第5話 侍女ステラの暗躍①
明け方の空気がまだ冷たさを残す頃、ステラはこっそりと屋敷を抜け出した。エレノアが眠りを貪っている隙を狙い、普段なら使わない裏口から外へと出る。彼女が向かう先は街の中心部ではない。そこから少し外れた裏通りだ。
石畳こそ敷かれているものの、人目に触れにくい場所。豪華な店など一切なく、代わりに闇取引や貸金業者の小さな事務所が雑居ビルの奥深くにひっそりと潜むように並んでいる。
「ずいぶん早いお着きだな、ステラ」
人影の薄い路地へ入ると、安っぽい帽子を目深にかぶった中年の男がポツリと待っていた。彼の腕には何やら分厚い手帳が挟まれており、その手帳には「債務者のリスト」や「回収予定日」など、お世辞にも表に出せない情報がびっしり書かれている。
「お待たせ。あまり堂々と会える関係じゃないから、時間を選ぶのが大変なのよ」
ステラは嘆息混じりに言いながらも、全く警戒心を見せない。こんな裏通りに平然と来られるあたり、彼女が既に何度も同じような取引を繰り返していることは明白だ。
「で、今日もいいネタを持ってきてくれたんだろう? アルディアス家の財政事情ってのは、いつ聞いても面白いからな」
「ええ、もちろん。ずいぶん楽しみにしているみたいね」
男は下卑た笑いを漏らしながら、目の前の「侍女」に視線を固定する。通常なら主人の情報を売るなど裏切り行為にも等しいが、ステラはお構いなしの様子だった。むしろ、楽しんでさえいるかのように、少し芝居がかった口調で話を続ける。
「ご所望の情報よ。アルディアス家の借金は、ついに当初の倍近くまで膨れ上がっているわ。貸金業者からの小口借り入れも重なって、たぶんもう返済は追いつかないでしょうね」
「おお……! ますますヤバいな、そりゃあ。聞けば令嬢の婚約も飛んだって話だし、支払えるアテはもうほとんどないわけか」
「そうね。実際、今のところまとまった金が入る見込みはないみたい」
ステラはわざと大仰な仕草で肩をすくめる。男は食い入るようにその言葉に聞き入り、「これは大漁だ」とうれしそうに笑った。
「いいネタだ。あの家が落ちぶれれば落ちぶれるほど、俺たちが取り立てる口実も増えるからな。ところで、もっと面白い話はないのかい?」
「いずれ大きな『投資計画』なるものに、アルディアス家が首を突っ込みそうなのよ。友人のフローレンスが絡んでいるのだけれど、まだ実態は不透明。だから、まだ私も詳しくは把握していないの」
「投資計画、ねえ……。そんな余裕あるのか、あの家」
「ないからこそ、彼らは藁にもすがる思いで乗ってくる可能性が高いわ。もし大金が動くなら、なおさら混乱が大きくなるでしょうね」
ステラは意味ありげに微笑む。男はその言葉に想像を膨らませるように目を細め、「もっとわかったら教えてくれよ。高く買うからさ」と前のめりになる。
「ええ、わかっているわ。まあ、追加報酬は期待してもいいのね?」
「もちろん。俺たちも新しい回収先が見つかるなら、経費を惜しまねえよ」
そう言って男は汚れた袋を取り出し、中から数枚の紙幣をステラに手渡す。彼女は数枚をざっと確認すると、満足そうに眉を上げた。
「じゃあ今日はこれで十分かしら。いずれもっと『大きな動き』があるかもしれないから、その時はまた声をかけてちょうだい」
「おうよ。助かるぜ、ステラ」
男が小さく手を振り、ステラも手短に挨拶を返す。彼女は軽い足取りで裏通りを去っていき、その背に朝日の光が差す。まるで彼女だけは全く汚れを感じていないかのような姿だ。
(こんなことで少し小銭を稼ぐなんて、やりがいのない仕事だけど……まあ、黙っているよりはマシね。家が大きく動けばさらに情報は高値になるだろうし)
ステラは心の中でそんな計算をしながら、貧相な裏通りを抜ける。まだアルディアス家が「名門のふり」をしているうちは、こうした裏取引はより高額になる余地がある。今はまだ始まりに過ぎない、と彼女は確信していた。




