第5話 侍女ステラの暗躍②
早朝の裏取引を終え、屋敷に帰還したステラは、何事もなかったように通常業務に勤しむ。朝食の準備を整え、エレノアが起床するのを待つ。そのあたりの手際は実に鮮やかだ。誰が見ても彼女は「勤勉な侍女」に映るだろう。
「お嬢様、そろそろお目覚めになられたでしょうか」
ステラは寝室の扉を軽くノックする。エレノアの声が「入って」と響くと、すかさず部屋に入ってベッドの傍らに近づいた。エレノアはまだ髪も整えず、ぼんやりと枕元に腰かけている。
「……おはよう。今日はやけに早いわね、ステラ」
「ふふ、いえいえ。いつも通りの時間ですよ。お嬢様が少し寝坊されただけでは?」
「寝坊じゃないわ。夜中にいろいろ考え事をしていただけよ。……それで、何か用?」
エレノアは不機嫌そうに言いながらも、どことなく覇気がない。ステラはしれっと口元を引き結びながら、彼女の表情を観察する。
「いえ、お加減はいかがかと思いまして。最近、お食事の量が減っているようですし、お顔色も少しお優れでないようにお見受けします」
「……別に。婚約破棄の件で食欲が落ちただけよ」
エレノアは露骨に気分を害したように顔を背けるが、ステラは構わず声を落として続ける。
「ご無理なさらないでくださいね。お嬢様はデリケートな時期でしょうし、もし何かお力になれることがあれば遠慮なくおっしゃっていただければ」
「はあ……。結局、あのレオンって男が私を捨てたのよ。そんなの、侮辱以外の何物でもないわ」
怒りや悔しさをにじませるエレノアに、ステラはうなずくフリをしながら内心では「もっと言え」と促している。その姿勢を悟られぬよう、あくまでも優しい声色で問う。
「やはりあの男のことを考えるだけでイライラなさいますか? それとも、借金のことを気に病まれているとか?」
「借金なんて、父様が勝手に作ったものよ。だけど、私のために使ってたわけじゃないから余計に腹が立つ。ギャンブルと愛人遊びに大金を使われたせいで、婚約すら破談になって……」
そこまで吐き出すと、エレノアはハッと口をつぐむ。ステラが細かく誘導して、彼女自身の本音を引き出していると気づいたのかもしれない。それでも、時すでに遅し。エレノアは自分の苛立ちを何とか収めようとするように、ベッドの端にあったクッションをぎゅっと抱え込んだ。
「……ごめん、変な話をしたわね。別にあなたに愚痴りたいわけじゃないわ」
「いえいえ。お嬢様が少しでも気持ちを楽にしていただけるなら、私はいつでもお聞きしますよ」
「……ステラ、あんた最近ずいぶん私に優しいわね」
「わたくしは昔からお嬢様のお味方ですもの。お嬢様のために働くのが生き甲斐でございます」
ステラはすまし顔で語るが、本音では「もっと暗い感情を吐き出してくれたらいいのに」とほくそ笑む。エレノアがどれだけ落ち込んでいるか、どれだけ家の未来に不安を抱いているか――すべては情報として価値がある。彼女はその弱みを正確に把握したいのだ。
「ま、助かるわ。……借金であたふたしてる父様なんかより、よっぽど頼りになるっていうか。自分でも情けないとは思うけどね」
エレノアがポツリとそう漏らしたのを聞き、ステラは満面の笑みを浮かべて深く一礼する。頭を下げながら「そう、それでいいのよ」と心の中で唇を噛む。
(もっと弱音を吐いて、もっと情報を私に教えてちょうだい。お嬢様が苦しめば苦しむほど、私は有利に動けるんだから)
「では、お嬢様。朝食の準備ができておりますので、リビングへいらしてください。今日は少しカロリーの高いお粥を作っております。お疲れの体を癒すにはぴったりかと」
「……ありがとう。後で行くわ」
ステラは「かしこまりました」と微笑み、部屋を出ていく。心なしか、その足取りはいつも以上に軽い。新たに仕入れた「エレノアの弱点」という素材を、いずれ誰かに売るなり、利用するなりする算段が頭の中で浮かんでいるからだ。




