九条桜の迷い2
そんな桜の様子に光里は首をかしげたが、それを問いかける前にドアをたたく音が聞こえてきた。
「桜様。よろしいでしょうか」
「はい。どうぞ」
「失礼いたします。こちらが明日からの日程となっております」
入ってきた使用人は、入り口の近くにいた光里に持っていたファイルを渡すなり余計なことをせずすぐに部屋から出ていった。
「……いつも通り、予定でいっぱいね」
ファイルを光里から受け取って中身を確認していく桜だが、そこに書かれていたのは夏休みの予定表だった。だがその中身はかなりの量があり、覚悟していたことではあってもぎっしりと詰め込まれた予定を見て思わず愚痴を溢してしまう。
「もう少し減らした方がいいんじゃないの?」
「どうしようもないわ。私が決めているわけじゃないもの」
桜の人生は桜のものではなく、その予定も桜が決めるものではないのが『九条桜』という少女の現状だった。
「でもさー、流石にこれは多くない? お父さんに言えば少しくらいは減らしてくれるとおもうんだけど……」
「駄目よ。これだって考えて作られたスケジュールなんだから、ここからもっと緩くしてほしいなんて言ったら苦労を掛けることになるわ。それに、この程度もこなせないようじゃこれから先やっていけないもの」
「これから先って……」
桜が大丈夫と言っても、流石に心配になった光里。だが、そんな彼女の言葉は桜の笑顔で拒絶されてしまう。
「大丈夫よ。ほら、後半に入れば何日か空いている日があるわ」
「何日かって、それだけでしょ? せっかくの夏休みだっていうのにさ……」
「今までだって同じようなものだったじゃない」
そう。こんな生活も、もはや毎年のことだ。なんだったら、今はカラットという本土から離れた学園にいるため、以前よりも空き時間が多いかもしれないといえるほどでさえあった。
「でも高校生ってもっと……あーもう! 知らない!」
以前の桜も知っており、心配していた光里は、高校生になってカラットというある種閉鎖された場所に行けばもっと自由に学生らしく過ごせるようになるのではないかと期待していた。
にもかかわらず夏休みになる前であるにもかかわらず家に呼び戻されてよていをいれられる。そんな理不尽に苛立ち、そんな理不尽を受け入れてしまっている桜にも苛立った。
「光里、あなたには付き合わせることになるけれど、休みが必要なら代わりを用意するから休んでもらっても––––」
「ばかなこと言わないでよ! 桜が頑張ってんのに自分だけ休むとかするわけないじゃん!」
「……ありがとう、光里」
桜とて、自分の置かれている状況が異常だということは理解しているし、付き合わせるのは迷惑だとも理解している。
だがそれでも付き合ってくれる友人に、ただ感謝の言葉を口にするしかなかった。
「それに、桜がいないのに休んだところでやることなんてないし……だから気にしないでいいから」
真正面から感謝をされたことで恥ずかしさを感じたのか、光里はふいっと桜から顔を逸らしていいわけをするように話した。
「私に気を使うための嘘なのか、それとも私以外に友達がいないことを心配するべきなのか、どっちなのかしらね?」
そんな光里をみて、桜は少しだけ揶揄うかのように楽し気な口調で問いかけた。
「は、はあ? 友達くらいいるし。ってか私が友達いないんだったら桜も同じでしょ」
「私はちゃんと友達くらいいるわよ。祈さんとかね」
祈を友人といってもいいのかは微妙なところではあるが、実際のところ桜には友達と呼べるような相手は他に思いつかなかった。
親しい者……親しく見えている者はいるが、それらは友人ではない。
だから微妙であっても祈の名前を挙げたのだが、それでもまったく友人と呼べるものがいない光里よりはマシだろう。なにせ、光里にも友達なんてものは存在していないのだから。
「祈って……うう~」
「……あなた、まだ喧嘩してるの? いい加減和解したほうがいいわよ」
「べつに、喧嘩してるわけじゃないけど……最初があんなだったから、なんか話しかけづらいのよ」
最初スキルに触れた授業の際に、光里はスキルの元になった祝福に込められた願いに引きずられて一種の暴走状態になっていた。そのせいで祈と戦うことになったわけだが、その問題は今ではとっくに解決している。
だが、いくら解決し、和解したといっても、起こった過去は変わらない。意識せずにいることは普通の人間には無理で、どうしたって話そうとするとあの時のことを意識してしまっていた。
そのため、未だに祈と光里はまともに話すこともできないでいる。
「お兄さんの佐原くんの方とはちゃんと話せてるのにね」
「あいつは、まあ普通の奴だったし。いや、ふたを開けてみれば全然普通じゃなかったんだけどさ。でもとっつきづらいところはあるけど、普通に話せる奴だったから……」
「なら、祈さんとも話してみなさい。どうせあちらはあの時の事なんてなんとも思ってないわ」
「それはそれで眼中にないみたいでムカつくんだけど」
「仕方ないでしょうね。スキル保有者と『祝福者』ではそれだけ開きがあるもの。それに、向こうだってあの時のことはスキルの副作用で仕方ないって理解してくれてると思うわ」
「……………………まあ、機会があったらね」
桜の言葉に、光里はそっぽを向きながら承諾の意を示した。
そんなどこか微笑ましい様子の光里を見ていた桜だが、そこで再び誠司のことを思い出してしまった。
そして手元にあったファイルを確認していき、何かを思いついたのか、真剣な表情をして一つ大きく深呼吸をした。
「……光里。悪いけれど、神在月に連絡を入れるように言っておいてもらえるかしら?」
「神在月って……あそこ行くつもりなの? マジで言ってる?」
「ええ。この間の期末試験の時、私は最後にろくに戦うことができなかった。佐原くんがいなかったら、死んでいたわ」
それは間違いないだろう。あのままでは桜を含めあの場にいた生徒全員が全滅していた。
だが、それには事情があるのだと知っている光里は声を荒らげて桜の言葉を否定する。
「それは仕方ないことでしょ! だってあの時桜は刺されてたじゃない。それも敵の攻撃じゃなくって裏切者のせいで!」
「だとしてもよ。そもそも、あんな私が隙だらけになるような状況にならなければ、何の問題もなかったはずよ。それこそ、最初に魔物が現れた時にすぐさま処理することができていれば、状況は変わっていたわ。あるいは、一方向だけでよかったから敵を処理して退路を確保することができれば、それでもよかった。けれど私は、そのどちらもできずにただ力不足で耐えることしかできなかった」
「でもそれだって、その前に力を使いまくったからなんでしょ? 運が悪かったんだって」
「それじゃあダメなのよ。運が悪くとも、状況が悪くとも、それでも私は勝たなくてはならないの。だって、それが私が祝福を得た理由なのだから」
光里は必死になって桜のことを擁護するが、当の桜自身が自分のことを認められていないのだから光里が何を言っても意味がない。
でも、桜が自身のことを認められないのも無理もないことだ。なにせ、桜の〝願い〟は……
「私は魔性を祓わなくてはならない。……本当に、あなたの言った通りよね。これじゃあ祝福じゃなくて呪いだわ」
以前に誠司の言っていた言葉を思い出した桜は、自嘲する様に笑いながらそう口にした。
「それでも私は……」
その先の言葉を紡ぐことなく、桜は自身の手のひらをじっと見降ろしていた。