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断章 正義の在処(1)

深緑のローブを翻し、一人の魔術師が寂れた村に降り立った。

王都から派遣された魔術師、リューク。長く伸ばした金髪を一つにまとめ上げ、中性的な美貌の中に男顔負けの鋭い眼光を宿し、周囲を見渡す。


──妙だな。


彼女がこの村に足を踏み入れて最初に感じたのは、異様な静けさだった。


近隣で囁かれる“おぞましい魔族”の噂…その調査が彼女の任務だ。噂話の調査だと、比較的軽い気持ちで赴いていたが、村の空気が予想以上に重かったため、リュークはすぐに考えを改め、気を引き締めた。


聞き込みを始めてすぐに、リュークは違和感の正体に気づく。この村には、男が極端に少ないのだ。見かけるのは女と老人、そして子供ばかり。働き盛りの男の姿が、不自然なほどにごっそりと抜け落ちているようだった。


「この辺りで、魔族を見かけなかったか?もしくは、噂でもいい。黒い霧が出ると聞いたが」


リュークが尋ねると、井戸端で洗濯をしていた女たちは、一様に顔を青ざめ、口を噤んだ。まるで、その話題を口にすることすらタブーであるかのように。誰もが視線を逸らし、逃げるように家の中へ入ってしまう。

近隣の村人の方が、情報をくれたくらいだ。おそらく当事者であるこの村人らからは、現時点で噂話のひとつも教えてもらえていない。


「……らちがあかないな」


ため息を吐き路地を歩いていると、建物の影から視線を感じた。泥だらけの少年が一人、彼女をじっと見ていた。


「きみ。何か知っているのか?」


リュークが屈み込んで目線を合わせると、少年は彼女の杖を見て小声で囁いた。


「おねえちゃん、魔法使い?」


「ああ。悪い化け物を退治しに来た」


リュークが自信に溢れた笑みを浮かべて返事をすると、少年は小さな指で村外れの森を指差した。


「あっち。……魔女の館があるんだ」


「魔女の館?」


「うん。黒い霧の森の奥に、化け物が住んでて……昔、村の男の人たちを襲って、半分くらい食べちゃったんだって」


「……食べた、だと?」


「お父さんも、お爺ちゃんも、みんな食べられたって母ちゃんが言ってた。……だから、行っちゃだめだよ。おねえちゃんも、食べられちゃう」


少年はそれだけ言うと、走り去っていった。

リュークは立ち上がり、少年が指差した森を見つめた。視線の先には、昼間だというのに闇のような暗さを湛えた、鬱蒼とした森が広がっている。


「……村の男を半分、か。ただの噂話にしては……」


村民の怯え方。皆の閉ざされた口。男の欠如。これは、ただの魔獣ではない。知能を持ち、明確な悪意を持って人間を害した高位の魔族が潜んでいるに違いない。


「面白い。私の正義にかけて、元凶を白日の下に晒してやる」


リュークは拳を握り締め、その不気味な森へと足を踏み入れた。



森の空気は、最悪だった。生命力に満ちているはずの木々は不気味に沈黙し、大気には常に腐臭に似た魔力の澱みがまとわりつく。


「……これほどの澱み。やはり、ただの魔獣の仕業ではないな」


霧が幻惑の術で進路を惑わそうとする。リュークは指先で印を結んだ。


「風よ、道を拓け」


足元から生まれた一陣の風が霧を切り裂き、その向こうにそびえ立つ、黒い石造りの巨大な屋敷を映し出した。古く、威圧的で、そして異様なほどに美しく管理された屋敷。


──……あれが、元凶か?


リュークは警戒を解かずに、魔法で編み上げた透明な鳩を飛ばす。鳩は、音もなく屋敷の壁をすり抜け、内部へと潜行していった。まずは内部の偵察だ。どんな魔物が潜んでいようと、この目からは逃れられない。


リュークの鳩は廊下を抜け、屋敷の中心部にある重厚な扉をすり抜けた。  そこは、天井の高い書斎だった。壁一面の本棚、積み上げられた古書。


そして、部屋の中央。豪奢な革張りの安楽椅子に、一人の男が腰掛けていた。


男は、長い足を組み、肘掛けに腕を立て、その手で頬杖をついていた。濡羽色の長髪がさらりと肩から流れ落ち、その美しく整った顔は伏せられている。長く豊かな睫毛が、瞳を隠すように閉じられていた。


まるで、眠っているかのような静寂。だが、影の鳥が部屋に入った、その瞬間。


男の唇が、優雅な弧を描いた。


『……覗き見とは、行儀が悪い』


リュークの脳髄に、直接。冷たく低い、甘美な声が響いた。


「──ッ!?」


次の瞬間。男の長い睫毛が震え、閉じていた瞼が、ゆっくりと開かれた。


その奥から現れたのは、この世の理を外れた、禍々しい金色の光。ギラリ、と。猛禽類のように鋭く、そして宝石のように美しい瞳が、影の鳥を通して、遠く離れたリュークの魂を射抜いた。


「うぁあッ…!?」


バチンッ!と、術が強制的に遮断され、リュークはその場に膝をついた。


「はっ、あ……っ!」


激しい動悸。冷や汗が止まらない。心臓が、冷たい手に鷲掴みにされたかのような恐怖。


──なんだ……あれは……!?


魔力の量とかいう問題じゃない。格が違う。ただ、そこに在るだけで、周囲の空間を支配してしまうような、絶対的な捕食者。

あんなものと戦えば、一瞬で消し飛ばされる。魔術師としての本能が、全細胞が、逃げろと警鐘を鳴らしている。リュークは、王都ではエリートと言われる位を得て、この若さで素晴らしい戦果をあげている王国きっての優秀な魔術師だというのに。


──だめだ。あれは、私がどうこうできる相手じゃない…これ以上の、調査すら危うい…!


リュークは震える足で立ち上がり、踵を返そうとした。王都へ報告すべきか?ただ、優秀な魔術師が束になっても勝てるビジョンが浮かばない。


その時。ふと見上げた屋敷の二階。その窓辺に、人影が見えた。


「…!」


そこにいたのは、一人の少女だった。アッシュグレーの髪、白い肌。美しい黒いドレスに身を包んでいるが、その表情はどこか儚げで、静かに遠くを見つめている。


人間の娘だ。あんな化け物の巣に。


──囚われているのか?


村の男を食い殺した化け物が、あの少女だけを生かしている。

その意味を想像し、リュークは戦慄した。玩具か、餌か、あるいはもっと──おぞましい何かのために。そして、残念ながら最悪な最後の予測が一番濃厚だと感じてしまった。


──見捨てられない。


足がすくむ。恐怖で吐き気がする。だが、彼女は魔術師だった。正義のために、人々を守るために、その力を授かった。リュークは震える膝を拳で叩き、無理やり立ち上がった。


「必ず、必ず助け出す…!」


彼女は恐怖を正義感でねじ伏せ、夜を待つことにした。それが、自分の人生の中で決して忘れられない、おぞましい一夜になるとも知らずに。


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