当主からの助言
「さて、それでは改めて自己紹介をしようか。こうして直接向かい合うのは初めてだったよね?」
「そうですね。以前は少しお話をした程度だったのと、基本的には先代様との訓練でしたので」
桐谷がいなくなった後、早速とばかりに当主が話し始めたけど、実はそうなのだ。俺達は顔を合わせたことはあるし、自己紹介も軽くしたことはある。でもあくまでも〝軽く〟でしかない。
神在月で生活していたけど、ほとんどは前当主が対応してたし、基本的には人に会わないで生活を送っていた。
それにあの時の俺は小学生とか中学生とかその程度の歳だったし、いろいろと考えなければならないことや頭を占有している悩みなんかがあったからあまり人と話していなかった。話す気分にはなれなかった。
そういう事情もあって、この人のことは正直なことを言えばよく覚えていない。
もっとも、この人の方は俺のことをちゃんと知ってるだろうけど。
「なら、改めて名乗ろうか。私が今代の神在月家の当主である天晴だ。『あっぱれ』と書いて『てんせい』という少し変わった名前だ。お二人には以後仲良くして頂ければと思っているよ」
俺達を安心させるためか笑みを浮かべて柔らかい雰囲気を纏っているし、ゆったりしている服だから気にならないけど、多分かなり筋肉質で武人のものだ。流石は武門の当主というべきだろう。
「佐原誠司です。よろしくお願いします」
「妹の祈です。よろしくお願いします」
「これはまた随分と簡潔な名乗りだね。君たちにはもっと名乗れる名前や装飾語があるだろうに」
確かに、俺達は『祝福者』だと名乗ることができるし、なんだったら俺に関しては他にも呼び方がある。
けど、そんなのは公式なものではなく非公式の身内だけがいう冗談のようなものだ。そんなのを口にするつもりはないし、そもそも何であんたが知っているんだって言いたい。
「……自分で英雄だなんて名乗るのは恥ずかしいと思いませんか?」
「ははっ。それは確かにね。私もそういった名前が付いてるけど、他人から呼ばれることはあっても自分から名乗ることなんてほとんどないよ」
この人なら俺以上に活躍してるだろうし、そりゃあ名前の一つ二つは付けられるだろうさ。
でもまあ、実際称号とか別号とかつけられたとしても、それを名乗るのってきついよな。
そうして軽く言葉を交わして空気を和やかにしたところで、天晴はスッと表情を切り替えて話し始めた。
「さあ、それじゃあ自己紹介も済んだことだけど……本当によく来てくれたね」
「ご無沙汰しています」
「でも、どういう風の吹き回しかな? 以前の訓練は必要最低限だけやって、それ以来連絡の一つもなかったのに。……ああ、責めているわけじゃないよ。僕如きが君達を責められるはずもない。ただ、単純に気になっただけさ」
責められているわけじゃないとしても、こうして相手のトップに面と向かって言われると責められてる気分になるな。
「……まあ友達に誘われたからっていうのが大きな理由でしょうか」
というか、それが十割とさえ言ってもいい。誘われなければここに来ることはなかったと断言できる。
「友達か……。まさかうちと関係のある家の子だとは思わなかったけど、できたのならよかったよ」
「あとはまあ……暇だったんで」
「暇だったんだ……」
「まあ、はい」
何だか仕事をして忙しい日々を送っているであろう人に対して『暇だったから』なんていうのは少し恥ずかしかった。けど、本当にやることなくて暇だったんだから仕方ない。見ろよ、天晴さんも苦笑してるぞ。
「仕事に明け暮れている大人としてはそんな暇な時間が羨ましくもあるけど、君の場合は少し残念な結果なのかな? 君の望んでいた〝普通〟は手に入らなかったかい?」
「どう、なんでしょうね。手に入ったのか入っていないのか……自分でもよく分かりません」
俺が『祝福者』だとバレる前までの日々は確かに普通だったのかもしれない。でも、それが求めていたものだったのかというと、何だかはっきりと断言することはできない気がする。場所こそおかしかったが、そこでの勉強して学友と話して家族と話しながら夕食を食べて……そんな時間は間違いなく〝普通〟だったはずなのに。
「まあ、あそこは環境からしてそもそもが普通ではないからね。普通の学生のように友達を作って恋をして悩んで励んで……そんな普通は難しいかもしれない。そもそも〝普通〟なんてものを手に入れようと足掻くこと自体が普通ではないし、普通とはなんだ、なんて哲学的な話にもなってくるが……一つ助言することがあるとしたら、〝普通〟であることに囚われすぎない方がいいってことだね」
普通に囚われるな……。
でも、俺にはそれしか求めるものがない。……いや、求めなければならないんだ。だって、そうしないともう以前のような時間を手に入れることができないから。
「人間なんて大なり小なり縛られ、制限されて生きているんだ。その中で最大限自身のできることをやり、自身の求めるモノを手に入れるわけだけど、それは結局のところその人にとっての『幸せ』ってものを手に入れるための手段や過程でしかない。頑張った結果手に入れたものが普通の暮らしとして日常に組み込まれるのはいいけど、〝普通〟を手に入れるために自身を縛って、周りから外れていくのは間違ってると思うよ」
「……それでも俺は、〝普通〟になりたいんです」
「特殊な環境で、特殊な行動をするのはおかしなことか? それはそれで〝普通〟なんじゃないのかい? 少なくとも、その環境にいる限りは君の行動はなんらおかしいことではない。時代や周囲の状況次第で普通なんてものは容易に変わっていく。昔の普通が今の異端なんてことはザラにある。だから、君が普通を求めるのは悪くないけど、その普通はなんのために求めているのか、それを考えた方がいいかもしれないね」
俺が何のために普通であることを求めるのか……
学校の勉強なんかよりもよっぽど難しくて、大事なことについて考えこんでいると、正面に座っている天晴さんが小さく息を吐き出した音が聞こえた。
「——なんて、久しぶりに顔を合わせたばかりなのに、少し説教くさくなってしまったかな」
「……いえ、貴重な助言ありがとうございました」
「うん。君達が特殊な立場にいることは理解している。けど、まだ子供なんだ。ありきたりな言葉だけど、自分たちだけで背負わないで他人を頼ってもいいんだよ」
「ありがとうございます」
確かにお節介と言えばお節介なことではある。でも、これはきっと俺が考えないといけないことなんだろう。
「……さて、話が長くなったけど、本題に入ろうか」
「本題?」
「そうだよ。君たちは今回修行に来たんだろう? その話さ。流石に『祝福者』を……特に祈君を他の子達と一緒に修行させるには無理があるからね」
ああそうか。たった今かなり重要な話をしたけど、その重要っていうのは〝俺にとって〟であってこの家にとってはこっちの修行に関してが本題になるのか。
「あー……そう、ですね。……あの、できれば俺の修行は手を抜いてもらえると嬉しいんですけど」
そんな俺の要望を伝えると、天晴さんはわずかに眉を寄せて不思議そうにこちらを見てきた。
「手を抜く? それはなぜでしょう? ここには修行をしに来たのではないのですか?」
その質問はもっともだろう。なにせこの場所には修行をしに来たんだから。その修行で手を抜いていいと言われれば、なんでここに来たんだとなるに決まってる。
でも、あいにくと俺は真面目に修行をしに来たわけじゃないんだ。
「修行はそうなんですけど、どっちかっていうと友人に誘われたからって感じで……それに、また先代様の指導を受けるのは、なんというか……あまり好ましくないといいますか……」
「そうか。だが残念だな。お前の相手はワシだと決まっている」
「「っ!?」」
「くっはっはっ! お前たちもまだまだ甘いな。この程度気付けずにどうする」
ふいに聞こえてきた声に反応して俺と祈は振り返ったが、それと同時に襖が勢いよく開き、そこから天晴さんとは違ってもっとはっきりとわかるほどの偉丈夫が立っていた。