第ニ部:『本願寺顕如編』 第8章:「沈黙の祝宴」
顕如が完成させた“選別型死病”
敵だけを静かに殺し、味方は無傷で残す精密な病。
その最初の標的は、大和南部の筒井領。
彼らは顕如の支配を拒み、
三好残党や畠山勢と密かに通じていた。
顕如は武力ではなく、彼ら自身の祭礼を利用して滅ぼす策を選ぶ。
沈黙のうちに仕掛けられたその罠は、
やがて笑い声に満ちた宴を、
血と吐瀉に沈む地獄へと変えていく。
標的は、毎年秋に行われる「秋祭り」。
豊穣を祝うその宴には、筒井家の領民が総出で集まり、
塩漬け魚と新酒が振る舞われる。
「塩だ。あの塩こそ媒介になる」
私は実験棟から運ばせた小瓶を取り出す。
中には乾燥耐性を強化した病原菌の粉末が入っていた。
たとえ塩に混ぜられても死滅せず、
体内に入れば三日間の潜伏後に牙を剥く。
これを運ぶのは、免疫強化薬を投与した信徒たちだ。
彼らは病にかからず、粉を塩蔵庫に混ぜる役目を担う。
「お前たちの手で、仏の裁きを下すのだ」
信徒たちは深く頷き、夜闇に紛れて筒井領へと向かった。
三日後、祭りの太鼓が山間に響き渡る。
笑い声と酒の匂いが広場に満ち、
大桶に盛られた塩漬け魚が次々と人々の口へ運ばれる。
顕如は本願寺の高楼から、
密偵が持ち帰った報告を受け取っていた。
初日の終わりには、何も起きない。
翌日も、人々は普段通り畑へ出て、
市は賑わっていた。
そして三日目の夜
最初の症状が現れた。
高熱、全身の筋肉の痙攣、
やがて喀血し、泡を吹いて倒れる者が続出。
翌朝には、村の半分が寝込んでいた。
筒井家は混乱し、祭りの残り物を捨てようとしたが、
既に病原は水場や家屋にまで広がっていた。
潜伏していた信徒たちは、
予防薬を配る名目で村々を巡り、
健康な者だけを本願寺の庇護下へ連れ出す。
七日目には、筒井領は死と静寂に包まれた。
畠山や三好残党は救援に動けず、
逆に「神の裁き」を恐れて距離を取った。
顕如は冷然と命じる。
「空いた土地に寺内町を築け。
そこには衛生と信仰の秩序を敷くのだ」
かつて筒井の旗が翻っていた丘には、
白壁の寺と薬蔵が建ち、
病を知らぬ民が暮らす本願寺直轄の町が誕生した。
第8章では、“選別型死病”が初めて実戦に投入され、
大和南部の筒井領がほぼ無血で陥落しました。
顕如は病を武器にしながら、
救済という名目で人々を自陣営に引き入れ、
支配を絶対化していきます。
この手法は武将たちに恐怖を植え付け、
同時に信者には揺るぎない信頼を与える結果となりました。
次章では、この成功が新たな反発と密謀を生むことになります。