対決
夜の酒場《酔いどれ山羊亭》は、今日もいつも通り騒がしかった。
木製の床は酒と汗でわずかに湿り、ランプの橙色の光が、笑い声と一緒に揺れている。
「でさぁ! それは“気のせい”じゃなくて、ちゃんと理由があるんだって話よ!」
カウンターの一角で、妙に力説しているのは女冒険者のミレイナ。
年齢は二十代後半。鎧は脱ぎ、軽装だが、その身振り手振りがやたら大きい。
「ほう? 理由とな」
向かいでグラスを傾けるのは、学者風の男、ロウ。
眼鏡を押し上げながら、楽しそうに口角を上げる。
「来たわね。その顔。“どうせ眉唾だろ”って顔」
「失礼。私は“雑学は裏取りが命”派なだけだ」
周囲の客が、何事かと視線を寄せる。
「じゃあ勝負よ、ロウ。エッチな雑学対決」
「……酒場で宣言する内容か?」
「勝った方が、次の酒を奢られる。どう?」
どっと笑いが起きる。
「よし、乗った」
ロウは即答した。
第一問:ミレイナ
「じゃあ私から。
人は酔うと“距離感覚”が鈍る。だから、近くに座ってる人がやたら魅力的に見える」
「心理学的には“アルコール近接効果”だな」
「知ってるの?」
「概念は。ただし“魅力的に見える”というより、“判断基準が甘くなる”が正確だ」
「細かいわね!」
周囲から「なるほどー」「だからか!」と妙に納得した声。
「はい、私の勝ち一歩前進」
「まだ一問だ」
第二問:ロウ
「人間の身体は、緊張が解けると体温が上がる部位がある」
「……それ、どこ?」
「耳と顔だ。だから赤くなる」
「ちょっと待って。今、一瞬“別の場所”想像したでしょ」
「想像してない」
「絶対した!」
酒場は爆笑に包まれた。
「ちなみに医学的には血管拡張の影響だ。下世話な話ではない」
「急に学者顔!」
第三問:ミレイナ
「じゃあこれ!
“いい匂い”って感じる相手は、遺伝子的に相性がいい可能性が高い」
「フェロモン仮説か」
「また知ってる!」
「ただし人間の場合、香水と汗と生活臭が混ざるので」
「はいはいはい、夢壊さない!」
「でもロマンあるよな」「匂いって大事だよな」と客が口々に言う。
最終問:ロウ
「では最後に一つ。
“恥ずかしい”と感じるほど、記憶には強く残る」
「……それって」
「酒場で大声で雑学対決している今この瞬間も、だ」
一瞬の静寂。
そして
「くっ……!」
ミレイナは顔を覆った。
「やられた……!」
大爆笑。
結局、勝敗は引き分け。
二人は並んで酒を奢り合う羽目になった。
「でもさ」
ミレイナはグラスを傾けながら言う。
「こういう無駄な知識、嫌いじゃないでしょ?」
「嫌いなら、ここにはいない」
ロウはそう言って、静かに乾杯した。
酒場の夜は、まだ長い。




