【続】戦うお豆腐メンタル③
※メンタルが乱れている時に書いているので、文章校正がおかしかったり、誤字脱字が札に状に多いかもしれない。ご了承くださいませ※
ちょっと今日は箸休めで……。
なぜかというと、調停が終わってから鬱の調子があまり良くないのだ。
目標は達成しているはずなのに、本当に調停をやってよかったのか?
調停をやってしまったことで、次の就職に影響しないだろうか?
自分の住んでいる市内全体に、私がブルちゃんを相手に調停を起したことが知れ渡っているのではないか……。
そんなことが頭を過っているのだ。
しかし、もう実際やってしまったんだし、こんな噂が流れたところで、他人は何も興味を示さないだろう。実際、私が自分の市で調停が行われているなんて情報は、一切耳に入ってこない。
でもこれが鬱病の怖いところでもあり、辛いところである。
他人のたった一言や、何か一つ思い付いたことで、鬱病は簡単に地の底に落ちてしまうのだ。
地の底というのは、ちょっと「鬱ポよ(これはもう古いか?)」というレベルではなく、本当に落ちるところまで落ちてしまう。しかも落ちた先は底なし沼だ。
落ちた後はネガティブな感情にズブズブとハマっていき、結果鬱が悪くなってしまう。
鬱病の治療には本当に時間がかかるらしい。三歩進んで二歩下がる、を繰り返しながら改善していくようだ。
しかし、今回みたいにたった一つの出来事で、奈落の底に落ち、底なし沼に簡単にハマってしまう。結果、治療のスタートラインに戻ってしまったような錯覚に陥いるのだ。
今回私が落ち込んでいる原因は「調停をして本当に良かったのか?」だ。
でも私がもし元気だった頃は、「まぁ、先のことはどうにかなるでしょ?」と考えることができていた。
でも今は違う。調停を起してしまった⇒それが世間中に知れ渡る⇒再就職ができない⇒でも、正看護師の資格をもっているのだから就職先なんていくらでもあるだろう⇒でも、調停を起してしまった……。
こうやってグルグル思考にハマっていくのだ。
もうこれは鬱病のせいだから仕方がない。
普段ならできる感情のコントロール、上手な情報の整理、将来のことをできるだけ楽観的に考える、といった作業ができなくなってしまうのだ。
しかもこの感情もずっと続くわけではなく「まぁ、どうにかなるだろう」と普段の自分の思考を取り戻せる瞬間もある。その時は、心が少しだけ軽くなる。
でも次の瞬間には「でも、やっぱり……」と奈落の底へと戻って行ってしまう。
この感情の起伏は、鬱病を体験したことがある人には「あぁ、わかる!」となるだろうが、鬱病を知らない人からしてみたら「なんでもっと前向きになれないの?」とか「ウジウジしててうぜぇ」と思うことだろう。
それは仕方がない。私も当事者になるまではそう思っていたのだから。
もし鬱病が、採血やレントゲンの検査をしたときに異常として現れたとしたら、きっと周囲の人間も理解しやすいだろう。
しかし、鬱病はあくまでも自己申告だ(まぁ、本当にひどい時は見ていてわかるだろうが)。
だから鬱病の心は、天気みたいにコロコロ変わるものだし、三歩進んで二歩下がるどころの話ではない。五歩も十歩も下がってしまう。
そして、今のような私の状態を繰り返してしまうのだ。
(一体いつになったら鬱病が治るのだろう)
(いつになったら働けるのだろう)
とずっと考えてしまう。これもグルグル思考だが、こういった焦りも鬱病には良くないとされている。




