天眼の貸し出し
「きゃあっ!」
「うおっ! っぶねぇー」
百地さんが俺に電話をしてきた理由に納得していると、不意に隣を走っていた九条が転び、慌ててそれを受け止めた。
「すみません」
「いいけど……あー、ヒールか。そりゃあ走りにくいよな」
今は学生服でも私服でもなくドレスだ。当然靴もそれに合わせたものになっているが、当たり前だが走るためのものではない。いくら普段動けていたとしても、そんな靴ではまともに走るのは難しいだろう。
「くっ、こんな時に転ぶなんて……!」
悔しげにそう呟きながら立ち上がった九条だが、転んだことでヒールが折れているため左右のバランスが悪そうだ。
「……はあ。再演」
「っ!? なにを……!」
彼女はそんなバランスの悪い状態であろうとも走るだろう。あるいはもう片方のヒールを折るかもしれないが、それはそれで走りずらいのは変わらないだろう。
そんな状態の彼女に付き合うよりも、俺が抱えて走った方が速い。
そう考えた結果、能力を使って九条の事を抱えることにしたのだが、九条は突然持ち上げられたことで驚き声を荒らげた。
「ヒールのまま走るのだと遅いしまた転ぶかもしれないだろ。裸足になったとしてもそれはそれで危ないし、こうするのが一番手っ取り早いだろ」
「それは……いえ、ありがとうございます」
「どういたしまして。お礼は魔物をきれいに仕留めてくれればそれでいいよ」
お礼をして欲しくて抱き上げたわけではないんだ。ただこうするのが最も速いからってだけ。
だから、お礼がしたいんだったら言葉や物じゃなくて、実際にこいつに求められている役割を果たしてくれればそれでいい。
「それにしても、まさか初めて抱かれるのがこんな場面だなんてね。せっかくなら祝福ではなくてあなたが直接抱き上げてくれても良かったんじゃないかしら?」
「こんな場所で俺にやれってか? 誰かに見られたら面倒なことになりかねないだろ。それに、そんなん逆に走りにくいに決まってる」
もし俺自身が九条を抱き抱えて走るとなったら、今度は俺が転ばないように気をつけて走らないといけない。
それに、こう言うのは失礼だから本人に直接言うつもりはないけど、抱いて走るとなったら絶対に重いだろ。九条が太っているとかそういうんじゃなくて、純粋に人間って最低でも四十キロはあるんだから、それだけの重さを抱えて走るなんて非効率だ。
「そうだけれど……現実は所詮現実ね」
「馬鹿なこと言ってないで、しっかり準備しとけよ」
お姫様願望でもあるのか知らないけど、今はそんな遊んでる場合じゃないだろ。俺達の目的は敵を倒すことなんだから、今はそれだけを考えていればいい。
そうして能力の『手』で九条のことを抱えながら屋上へと向かって走ったのだが、当然の如く屋上へと続くドアには鍵がかけられていた。
本来なら鍵を受け取って開けるべきなのだろうけど、あいにくと今はそんなことをしている時間はない。
なのでどうするのかと言ったら……
「くそっ……悪い!」
ドアを強引に『手』で殴り飛ばして道を開けるが、その際に誰に謝っているのかわからないけど、とりあえず謝っておいた。緊急事態だし、あとで先輩達に言っておけば直してくれるだろ。
「百地さん、屋上に着きました」
屋上についたことで、苦情を降ろしながらさっきからつけっぱなしだった電話に向かって再び声をかける。
「畏まりました。現在は国分寺の上空を飛んでいますが、見えますか?」
「……すみません。見えません」
電話の向こうからは百地さんの指示が聞こえるけど、流石にここから国分寺までは見通すことができない。
これが昼だったら何かしらの影くらいは見えたかもしれないけど、あいにくと今は夜だ。月も星も出ているとはいえ、それでも暗いことに変わりはない。
「分かりました。では、少しだけ待ってください。今『眼』を送っていますので」
「『眼』?」
「眼ってどういうことだと思う?」
百地さんからの言葉に九条が問いかけてきたけど、俺もわからない。……いや、電話の相手が百地さんで、あの人が『眼』と言ったのなら、それに関係しているであろう人物は一人だけ思い当たる者がいる。
だが、そんな俺の考えを口にする前に、先程まで百地さんの声が聞こえてきていた俺のケータイから別人の声が聞こえてきた。
その声は俺にとっては聞き馴染みがあるが、九条にとってはあまり馴染みのない声だ。
「あーあー、マイクテスト~。聞こえてる~?」
「へ?」
「先輩ですか? 起きてたんですね」
「まあねぇ。このくらいの時間ならぁ、ちゃ~んとおきてるのよ~」
今は八時程度だし、確かに寝るには早い時間だ。でもこの人、いつもランダムな時間に気分で寝るからいつ起きてるとかわからないんだよな。
それに、今回百地さんから電話がかかってきたことで、てっきり電話の本来の持ち主は寝ているのかと思ってた。
「それよりもぉ、送った『眼』のことだけどぉ、それって私のおめめなの~」
「先輩の眼? それって能力使った時に出てくる光の玉ですか?」
先輩はどこでも見通すことができるけど、その能力は起点となるものがある範囲だけだ。
そしてその起点とは、能力を使用した際に出てくる光の玉。ピンポン玉サイズの淡く光っている光の玉を飛ばし、それを起点として周囲の光景を見ることができる。まさしく先輩にとっての『眼』だ。
どうやらそれをこっちに向かって動かしいているようだけど、それにどんな意味があるんだろう? 先輩がここの光景を見ても意味ないだろうに。
「そーそー、それ~。あれね~? 実は他の人と視界を共有できるのよね~」
「……それは知りませんでした」
今までそれなりに長い付き合いだけど、視界の共有ができるなんて知らなかった。いつも見た内容を口頭で教えてくれていたけど、そんなことができるんだったら普段からそれを使ってくれても良かったのに。
……いや、と言うかだ。そんなことができるんだったら、九条と相性が良すぎやしないか?
九条は見える範囲のものしか射抜くことができないかもしれないが、先輩の能力で自身の視力以上の範囲も見ることができれば、それで数キロ先までも射抜くことができるようになるかもしれない。もしそうなったら……先輩の価値もだけど、九条の価値も計り知れないものになるな。
「だって言ってなかったも~ん。……あっ! ––––私、透香さん。今都庁にいるの」
「なんできゅうにホラーチックになってんですか」
「ふぇ~? だってひまだしぃ、場所くらい教えた方がいっかな~って」
「普通に教えてくださいよ」
先輩のバカな話に付き合っていると、ふと視界の端に光る何かがふよふよと浮かんでいることに気がついた。
「そんなこんなで、ごとうちゃーく! はい、新鮮なおめめをお届けに参りました~」
新鮮な眼を届けたって、なんか裏稼業みたいな感じがするな。
それにしても、こんな危機的な状況であると言うのに、先輩は相変わらず気楽な感じだな。まあ自分が敵を倒すわけじゃないからなのかもしれないけど、せめてもう少し真面目な雰囲気を出してほしいというのはぜいたくな願いだろうか?
浮かんでいる光の玉は、それ自体から声を発しているわけではないのにやけに騒がしく思えてならない。電話がつながっているからなんだろうけど、そうでなかったとしても、この無駄に動き回っている光の玉は
「これが天宮様の祝福……」
九条は先輩の能力を見て驚いたような反応を見せているけど、初めて見たんだろうか? 九条くらい地位があれば見る機会なんてあったんじゃないかとも思うけど……いや、そういえば電話に出ただけで驚いてたな。
まあ、先輩は引きこもりだからな。九条だって家の跡取りってわけでもないみたいだし、能力を使う瞬間に出くわすほど会う機会があったわけじゃないんだろう。
「で、これをどうすればいいんですか?」
「むぎゅっとやさし~く摘まんで、共有したい人の眼に当てればそれでおっけ~。簡単でしょ~?」
簡単かもしれないけど、これは見た目は光の玉だけど、実質は先輩の〝眼そのもの〟だ。それを自分の眼に当てるって、少し怖い気もするな。
「……では、失礼します」
九条も似たようなことを思ったのか多少しり込みした様子だった。けどすぐに覚悟を決めると光の玉を摘まんでゆっくり自分の眼に近づけていった。
そして光の玉と九条の目が触れると、一瞬だけ輝きを強くした光の玉が溶けるように九条の目へと消えていった。




