第15話 それぞれの破綻予兆③
そして夜。アルディアス家の屋敷の奥まった部屋で、ステラは一人、封書を手にして書き物机に向かっていた。ランプの灯りに照らし出された彼女の横顔には、どこか冷たい笑みが宿っている。
「さて、この頃いよいよ計画が怪しくなってきたわね。そろそろ『もし崩壊したら、私だけはどう逃げるか』を本格的に考えないと」
ステラはそう独り言をつぶやき、机の上に並ぶメモや書類をチェックする。そこには「投資家のリスト」「偽書類のテンプレ」「主従関係の証拠」など、多様な情報がぎっしりと書き留められていた。
彼女がペンを走らせながら、軽く鼻歌でも歌いそうな明るさを見せるのは、これらすべてが「自分の命綱」になると信じているからだ。
「エレノア様やガイル様が、このまま無事に成功すれば私も報酬がたっぷり。失敗したら……この証拠や情報をしかるべき相手に売り渡して、私は安全地帯に行けばいい。完璧ね」
さらに彼女は引き出しを開け、そこに忍ばせてある小さな革袋を確認する。中には自分があちこちに情報を売って得た金が詰まっている。いざというときはこれを持って夜逃げすればいい、という算段だ。
「もし本当に崩壊の足音が聞こえてきたら、一気に売り渡せる情報もまだあるし……。ま、準備万端と言えそう」
ステラはひとしきり書類を整え、封筒に戻して封をする。それをホッと安心するように抱きしめ、「あとはそのタイミングを見計らうだけ」と言わんばかりに微笑んだ。
そんな彼女の姿は、アルディアス家を支える「忠実な侍女」のイメージとは正反対――まさに黒幕の一人である。けれど、家の中で彼女を疑う者はいない。エレノアもガイルもステラを「有能な助手」としか見ていないのだ。
(崩壊が始まるのは、そう遠くないかもしれない。このところ噂が急激に広がってるし、レオンたちが絡んでさらにカオスだし……)
ステラは椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。夜の庭にはわずかな月光だけが差し込み、風に揺れる樹々の影が揺らめいている。
「ただ、アルディアス家が持ちこたえてくれれば、それはそれで悪くないけれど……。まあ、私にはどちらでもいいわ」
そうつぶやく声には冷徹な確信がにじむ。「どっちに転んでも私は助かる」――そんな自信を抱えているせいか、ステラの表情には一切の迷いがない。
「情報屋たちも『まだあの家の裏事情を買いたい』と言ってるし、新たな高利貸しも興味を示してる。崩壊の時に一斉に売り込めば、私が大金をつかむのも夢じゃないわ」
ステラはそっと微笑み、カーテンを閉じる。遠くからは夜鳥の鳴き声がかすかに聞こえるだけ。屋敷の主たちは詐欺計画が揺らぎかけていることに気づいていないか、あるいは気づこうともせず夢を見ている。
しかし、この侍女は現実をしっかり見据えている。いずれ全てが崩壊するだろう――だが、そのときまでに自分の安全策を固め、さらにはできるだけ儲ける。もうすでに破綻の足音を感知し始めているのだ。
「もうすぐね。興奮してきたわ。……崩れるときは一気に行くだろうし、その時が私の華麗な退場となるのかしら」
ステラはさも愉しげに部屋を出ていく。廊下の先からはエレノアの高笑いがかすかに聞こえてくるが、それは投資家たちがまた一人サインした、なんて程度の報告を聞いての歓喜らしい。
この家が「もうすぐ終わる」かもしれないという不穏な未来を想像しているのは、ステラただ一人かもしれない。冷酷な従者の瞳には、既に「自分が勝ち逃げする光景」が映っているのだ。誰が破滅しようが、彼女にとっては何の関係もない。
(あの悪党たち……レオンやカトリーナも巻き込んで、計画がますます泥沼化してるし。さあ、いよいよね)
物語は近づいていく破綻の足音に、いやでも舞台を揺らされ始める。レオンとカトリーナの不和、フローレンスへの抗議、そしてステラの冷酷な密談――すべてが「詐欺計画の限界」を鮮明にしている。だが、当事者たちは気づかないか、あるいは気づいても目を背けている。
いよいよ「破綻」の影がちらつきながらも、欲深い面々は加速をやめない。守るべきものも、良心もないが故の執念が、この結末をさらに悲惨なものへと導くのだろう。




