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「きよい」

作者: 大泉 碧
掲載日:2025/10/30

 夕食を食べ終えて歯に千切りキャベツの感覚がありながら、自室のベッドでYoutubeを見ている。そのスマホの画面に、LINEの通知が現れる。見慣れたカワウソのアイコンだ。


 来週の日曜さ、待ち合わせ橋本駅でいい?


「莉可子がスタンプを送信しました」のバナーが重なる。

 来たる日曜日、僕は彼女と映画を観にいく予定だ。細田守監督の新作。だけど、すでに公開から1ヶ月も経っていて、東京の端っこにある映画館なら日中を避ければ空席が目立つようだった。そのようすをモバイル予約の画面で見つけ、

「えいが、いかない?」と誘ったのだった。


 だが同じ日は、世の中の人々にとって重要なイベントもあるようだ。衆議院議員総選挙の投票日。

 リビングのほうからは、民放の討論番組の音声がもぞもぞと聞こえてくる。父親がのどごし<生>を飲みながら、夕食の前からじーっと見ている。出演者がなにを話しているのかはわかるけど、なんでそんなことばかり話しているのかわからない。さっき僕は唐揚げを咀嚼すると一緒に、そんなクエスチョンも飲みこんだ。


 選挙(というか政治全般)の話って、いつでもなんかうさんくさい。小四ぐらいからぼんやりと思いつづけてきた。マイクひとつでこの市を、この県を、この国を「変える」って、魔法使いなのかな? 嫌味っぽいけれど、僕なりにはけっこう純粋なギモンだった。


 父親は選挙があるたび、かならず行っているようだ。国会議員でも、県知事でも、市議を決める選挙でも、雨が降っても行っている。母は、僕が中二のころくらいまでは

「じゃ、投票行ってくるから。留守番よろしくね」

僕の部屋のドアへこんなかんじに言葉をかけて、父と一緒に投票所へ出かけていた。理由はわからないけど、コロナ禍になってからは行かなくなった。


 僕は、さきの5月で18になった。日曜の選挙は<有権者>になってから初めての選挙だ。でもわざわざ、行くことはないのだろう。


 選挙が近づくと、いろいろなことが起こる。くわしくは選挙前の街なかやSNSを見てもらえればよいとして、おそらく多くの人は体験しないとおもわれる出来事がある。

 近所に暮らす某・宗教団体の会員さんがビラをもって「よろしくお願いします」とあいさつにくる。僕は会員さんの娘(Yちゃん)と小・中が同じで、とくに低学年のころは通学路がかぶっていたから並んで帰ったこともある。彼女とはそのうち自然に話さなくなったけど、そんなわけで会員さんと僕は小さい頃から顔見知りだから、あいさつに来ると僕は玄関先まで出ていって、それなりのにこやかな身ぶり手ぶりで応対する。

 安倍さんが銃撃されたあの事件以来、「宗教」はいっそう冷めた目線を向ける存在になった気がする。でも、昔とくらべて色あせた長い茶髪に小じわの増えた眼前の「会員さん」が、疎ましいなぁとは感じない。あくまで、Yちゃんのお母さんだから。


 そんな「お母さん」が帰る背中を見届けて、玄関に鍵をかける。一瞬の間があって、いっしょに応対した僕の母が

「今年も、か」とつぶやいた。

 わが家では、投票券がハガキで届くとか、街に選挙ポスターが掲示されるとかよりも、挨拶まわりを迎えることが選挙の知らせになっていたのだった。



 京王線がまとう「超混雑」のイメージは、新宿駅を発着するあたりのごみごみ感が大部分を占めている。休日下りの橋本行きは、終点へ近づくにつれて駅に停まるたびどんどん軽快になる。

 まばらな人の流れに沿って改札を出る。莉可子が出てくるJRの改札まで通路をすすんだ。じきに莉可子は現れた。初デートのころは、駅前で落ちあっても緊張して目線をみだしていたけど、さすがに慣れた。

「やぁ」

「やぁってなに」莉可子はほほえんだ。「びびってるの」

「いや、びびってるとかじゃなくて」

「でた。“いや”はびびったり恥ずかしいときの口ぐせ」

慣れたはウソだったかもしれない。


 映画館までは、ミウィ橋本というショッピングモールに沿ってのびゆく、広めの歩行者デッキをすすむ。デッキを降りたら東横インにぶつかるT字路まで歩き、そこを左に折れればまもなくだ。

 デッキを降りる階段の先に、「○月×日は投票日!」と刻まれた横断幕が張りだされていた。

「投票って、いった?」莉可子がきいてきた。

「ううん」僕はこたえる。

「わたしも」

「なんだかね」

「なんだかねぇ」


 莉可子は高三のいまでさえこういう感じだけど、地元の中学では生徒会長をやっていたらしい。

「莉可子ってさ、中学のときなんで生徒会長やろうとおもったの」

莉可子は自分の左頬をすこしへこませた。「生徒会長にね、なるつもりはなかった」

ええ、そうなのか。「生徒会長選挙には出たのに?」

「私のいたクラス、あんまりそういうのに向いてる人がいなくて。……っていうか元々はひとり、まじめで勉強もできる男の子がいたんだけど。中二の夏休みが明けたら突然、学校に来なくなっちゃって」

いわゆる不登校、ってこと? と僕がはさむ。莉可子はうん、とうなずく。

「候補者はクラスからひとり、出さないといけないから。決めるときはえんえん渋ったけど、このままじゃみんな部活にいけないから、じゃあ私がやりますってことで手を挙げたの」

東横イン前の横断歩道をわたった。映画館の自動ドアがみえてくる。

「私はそういう、おもてだった役目をやったことなかったし。部活も人数の少ない美術部だったから、組織票はないって決まってた。だから、当選することなんてないって思ってたの」

 そして、実際に当選しなかった。「だけど、話はここからなんだ」

 落選した莉可子は中学三年の四月、自動的に生徒会役員(書記)に就いた。しかし、流暢な演説と、もともとの人望で当選を果たした男子バスケ部のKくんが、父親の仕事の都合で六月、仙台へ引っ越すことに。さらに、次点で副会長となった吹奏楽部のAさんもまた、一学期をもって親の都合でドイツへ渡るという(これは莉可子のきいた噂だが、なんとAさんはこのことを一年前からわかっていたのに、立候補したらしい)。

 会長、副会長に次いで書記のポストだった莉可子は、こうして繰り上がることになった。二学期のはじめから、ひと学年下の生徒会長選が終わるまで、生徒会長をつとめたという。そのかん、コロナ禍で工夫の求められる文化祭があったが、なんとかうまくやり切った。


 さらに、莉可子がふたつ下の妹から聞いたウワサ。それ以来、中学校は生徒会長選の候補者をきめる際、生徒会顧問が候補のもくされる生徒の保護者に「卒業まで、転居される予定はないですよね?」と確認するようになったそうだ。しかし、“会社の都合もあるのでわからない”と答えられるとどうしようもなく、職員室の中は“そもそも転勤族の生徒を擁立しない方がいい”という空気になっている(らしい)。


「こんな話、どこまでホントかわかんないけど……。私は選挙って立候補するしないも、投票するしないも個人の自由でいいんだなって思うようになったの。クラスから絶対ひとり候補者を出すとか、選ばれたあとは必ず1年間やるとかって下手なしばりをつけるから、選ばれてない私が例外として選ばれることになっちゃったんだよね。ただ、調査書に肩書きがついたのは良かったけど」

「投票も?」個人の自由でいいと、莉可子がいい切ったから。

「うん。私もそのときの演説でなんとなく使ってたけど、“きよき一票”って言葉、意味がわからないなって思ったの。ふだんから私は、いろんな選択をして生きてる。きょうここに来ない選択もあったかもしれないけど、私はいっしょに映画見たかったから、来ることにした。みんなのそういう選択って、ほんとうは全部“きよい”ものなんじゃないのかな。なのに選挙のときの投票だけが、“きよい”ものになる理由がわからなくて。前、おかあさんにそのことを聞いたら、そんなの私にはわからないわよっていうし、おとうさんは小難しい歴史の話を始めて……」カウンターの向こうから注文を訊かれると、莉可子はポップコーン(ミックス)とファンタメロン×2をおねがいした。

「ファンタでいいよね?」莉可子が振り向く。莉可子が選ぶのなら。

 “きよい”理由は僕もわからないな、と思った。そして、答えてくれそうなひとの顔は思い浮かばない。はっきりしているのは、今がきよいことくらいか。

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