治癒の祝福
「え……ちょ、ま、まってよ! それじゃあ、その怪我はどうするわけ!?」
「どうも、しません。ですが……」
途切れ途切れの声を紡いで話すレイチェル。彼女は瞳子から俺へと顔を向け直し、フッとどこか悲しげに口元を歪めて話し出した。
「今になって、あなたの言葉を思い出します。くだらないと、あなたは言いましたが……その通りなのかもしれませんね」
そういったレイチェルの表情は、自身の不甲斐なさを嘲るかのような笑みを浮かべている。
「戦い、傷つき、それらを癒したとしても、結局また戦うだけ。人は戦争を嫌いだと言っておきながら、人同士で争うことを望んでいます。やはり、あなたの言った通り……こんなことは全て意味などなかったのかもしれませんね」
ふざけんなよ……。なんだよその顔は。なんでそんな全部諦めたようなことを……自分は間違ってたなんてことを言ってるんだよ。
俺は……俺は、そんな顔をさせたいから……そんなことを言わせたいからお前と話をしたわけじゃないんだぞ。
「……ああ、だけど……そうだとしても……私は……」
そこでレイチェルは言葉を止めて黙ってしまった。
倒れたまま動きがなく、しゃべらないとなると死んだようにも見えるが、まだ生きてはいる。
けど、このままであればもうすぐ死んでしまうだろう。
レイチェルは一体、私はなんだと言いたかったんだろう?
けど俺は、こんなふうに悲しみながら死なせるためにあんなことを言ったわけではない。
そもそも、こいつも俺の言葉なんて無視して最後まで自分の思ったように生きればいいんだ。
このまま死なせるなんて、そんなこと赦せるかよ。なあ。まったくふざけんじゃねえって感じだよ。
元々こいつを助けるためにここに来たんだし、死なせるつもりはなかった。
だけど、今のこいつの言葉のせいで死なせたくないという思いが強くなった。
だから、仕方ないことだ。これからすることは、仕方ない事なんだ。だって、放っておいたら絶対に気分が悪くなるだろ? そんな気持ちを抱えて生きていくなんて、〝普通に生きる〟ことができなくなる以上に認められないことだ。
「レイチェル。お前のせいだぞ。お前がこんなことにならなければ、俺は普通に暮らせたんだ。このどうしようもないクソみたいな生活でもまだマシで、まだ普通に暮らすことができる希望はあったんだ。でも、これからはそうはいかない」
「なにを……」
「だから、これから俺に降りかかる問題は全部お前がどうにかしろ。それくらいできるだけの権力はあるだろ? なければ身につけろ。それがお前を助ける条件だ」
できることなら使いたくなかった––––もう一つの祝福。
これを使えば、俺は絶対に〝普通に生きる〟ことはできなくなる。それが分かりきっているから、国の上層部だって俺の能力については隠してきたし、必要最低限の人数しか俺の能力について知らない。
ここで使えば、そんな隠してきた努力も意味のないものとなるだろう。
それでも、俺はここでこいつの事を見殺しにすることはできなかった。
「一方的に押し付ける形になって悪いけど、この契約は破らないでくれよ」
だから、そう言って約束ともいえない一方的に押し付けるように言うと、その返事は聞かずに祝福を使うために文言を口にし始めた。
「〈再演・僕は手を伸ばす。誰にも泣いていてほしくはないから。涙は敵で、涙を流す者も僕の敵。全ての涙を拭い去り、みんなに笑っていてほしい。––––この手は誰かの涙を拭うためにある〉」
祈を助けるために手を伸ばしたあの時。ただ手を伸ばし、瓦礫の下から助け出すだけじゃ足りないと俺は理解していた。
それでも、怪我を治すなんてどうすればいいか分からないし、とにかく悲しまないようにしてあげたい。痛くないように、泣かないで済むようにしてあげたい。そう思っていたんだ。
そして、泣いていたからその涙を拭って笑わせてあげたいと〝願った〟。
そんな〝願い〟が、『手』の祝福とは別枠で天に届き、俺は二つ目の祝福を得ることとなった。
悲しんでいる人の涙を拭う。その願いによって得られた祝福の効果は––––治癒の力。
自身を含めて触れた相手を癒し、治す能力。
そしてそれは、レイチェルの持っているスキルの元になった祝福でもある。
だからこそ最初にスキルを使われた時に驚いたし、できることなら関わりたくないと思った。
だって、当然だろ? こんな祝福自体が俺にとっては黒歴史なんだ。それなのに、その力を形にしたスキルをもっている相手が目の前に現れたとなったら、どんな顔をして接すればいいんだって話だ。
レイチェルがスキルを使うたびに、俺は自分の〝願い〟を言葉として聞かされることになるんだぞ。そんなの、嫌すぎるだろ。
それでも、今この状況に限ってはこの能力も使い道がある。
俺が祝福の文言を唱え終わると、俺の両腕が淡く光りを放ちだした。それと同時に展開していた『手』も俺の腕と同じように光だす。
そして、そんな光だした『手』が方々に伸びていくと、勝手に倒れていた負傷者の体に触れ、その傷を癒していった。
普通ならスキルでも祝福でも、二つの能力が合わさることはない。炎系統のスキルを二つかけ合わせても強力な炎になるわけではないし、炎と風の系統のスキルを合わせても、それはただ現象として結果が強力になるだけで、スキルの威力そのものが変化するわけではない。
だけど、俺の場合は違う。元々が同じ願いから派生したものなのだから、言ってしまえば本来の力に戻っただけとも言える。
助けたいと思った相手の手を掴むために手を生やす能力と、助けたいと思い触れた相手の傷を癒す能力。本質はどちらも同じものだ。
だから俺は、〝『手』で触れた相手〟を癒すことができる。
こんなことができるからこそ、実際にやってしまったからこそ、俺は『最も神に愛された英雄』なんて呼ばれることになってしまった。
二つの祝福を宿し、地獄の底でも誰かを救うためにその力を振るう素晴らしい『英雄』として。
俺からすれば、ふざけんな、としか言いようがないけどな。
「これは……祝福?」
「でも佐原さんは既に……いえ、それよりも、今のは、まさかっ……」
瞳子もレイチェルも、俺が今までとは違った祝福を使ったことで困惑した様子を見せているが、そうだろうな。
でも今はそんなことにかまってやるつもりはない。どうせ後で話をすることになるんだし、その時にまとめて話せばいい。
それに、今はどの面下げて話をすればいいのかわからない。
別に悪いことをしたわけでも、何か不義理を働いたわけでもない。けど、力を隠していたことも、こんな状況になってから力を使ったことも、全てが後ろめたさを感じる。
だから今は、今だけは人命救助を理由にして二人の言葉を無視することにした。
けど、そんな時間稼ぎもそういつまでも続けられるわけではない。
辺り一帯にいる人々を治し終えてしまえば祝福は勝手に終了し、柔らかな光の残滓を残して消え去っていった。
そうなれば当然話しかけられないわけがなく、それまでは黙ってみているだけだった瞳子とレイチェルの二人がこちらに近寄ってきた。
少し戸惑いがちに視線をさまよわせた後、瞳子は意を決したように俺と目を合わせて口を開いた。
「えーっと……あの、さ。もしかしてだけど、せいっちって二つ祝福を持ってたりする感じなわけ?」
「……ああ。別に、おかしなことじゃないだろ? 似たような願いは同時に願うこともあるし、それが同時に叶えられることもあるってだけだ。スキルでも似たような奴は複数覚えることだってできるはずだろ?」
実際にスキルを二つ同時に覚えることができる奴もいる。それは学校でも習ったことだし、ちゃんと現役で活躍している奴もいるんだ。だから、俺が祝福を二つ持っていたとしてもおかしくないだろ?
「いや、確かにそれはそうかもだけど……それってめっちゃ珍しいことだからね? ってか、なんだったら珍しいを通り越して『祝福者』よりも希少ってくらいだし」
……なんて、そんな言い訳は通用しないよな。
実際、俺の言った通りスキルを複数保有している奴はいる。けど、そんなのは世界で何人って程度しかいない特殊な例だ。
「希少でもなんでも、存在しないわけじゃないんだからそういうもんとして受け入れろ」
なんて言ったが、『祝福者』が千人、『治癒』能力持ちが百人だと言われている。その両者は世界的に見てもかなり少ない。だけど、それ以上に少ないのが『スキルの複数持ち』だ。
しかも、その『複数持ち』は全員『スキル』保有者なのだ。『祝福者』の中で祝福を二つ持っているのは、世界でも俺だけしかいない。
その実情を知っていれば、驚かないわけがない。
ただ、幸いにして瞳子はそこまで知らなかったのか、何だか複雑な表情をしているが一応の納得はしたのか黙り込んだ。
いや、納得していなくても今は問い詰めるべき時ではないと判断したのか、あるいは俺がまともに話すつもりがないと理解したのか。
どっちにしても、これ以上聞かないでいてくれるのはありがたいことだ。