2章 どうぞ仲良く
2章 どうぞ仲良く
数日後、夕刻。
村の労働をいつもより早く終えることができたサクは、再び屋敷の門の前に立っていた。
大事そうに、先ほど摘んだばかりの瑞々しい野花を抱えている。
サクが選んだのは、白いクローバーと紫のスミレ、そして黄金色のヤマブキが混ざった小さな花束だった。
先日の夜は不気味に見えた霧の森の屋敷は、今のサクの瞳には素敵なお城のように見えていた。門は、昨日と同じように音もなく開いた。
玄関の扉も重そうに、やはりひとりでに開いてくれたので、サクは小さくお礼を言ってくぐった。
玄関ホールに顔をのぞかせると、すぐにコルヴァンが現れた。
彼は相変わらず無表情で、「また主が招き入れたか…」と、勝手に開いて閉じた扉をみて独り言ちる。
そして今度はサクを見下ろし、その手の小さな花束を見て「本気にするとは…」と呆れて息を吐くように言った。
サクは迷惑だったかと首を竦めた。コルヴァンは腰に手を当て、小さくため息をつく。
「まあ良い…入れ」
サクはほっとして頷き、再び屋敷に足を踏み入れた。
サロンに通されると、コルヴァンは無言で花瓶を持ってきた。
花を受け取ると、それを丁寧に生け始める。その手つきは意外にも繊細だった。
「野花にしては悪くない…主の美しい金の髪に映えそうだ」
その言葉に、サクは目を丸くした。
「セレスティア様は、金色の髪なのですか?」
思わず声をかけてしまったが、コルヴァンは手を止め、遠い目をした。
「ああ。天使のように美しい」
真顔でそんなことを、嘘のように美しいコルヴァンが口にするので、本当にそうなのだろうなとサクは思った。この美しい屋敷は、綺麗な人(?)たちが棲んでいるのだなと。
花瓶に生けられた花を一瞥し、コルヴァンは満足げにそれを日当たりの良い出窓に置いた。自分が届けたものが大事にされていると思ってサクは嬉しかった。
サクは追い立てられる前にさっさとお暇しようと思ったが、コルヴァンの姿が消えたので不思議に思い、少し待つことにした。
すると間もなく、香ばしい匂いを漂わせて彼が現れた。匂いの元は、彼が持つトレイの上だった。
サクがぽかんとしている間に、テーブルの上に、銀の皿に乗った焼き菓子が並べられる。
コルヴァンは無表情のまま、サクの前にまた暖かい紅茶も置いた。
その手つきは優雅で、儀式か何かを見ているような心地になった。サクは焼き菓子…クッキーに一瞬目を輝かせて手を伸ばしかけた。けれどすぐに、手を引っ込めて俯いた。
──お礼に来たのに。こんな贅沢、いただいていいのかな?
「?…どうした」
コルヴァンは怪訝そうに尋ね、サクがもじもじとして遠慮がちに視線を落としていると、やがて眉をひそめた。
「わが屋敷の…主のもてなしが気に入らないと?」
その一言に、サクはびくりと肩を震わせた。恐る恐る、指先で菓子をつまみ、口元へと運ぶ。ひとくち、まだ暖かい菓子がくちの中でほどけた。その瞬間、サクの瞳が見開かれた。
「…おいしい…」
小さな声が漏れる。こんな味を知ってしまっていいのだろうか、と思うほどの美味しさだった。サクは、大事そうに両手でクッキーを持ち、一口一口を丁寧に菓子を口に運んだ。
その様子を、コルヴァンは何の感情も浮かばない瞳で見下ろしたり、窓の外へ目を向けて見ていなかったりした。どうでも良さそうだった。
サクが大事にクッキーを食べ終わり、心からのお礼を言うと、コルヴァンは「そうか」とだけ言って静かにトレイとカップを片付けた。
帰り際。玄関でサクが深々と頭を下げると、彼は腕を組みぶっきらぼうに「おい」と声をかけた。
「また、あの花を摘んで来い。主のために」
サクは目を丸くし、しかしすぐに満面の笑みで頷き、彼に大きく手を振った。少し歩いてから振り返ると、コルヴァンはまだ玄関の扉の前に立ち、こちらを見ていた。
サクがもう一度手を振っても彼は無反応だったが、それでもサクの心は温かくなった。サクは足取り軽く、屋敷を後にした。
◆
それから、サクは数日おきに屋敷を訪れるようになった。昼間は村で馬車馬のように働き、夕方になると生前の母に教えてもらった移密の花畑へ足を運び、両手いっぱいに花を摘んで屋敷へ向かう。決まって屋敷に現れるのは夕刻頃だった。
玄関の扉は、いつもひとりでに開いた。
コルヴァンは無言で花を受け取り、丁寧に瓶へと生ける。
夕刻に花を摘み、この美しい屋敷でコルヴァンと過ごす僅かな時間が、サクにとっては何よりも楽しみなこととなった。
屋敷の主人、セレスティアはサクの訪問も花の贈り物もたいそう喜んでいる、とコルヴァンから伝えられたが、サクの前に姿を現すことはなかった。サクは会ってみたい気持ちはあったが、図々しいことは言えないと口にしなかった。
ある日、サクはふと、屋敷の庭の荒れ果てた様子に目を留めた。枝は折れ、雑草が生い茂り、かつて花が咲いていたであろう場所は栄養のなさそうな土に埋もれていた。
──少しでも綺麗にしたら、セレスティア様も喜ぶかなあ。お花も生えるかもしれないし… 。
サクは帰り際に庭の雑草を抜き始めた。手を土だらけにしながら、枝を拾い、石をどける。誰に頼まれたわけでもない。ただ、花が咲いたらセレスティアが嬉しいだろうと思っただけだった。ほんの少しの、恩返しのつもりだった。
その様子を、コルヴァンは屋敷の2階の書斎の窓から、呆れたように眉をひそめて見下ろしていた。
「お前は一体、何をしている?」
ある日、コルヴァンが庭に降りてきて、サクに問いかけた。サクは泥だらけの手を止めて、少し困ったように笑った。
「セレスティア様が、お花が好きだと聞いたので…庭にお花が咲いたら、きっと喜ばれると思って」
コルヴァンはしばらく無言でサクを見下ろしていた。やがて、低く呟いた。
「主のためか…ならば、良いだろう」
キョトンと自分を見上げるサクを、小さな虫を見るような目で一瞥すると「どけ」 と言って追いやった。サクが慌てて庭の端に下がると、コルヴァンは片手をゆるりと掲げた。
すると突然空気が震え、庭全体に黒い霧が広がった。サクはよろけて立っていられなくて、そばの木に手をついた。
次の瞬きの瞬間、荒れ果てた庭が一変していた。
黒い薔薇が咲き誇るゴシック様式の庭園に生まれ変わったのだ。
艶やかな花弁が風に舞い、庭はまるで異界のような美しさに包まれた。サクは目を見開いてその光景に腰を抜かし、地面にへたり込んだ。
大量の魔力を使用した大魔術だった。魔術に明るくないサクでも、これがとんでもないことだというのはわかった。コルヴァンは複雑な術式も準備もなく、汗ひとつ浮かべずに。紅茶を淹れるのと同じくらいの労力という顔で、魔術で庭を変貌させたのだ。
「こんなものだろう」
コルヴァンは腕を組み、腰を抜かすサクを気にする様子もなく満足げに庭を見渡していた。少し時間を置いてやっと衝撃から抜け出せたサクは、ぴょんと立ち上がり、瞳を輝かせた。
「すごい…ありがとうございます、コルヴァンさん!」
その喜色にあふれた声に振り返ったコルヴァンは、サクの顔を初めてみたような表情でまじまじと見た。
「きっと、セレスティア様も喜びますね!」
泥だらけで髪も乱れ、無邪気に笑うその顔を、コルヴァンは感情の読めない金色の瞳で静かに見下ろしていた。
サクはコルヴァンに駆け寄ろうとしたが、自身がすっかり泥に塗れていることを思い出し足を止めた。しかしなぜか、コルヴァンの方からスタスタとサクの目の前までやってきた。
サクがぽかんとしていると、懐から白いハンカチを取り出した。
「汚らしい…」
そう言って、サクの頬を拭った。真っ白なハンカチはすぐに汚れた。
「よ、汚れちゃいます。きれいなハンカチ…」
サクが戸惑いながら言ったが、彼が気にする様子はなく、「動くな」と囁いて、サクの頬の泥をハンカチですべて拭い去った。そして泥の下に隠れていた傷を見た。
「…汚らしい上に傷だらけか?」
そう呟き、サクの頬の傷をゆっくりと指でなぞった。サクはびく、と肩を跳ねさせる。
サクの意識がある時に、彼が肌に触れるのは初めてだった。コルヴァンの指は氷のように冷たかったが、昨日できたばかりでじくじくと痛んで熱をもつ傷には心地の良い温度だった。
サクは離れていく指を、思わず名残惜しそうに見つめてしまった。
◆
ある夕刻。
すっかり日が暮れるのが早い季節になったと、サクは白い繊細な縁取りの窓から外を見つめながら思った。
その分、名残惜しいが早く帰らなくてはいけない。夜の森は、魔物も獣も恐ろしく狂暴になるためだ。
コルヴァンはカップを片付けながら窓を一瞥し、唇を開いた。
「今夜は泊まっていけ」
「え?」
サクはキョトンとコルヴァンを見上げる。コルヴァンはサクの方を見ず、銀のトレイにカップをのせながら、言い訳のように低い声でつづけた。
「どん臭いお前が、この時間の森を抜けられるか心配だと...主が仰っていた」
サクがこの夢のような屋敷で一夜を明かしたのは、最初の晩のみだ。サクは迷った。
村まではすぐだから、朝早くにここを出れば、誰かに怒られることはない。ここは清潔で素敵な場所で、泊まれるならばありがたいが....
自分は奴隷なのに、ここまでたくさん良くしてもらっているのに、良いのだろうか。いいや良くない。という気持ちがやはり抜けなかった。
サクはコルヴァンに向き直り、丁寧に断ることにした。
「ありがとうございます、コルヴァンさん。でも、走って帰るので大丈夫です。今夜はお天気も悪くないし…」
コルヴァンは無表情でサクを見下ろした。
「はぁ。天気か」
その金色の鋭い瞳を夕暮れ色に染まる窓の外へ向けた。その瞬間だった。遠くで雷鳴がきこえた。
「え」
サクが声をこぼした時には、窓にはボツポツと大粒の雨が当たる音。まもなく空は真っ暗になり、バケツをひっくり返したような豪雨となった。
「これはひどい天気だ」
おかしそうに言って、コルヴァンはうっすらと笑った。
「客間を整える。暫し待て」
唖然とするサクにそう囁くと、長い髪を翻して応接室を後にした。
◆
その日の晩。再びおとぎ話のような客室に案内されたサクは、美しいベッドにこわごわと横になっていた。
雷雨はやまず、窓の外は大荒れだが、屋敷の中は静かなものだった。
やがてうとうとと瞼を下ろしかけた時。
「サク」
コルヴァンの声ではない。鈴を転がすような、少女の声だ。しかも、すぐそばから。
サクは驚きベッドから飛び起きた。
すると、ベッドの前に、金の長い髪を垂らした人形のように美しい少女が立っている。
少女はまつ毛に縁どられた青い瞳を細めて、親しげにサクに微笑みかけた。サクは初めて見るこの少女を、まず天使のようだと思った。そして....
「セレスティア、さま?」
尋ねるような口調になったが、そうに違いないと確信していた。少女は答えるように笑みを深め、ベッドに腰かけた。
「セレスと呼んで。あなたと会えてうれしい、サク」
サクは慌てて姿勢をただした。
「い、いえ!こちらこそ…!その、わたし、ずっとお礼を言いたくて」
サクは頬を染めて身を乗り出した。
「あっ、あの!私、最初に勝手にお屋敷に入ったのに、こんな良くしてもらって、それに私、奴隷なのに、」
セレスはサクがしどろもどろに話すのを静かに聞いていたが、途中ですっと顔を近付けて、サクの顔を覗き込んだ。美しい顔が息もかかるほど近くに来て、サクの呼吸と動きはぴたりと止まった。セレスの瞳は美しい湖のように澄んでいた。
「あなたは勝手に入ったのではないの。門を開き、迎え入れたのは私」
きょとんとするサクに目を細めて、セレスは続けた。
「それに、あなたは私とコルヴァンの大切な客人。奴隷ではありません」
サクは驚いて、セレスの静かな瞳を見つめ返した。セレスは悪戯っぽく笑って、サクから身を離した。
「今夜、ここへ来たことは、どうかコルヴァンには秘密にして。あなたにお礼を言いたかっただけなの」
「お礼…?」
「素敵なお花を、いつもありがとう。それと…」
セレスは真剣な瞳で続けた。
「どうかこれからも、コルヴァンと仲良くしてあげて」
驚きで覚醒していたはずなのになぜか、意識と視界がぼやけてきた。サクは下がってくる瞼をこじ開けられない。
「時間切れね。サク、またきっとお話しましょう…」
優しい少女の声が鼓膜を揺らしたのを最期に、サクの意識は眠りに落ちていった。
◆
最初の晩と同じように、清潔な空気と滑らかなシーツに包まれ、サクは目を覚ました。最初の晩と同じく、奴隷の自分にはありえない、素晴らしい覚醒。
のそりと起き上がり、ベッドの縁…天使のような少女が腰かけていた位置を見つめる。そこにあるシーツのしわが、サクの寝相によるものなのか、彼女が座っていた証拠なのか、判断がつかなかった。
「夢…?」
夢なのかもしれない。そう思ってしまうくらい、昨晩の出来事…セレスの存在は、幻想的だった。
「客人よ、いつまで情眠を貪っている?」
扉の向こうからコルヴァンの声が聞こえた。サクは慌てて、転がるようにベッドを降りた。
コルヴァンは寝起きのサクのぼさぼさ頭を見て開ロ1番「みすぼらしい」と吐き捨てたが、「食事の用意ができている」と言って再びサロンまで案内してくれた。
大階段を降りる時、壁にかかる少女の肖像画に足を止めた。椅子に座る、美しい金髪の少女。前からこの絵がセレスティアではないかと思っていたが、今朝、サクは確言した。それは、昨晩の少女だった。つまり…。
──やっぱり、この方がセレス様だったんだ。そして昨日セレス様とお話したのは、夢じゃなかった!
サクが足を止め、嬉しそうに肖像画を見上げていると少し先を歩いていたコルヴァンが立ち止まって振り返った。
「のろまめ。何をしている」
コルヴァンの罵倒は、サクにとっては挨拶みたいなものだったので、サクはにこにこしながら肖像画を指さした。
「こちら、セレスティア様ですよね?」
コルヴァンは静かにサクの隣まで戻ってきた。
「…そうだ」
サクはあと少しのところで、昨晩お会いできましたよ!と言ってしまうところだったが、彼女との約束を思い出して口をつぐんだ。
「セレスティア様…主は偉大な魔術師の末裔だ」
そんなサクの挙動不審な態度には気付かず、肖像画を見上げながらコルヴァンはぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「彼女の魔力と知性は素晴らしい…私は、主の家臣であることが誇りだ」
普段から威厳と強い意志に溢れた彼にしては、どこか虚な声音だった。
「…主は、今は病の床に伏しておられる」
サクは目を丸くする。セレスティアが姿を現さない理由は、そうだったのかと。しかし、昨晩のセレスは、あまり体調が悪いようには見えなかった。調子が良かったのだろうか…。
コルヴァンは絵画から目を背けると、それ以上は説明せず、無言でサロンへ歩を進めていった。サクは慌てて思考を打ち切り、その背を追いかけた。




