断章 序列
その日の午後、サクはサロンのソファで読書を楽しんでいた……はずだった。
「……ねえ、ノクス。重い……」
サクの膝の上に、黒くて艶やかな頭がのしかかっていた。
漆黒の怪鳥ノクスだ。 大型犬ほどの大きさになった彼は、サクが座っているのをいいことに、その顎をサクの膝に乗せ、枕として利用していた。
「クルル……」
気持ちよさそうに喉を鳴らしているが、彼の嘴は硬く、頭はずっしりと重い。サクの細い太腿は痺れ、感覚がなくなりかけていた。
「……ノクス、どいて? 」
サクが困り顔で、そっと黒い頭を揺する。優しくお願いしてみるが、ノクスは片目だけを薄く開け、金色の瞳でチラリとサクを見ただけ。
フンと鼻を鳴らし、再び目を閉じて、さらにグリグリと体重をかけてきた。
「……うぅ……」
完全に、舐められている。サクは無理やり退かすこともできず(彼が重すぎるし、可哀想で強く押せない)、涙目で耐えるしかなかった。
◆
「……コルヴァンさん」
その後、なんとか解放されたサクは、執務室の扉を控えめにノックした。 分厚い魔法書を読んでいたコルヴァンが顔を上げる。
「どうされました、主よ」
「ノクスのことなんですけど……」
サクはモジモジと指を合わせ、訴えた。
「あの子、最近……わたしのこと、ペットか何かだと思っているみたいで……」
サクは先ほどの枕にされた件や、呼んでも無視される件などを、ぽつりぽつりと話した。
「わたし、あの子の母親代わりなのに……なんだか……変じゃないですか?」
サクは眉を下げてコルヴァンを見上げた。
「コルヴァンさんからも、言ってくれませんか? もう少しちゃんと言うことを聞きなさいって……」
躾に厳しい彼のことだ。「嘆かわしい」と憤り、すぐにノクスを正してくれるはずだ。 サクはそう期待して、縋るような視線を送った。
しかし。 コルヴァンはペンを置き、腕を組んで……静かに、首を傾げた。
「……ふむ」
そして、サクの頭のてっぺんからつま先までを、値踏みするようにじっくりと眺めた。
「……まあ。それは……そうでしょうな」
「え?」
サクは目を瞬いた。
「そ、そうでしょうなって……どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味です」
コルヴァンは淡々と、真理を説くように話し始めた。
「ノクスは、わたくしとあなたの魔力を受けて育った、強力な魔獣です。知能も高く、本能的に生物としての格を理解している」
彼は立ち上がり、サクの前に立つと、その細い手首を指先でつまみ上げた。
「対して、あなたは…この折れそうな細腕。魔術も使えず、鋭い爪も牙もない。……魔獣の目から見て、どちらが上かは明白でしょう」
「そ、それは……そうですけど……」
サクは悲しげに眉を下げた。
「でも、育ての親ですし……家族、ですよね?」
「魔の世界に親子の情など二の次です。あるのは守るか、守られるか……」
コルヴァンは、諭すように言った。
「ノクスにとってあなたは、敬うべき主君ではない。……群れの中で一番弱く、庇護すべき愛玩対象とでも認識しているのでしょう」
「あ、愛玩……!?」
サクはショックで言葉を失った。息子のようにかわいがっている相手に、ペットのように思われていたなんて。 助けを求めたコルヴァンにまで、それを肯定されるなんて。
「……ひどいです」
サクは俯いて、ドレスの裾を握りしめた。
「事実を申し上げたまでですが」
コルヴァンは(なぜ分からない?)とでも言いたげな、不可解なものを見る目でサクを見下ろす。サクの中でぷつんとなにかがきれた。
「コルヴァンさんも、そう思ってるんですね……!わたしのこと、弱くてダメな、ペットだって……!」
「弱いとは申しましたが、ダメとは言っておりません」
「同じことです!」
サクは涙目で彼を睨みつけると、くるりと背を向けた。
「どうせわたしは、この屋敷で一番の弱虫です…!」
「おい、サク」
「もういいです!コルヴァンさんに相談なんかするんじゃなかった…!」
捨て台詞を吐いて部屋を出て行こうとするサク。その手首が、あっさりと掴まれた。
「放してください!」
サクがもだもだと暴れたが、コルヴァンからすれば子猫よりもか弱い抵抗だった。聞き分けのない子供を見るような、呆れた目で見下ろしている。
「……待てと言っている」
コルヴァンは強引にサクを引き寄せると、そのまま自分の椅子に座り、膝の上にサクを乗せた。子供をあやすように、背中を撫でてやる。
「うぅ……」
サクが顔を背けてむくれていると、コルヴァンは深いため息をつき、サクの頬を撫でて自分の方へ向かせた。
「……勘違いをするな」
彼の金色の瞳が、至近距離でサクを射抜く。
「ノクスがあなたを弱いと認識しているのは、決して侮蔑ではない」
「……どういう、ことですか」
「あやつは、自分より弱いルミには優しいでしょう? ……それと同じだ」
コルヴァンは、サクの髪を愛おしげに梳いた。
「あなたは弱く、脆い……だからこそ、我々のような強者が慈しみ、守るのだ」
彼はサクの首筋に顔を埋め、甘く囁いた。
「ノクスも分かっているのです。あなたがこの巣の中で、最も大切にされるべき姫であることを。……膝を温めていたのも、彼なりの親愛と庇護の情ですよ」
温めていた…?枕にされていたとサクは感じていたのだが。それに。
「……重かったんですけど……」
「加減を知らん馬鹿者ですからな。それは後で締めておきます」
コルヴァンはくつくつと笑い、サクの顎をすくいあげ、優しく口付けた。
「弱いことは罪ではない……むしろ誇るべき美点です。わたくしがあなたを守り、慈しむ口実となるのだから」
「……それ、本当に褒めてますか?」
「大真面目ですとも」
サクは頬を膨らませたが、彼の腕の中の安心感と、甘い言葉に毒気を抜かれ、結局は恥ずかしそうに彼の胸に顔を埋めた。丸め込まれてしまった自覚はあったが、コルヴァンが嬉しそうだから良いかと結局は思ってしまった。




