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断章 狩りの作法

その日の午後も、庭先では何百回目かの騒ぎが起きていた。


「ギィッ! ギルルッ!」


「ピィーッ!!」


漆黒の怪鳥ノクスが、ルミを追い回している。

ノクスは翼を広げて威嚇し、鋭い嘴でルミの尾羽をつついたり、退路を塞いで壁に追い詰めたりと、傍目には完全にいじめっ子だ。


「もう、ノクス!やめなさいってば!」


サクが慌てて駆け寄り、震えるルミを抱き上げる。ルミはサクの胸に顔を埋めてガタガタと震え、ノクスは「なんで邪魔するんだ」と言わんばかりに不満げに喉を鳴らし、地面を蹴った。


「な…!」


最近サクへの反抗的な態度がとどまるところを知らないノクス。サクは、(あなたはわたしが連れてきたのに!)と思って頬を膨らませた。

その様子を、サクの横に控えていたコルヴァンが、冷ややかな目で見下ろしていた。


「……嘆かわしい」


重々しく呟いた。サクは大きく頷いた。


「ひどいですよね。親(?)に向かって、あんな態度…」


「力でねじ伏せ、追い回すだけが能か……あれではいつまで経っても、獲物は手に入らん」


「…………」


サクは黙ってコルヴァンを見上げた。

彼は長い脚で庭へと降り立ち、ふてくされているノクスの前に立った。


「ノクス」


主人の低い声に、ノクスが居住まいを正す。

コルヴァンは、巨大な鳥を見下ろし、呆れたように溜息をついた。


「お前は、ルミをどうしたい。食いたいのか?」


ノクスはブンブンと首を横に振る。 そして、サクの腕の中で安らいでいるルミを、切なげな(とサクには見えた)目で見つめ、小さく「クルル……」と鳴いた。 そばに置きたい、触れたい、自分のものにしたい。そんな色が滲んでいる。


「……ならば尚更、今のやり方は下策だ」


コルヴァンは腕組みをして、厳かに告げた。


「良いか。雌という生き物は、警戒心が強い。ただ追い回せば、恐怖で逃げるだけ……狩りの基本を忘れたか?」


ノクスが小首を傾げる。サクは「狩り……?」と不安げに眉をひそめたが、コルヴァンは構わず続けた。


「まずは、罠を張るのだ」


「罠………?」


サクが思わず口を挟む。


「教えようとしてるのは、仲良くなる方法、ですよね…?」


「ええ。……ノクス、ルミの好物は?」


コルヴァンはサクには適当に答え、ノクスは質問を続ける。ノクスは少し考え、庭の隅に生えている赤い木の実を嘴で指し示した。甘くて柔らかい、ルミの大好物だ。


「よろしい……それを、ルミの通りそうな場所に置くのだ。そしてお前は、物陰に潜み、気配を消して待て」


コルヴァンは、まるで悪徳商人のように悪い顔で笑った。


「獲物が警戒を解き、餌に夢中になったその瞬間……背後から音もなく忍び寄り、逃げ場を塞いでから捕獲しろ」


「……コルヴァンさん。それ、求愛じゃなくて人攫いの手口では」


サクの言葉を無視し、コルヴァンは熱心に指導を続ける。


「重要なのは向こうから近づいてくる状況を作ることだ。……飢えさせ、甘い餌を撒き、安全だと思い込ませてから、一気に囲い込む……分かったな?」


ノクスは感銘を受けたように、金色の瞳を輝かせて大きく頷いた。 「ギッ!」と一声鳴き、森の方へ木の実を探しにバサバサ飛んでいく。


「……………」


サクは眉を顰めてコルヴァンを見上げた。


「……なんだか…具体的なアドバイスでしたね」


「経験則に基づいていますからな。さぁ、冷えてまいりましたので我々も戻りましょう」


コルヴァンは何食わぬ顔で微笑み、サクの手を引いて屋敷の方へ連れて行った。



数十分後。 作戦決行の時が来た。


ノクスは庭の茂みの陰に、最高に熟れた赤い木の実を一つ置いた。

そして自分は、少し離れた建物の影に、巨体を小さく折りたたんで隠れた。 ……隠れているつもりだが、黒い尾羽が完全にはみ出している。

サクはそれを、ひやひやしながら見つめていた。


そこへ、サクの肩から降りたルミがやってきた。トコトコと歩くルミが、赤い木の実を見つける。


「ピ!」


ルミが足を止めた。お気に入りの木の実だ。 彼女はキョロキョロと周囲を警戒する。 ノクスは物陰で、息を殺して(いるつもりで荒い息を吐きながら)待機している。しかし鈍感なルミは気付かない。それもどうなんだ、とサクはルミが心配になった。


ルミが、実に近づく。 あと一歩。 ルミが嘴を開き、実に触れようとした──その瞬間。


「ギィヤァアアアアッ!!!」


我慢できなくなったノクスが、大声をあげて物陰から飛び出した。 忍び寄るどころか、暴れる牛のような勢いと迫力だ。


「ピィッ!?」


驚いたルミは、実を食べるどころか、恐怖で羽を逆立てて真上へ飛び上がった。 そして一目散に空へ逃げ、二階のサクの部屋の窓から中へ飛び込んでしまった。


庭には、踏み潰された赤い木の実と、しょんぼりと項垂れる巨大な黒い鳥だけが残された。


「…………」


一部始終を見ていたコルヴァンが、こめかみを押さえて深い溜息をついた。


「ふふ、失敗しちゃいましたね」


サクが苦笑しながら、ノクスを慰めに行こうとする。 しかし、コルヴァンはその腕を掴んで引き止めた。


「待ちなさい。慰める必要はない。自身の未熟さを噛み締めさせるべきだ」


「でも、可哀想です。あんなに張り切ってたのに」


「血の気ばかり多くて、知性が足りん。……待てができぬ獣は、獲物を得られぬと知るがいい」


コルヴァンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、サクの腰を引き寄せ、その耳元で低く囁いた。


「その点。わたくしは随分と忍耐強かったと思いませんか? 主よ」


「……え?」


「飢えた獣の本能を抑え……あなたが罠にかかり、警戒を解いて、この腕の中に落ちてくるまで……何年も、何年も、待ち続けたのですから」


サクは息を呑んだ。脳裏に蘇る、数々の記憶。傷の手当て。髪を梳く指。美味しいお菓子や食事。そして、美しいドレス…。


「あなたは、本当に愛らしい獲物です」


コルヴァンは妖艶に目を細め、サクに優しくキスをした。


「ノクスにはまだ、早かったようですな」


サクは顔を真っ赤にして、何も言い返せなかった。庭ではまだノクスがしょげ返っていた。


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