第一部:『今川義元編』 第1章:「桶狭間の夜、運命の覚醒」
歴史というものは、知るほどに無力さを痛感させるもの。
私、一ノ瀬拓海はただの歴史学者
そう思っていたはずでした。
講義と文献に埋もれる平凡な日々。けれど、ある日突然、その知識が「生きる武器」になるとは思いもしなかったのです。
転生先は戦国の真っただ中、今川義元の身体。
あの桶狭間の戦い、死が確定された舞台に、私は立たされていた。
だが、私はこの運命をただなぞるつもりはありません。
この頭の中にある知識と理論、それを現実の力に変えるときが来たのです。
歴史は、記録ではなく選択だと証明するために。
2025年、東京。
私は歴史学を教える大学准教授、一ノ瀬拓海。
教壇に立ち、古代ローマの道路網や東洋の兵法について語り、
研究室では資料と格闘し、論文に追われる
そんな日々は、静かで、退屈で、どこかで満たされないものだった。
だが、その日、世界が沈黙した。
突如、都市全体が“ブラックアウト”に見舞われた。
電気は消え、通信は遮断され、空に現れたのは不気味に輝くオーロラ。
パニックの渦中、私はただの一人の研究者として、混乱する人波の中で意識を失った。
そして目覚めた時、そこは異なる時代だった。
「殿、ご準備を。いよいよ明日、織田勢との決戦にございます!」
耳に入る言葉、見知らぬ装束の男たちの姿。
それは戦国時代、まるで時代劇の一幕のような光景だった。
そして、私は自らの姿に気づく。
身にまとうのは、精緻な意匠が施された甲冑。
鏡代わりの水面に映る顔は、自分のものではなかった。
「今川義元?」
その名が脳裏を貫いた瞬間、記憶が洪水のように押し寄せた。
この肉体に宿る記憶、それは確かに今川義元のものであり、
同時に、私の研究者としての記憶は明瞭に残っていた。
つまり私は、今川義元として転生していた。
状況はすぐに理解できた。
永禄三年六月、桶狭間。
織田信長との決戦前夜。
そして明日、歴史では義元が命を落とす、あの戦いの前日だった。
「このままでは、死ぬ」
私はその運命を知っている。
歴史学者として、数えきれないほどの文献と地図を眺めてきた。
だが、今回は違う。
私は、その“中”にいる。
「歴史は変えられるか?」
それを確かめる時が来たのだ。
まず私は、義元としての記憶と、私自身の知識を照合した。
どこで信長は動き、どのような奇襲を仕掛け、
どうして義元は討ち取られたのか。
「殿、朝比奈泰朝様がお控えにございます」
今川家きっての猛将、そして忠臣。
義元にとっての右腕とも言うべき存在。
私は彼の顔を確認すると、落ち着いた声で告げた。
「泰朝、明日の戦だが、布陣を再検討する必要がある」
「再検討、にございますか?」
驚きを隠さない表情。だが、疑念ではない。
泰朝は、聞く耳を持つ男だった。
「信長は、谷間から奇襲を仕掛けてくる。
常識では考えにくいルートを選び、こちらの本陣を突く」
「それは、何を根拠に?」
私は一瞬躊躇した。
だが、ここで正直に言っても混乱を招くだけだ。
「直感だ。しかし、私はこの戦場の地形、天候、兵数をすべて把握している。
信長は常識を覆す男。このままでは、我らが討たれる可能性が高い」
泰朝は黙考した末、静かに頭を下げた。
「承知いたしました。殿の策、我らが命をかけて実行いたします」
その言葉に、私は深く頷いた。
今川義元としての威厳と、
一ノ瀬拓海としての知性を合わせ持つ私なら
歴史の“定め”すら、乗り越えられる。
「明日、歴史を塗り替える」
私は、帳の中で静かにそう誓った。
ご拝読、ありがとうございました。
第一話では、歴史学者・一ノ瀬拓海が、今川義元として転生し、
戦国最大の“死亡フラグ”である桶狭間の戦いの前夜に立たされるところまでを描きました。
信長という異端の戦術家を前に、知識でどう生き延びるのか。
そして、“知”を武器に、この世界をどう再構築していくのか。
義元としての尊厳と、現代人の視点を持つ者としての葛藤。
その交差を、丁寧に描いていけたらと思っております。
次回、第2話「知識が描く布陣図」では、
ついに“戦略”が動き始めます。どうぞお楽しみに。