第一部:『今川義元編』 第8章:「濃尾の炎、斉藤の影」
三河を制し、尾張を手中に収めた今川義元は、次なる戦略へと動き出します。
その矛先は、美濃・斉藤家。かつて織田家と抗争を繰り広げた、老練なる戦国武将・斉藤義龍が統べる地です。
第8話では、知略の帝王・義元が“力”ではなく“火”と“心”で城を落とす、
斉藤家との静かな火花を描きます。
城を守る者、落とす者、それぞれの正義と誇りが交錯する、美濃戦線の始まりをどうぞご覧くださいませ。
「稲葉山城は、思ったより堅いな」
私は地図を睨みながら、額に指を添えた。
美濃の要害・稲葉山城。
標高の高い山城であり、城下の支配も強固。斉藤義龍は、防衛に長けた老将である。
「直接攻めるのは得策ではありませんな。義龍は、徹底して“籠城戦”に持ち込むはず」
泰朝が冷静に言う。
私は頷き、すぐに「三段の戦術」を提示した。
一、補給線の遮断。
二、経済封鎖による市場の崩壊。
三、内応者への心理戦。
「戦場を“兵”でなく、“生活”に広げる。これが我々のやり方だ」
美濃には、商人と農民の中間層が厚い。
私はその民意を揺さぶるべく、尾張から物資を密輸し、周辺村を“義元寄り”に染め始めた。
「義龍は、義父・道三のやり口とは違う。
強さではなく、堅さを信じている」
だからこそ、強く押すのではなく、じわじわと心を“干す”。
一ヶ月が過ぎた頃。
「義龍様が、城内で病を患っているとのこと」
「来たな」
私はすかさず、次の手を打つ。
稲葉山の裏山に、巨大な狼煙台を築き、
義龍が“民に見放されている”という虚報を散布した。
さらに、兵糧を積んだ偽装部隊をわざと捕えさせ、
その食料に“毒”が仕込まれていると噂を流した。
「この戦いは、“恐れ”が勝つか、“信じる心”が残るかだ」
泰朝の報告によれば、城内で疫病の疑いも広まり、
食料不足と不安により、家中の武将が動揺しているという。
そしてある晩
「使者が参りました。斉藤家より、降伏の申し出です」
静寂の中、その報せが本陣を満たす。
「義龍はどうした?」
「重病の床にあり、政務を嫡男に譲ったとのこと。
条件付きでの開城と、臣従を願っております」
私は、そっと筆を置いた。
「よかろう。誇りある武士の顔を立てよ」
稲葉山城は、開かれた。
火計も剣も使わず、民意と知恵で落とした一城。
「これが、“知”による戦の形だ」
地図の上、濃尾が私の色に染まっていく
第8話「濃尾の炎、斉藤の影」、お読みくださりありがとうございました。
本話では、兵の激突よりも“静かな包囲”と“心理戦”に焦点を当て、
義元の真骨頂たる知略による征服劇を描いてまいりました。
斉藤義龍という歴戦の将も、病と民の離反には抗えず、
“無血開城”という形で美濃が今川の手に落ちます。
次回、第9話「稲葉山炎上、斉藤家の黄昏」では、
わずかに残った強硬派との衝突が描かれ、斉藤家の完全終焉へと至ります。
どうぞ次話も、お楽しみにしていてくださいませ