第一部:『今川義元編』 第6章:「岡崎の烽火、徳川の覚醒」
信長の死を以て尾張は静けさを取り戻したかに見えましたが、
その均衡を破ったのは、三河の若き“虎”松平元康。
今川家の客将でありながら、己の野望を胸に動き出す彼の決断が、
次なる戦火の烽火を上げます。
本話では、元康の挙兵に対する義元の対応と、
知略を尽くした外交と包囲の第一歩を描きます。
歴史を知る義元=拓海の視点で、
元康の“覚醒”とその裏にある人心の揺らぎに迫ります。
岡崎の城下に、鬨の声が響いたという報せは、
思ったよりも早く届いた。
「松平元康、公然と挙兵。名目は“尾張奪還と独立宣言”」
報告を読み終えた私は、軽く眼を閉じた。
「やはり来たか、信長亡き今、最も危険なのは“彼”だと思っていた」
あの若者には、光と影、両方の可能性があった。
私の目から見ても、秀才にして胆力のある将。
彼が“あえて”尾張への忠節を否定するということは、
この三河という地を、己の理想で塗り替える気概があるということ。
「泰朝、彼を討つのは容易ではない」
「承知しております。兵も武勇も、今川方の中では群を抜いております」
泰朝の言葉に頷き、私は次なる戦略に思いを巡らせる。
ここで正面から戦えば、三河に血が流れる。
だが、戦わずして屈服させるには、策がいる。
「三河には、数々の土豪と国人がいる。
その者たちを味方につけるには“情報”と“利益”が必要だ」
すぐさま、文官に命じる。
「三河各地の商人、寺社、農民、鍛冶衆へ書簡を送れ。
『今川がもたらす新政と安寧』を説き、協力を仰ぐ」
そして、もう一つ。
「岡崎へ通じる補給路、街道、川筋、すべて封鎖。
兵糧を絶ち、兵の流通を断て」
泰朝が目を見開いた。
「殿、兵を動かす前に“戦を始める”おつもりですか?」
「これは“包囲”ではない。『孤立』させるのだ。
外部からの援軍も、内部の支援も断たれれば、
元康の心にも、家臣たちの心にも“疑念”が芽生える」
三河の地を、静かに“締め付けて”いく。
やがて、岡崎の周辺から上がる煙と、
元康軍の動揺が伝令から次々と届き始めた。
「一部の農民が離反、村落が今川へ寝返りを示唆」
「元康方の家臣、酒井忠次が『中立』を表明しました」
私は、冷静に泰朝へ命じる。
「兵を動かすな。まだ早い」
「かしこまりました」
数日後、元康が書状を送ってきた。
『我、信長の盟友なり。今川の威を恐れず』
挑発的な文面の裏には、焦りと苛立ちが滲んでいた。
私は静かに筆を取り、返書を認めた。
『信長は討たれた。次に選ぶは、忠義か、滅亡か。
時代は、知と理で動く。武のみに頼る者は、やがて崩れる。』
それが、私の覚悟だった。
第6話「岡崎の烽火、徳川の覚醒」をお読みいただき、ありがとうございました。
信長を討った直後の義元に立ちはだかるのは、
かつての“部下”であり、歴史を変えればこそ生まれた宿敵・松平元康。
この対決は、ただの軍事では終わりません。
知略、心理、そして情報戦
“歴史を変えた”ことによって動き出す新たな因果が、
いよいよ義元の前に姿を現します。
次回、第7話「西三河の落日、徳川包囲戦」では、
ついに兵を動かし、決戦の火蓋が切られます。
どうぞお楽しみに。