電波障害のように顔がぐにゃりと歪む。

「やめて! あと少しで、あっちに行けたのに! 私のフォロワー、私の居場所!」

 少女の叫び声は、機械のハウリング音となって駅構内に響き渡った。割れた画面から、黒いノイズの触手が真由の足首に絡みつく。

 真由は自分のスマートフォンを握りしめ、通話ボタンをスワイプした。

「リンちゃん! 助けて! 私、変なところに……!」

『……もしもし? 真由? ちょっと、全然聞こえないよ。電波悪いんじゃない?』

 ノイズ混じりの、でも温かい「生きた声」。

 その声が聞こえた瞬間、周囲の「自撮り棒」の群れが、一斉にショートしたように火花を散らして倒れ始めた。少女の姿も、古い動画ファイルが破損していくように、足元から消え去っていく。

「……待ってよ。一人にしないで……誰か、私を見て……」

 少女の最後の言葉が消えると同時に、真由の視界は真っ白な光に包まれた。


 気がつくと、真由は遺失物センターのバックヤードにある、パイプ椅子に座っていた。

「……え?」

 手元には、例の古いスマートフォンが置かれている。しかし、先程まで割れていたはずの画面は無傷で、ただ静かに電源が落ちていた。

「真由、どうしたの? さっきからボーッとして。電話、鳴ってたわよ」

 隣の席の先輩が、不思議そうにこちらを見ている。

「あ……いえ、なんでもないです。ちょっと、疲れちゃって」

 真由は震える手で、自分のスマートフォンを確認した。着信履歴には、たしかにリンの名前がある。    

 時間は、わずか一分前だ。


 その日のバイト帰り、真由は地下鉄のホームでスマートフォンのギャラリーを開いた。

 今日撮った覚えのない写真が、一枚だけ追加されている。

 そこには、誰もいない深夜のホームを背景に、引きつった笑顔で自撮りをする「自分」が写っていた。

 ……だが、よく見ると。

 背後の暗い線路の奥から、無数の光る「スマートフォンのレンズ」が、まるで獣の目のようにこちらをじっと見つめているのが写り込んでいた。

 真由は震えながらその写真を削除した。

 しかし、彼女がスマートフォンの電源を切った瞬間。

 真っ暗になった画面の中に、自分の顔とは違う、あの少女の瞳が一瞬だけ、不気味に反射して笑ったような気がした。


 あなたのスマートフォンの中に、見覚えのない通知はありませんか?

 それは、零駅に取り残された誰かからの、ログインリクエストかもしれません。

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