捨てられた二人
「……怪我はどうだったんだ?」
「そんなひどくはない感じだって。ちょっと肋骨が折れちゃってるくらいっぽいよ」
「十分ひどい怪我だろ」
肋骨が折れるって、下手したら死んでただろ。
それに肋骨が折れるほどの何かがあったんだったら、もしそれが頭や首に当たっていたら、そのまま死んでいたかもしれないんだ。笑って流せる怪我ではない。
「そんなことないってば。子供のころからこの程度の怪我は何回かあったし、死ぬってわけでもないんだからさ」
けど瞳子は何でもないことのように笑っている。
肋骨が折れるような怪我が日常だったって……こいつはいったいどんな生活を送ってきたんだ? それを許容する親って、何を考えてきたんだ?
「せいっち。なに人の胸ばっか見てんの?」
肋骨が折れたと聞いて、つい瞳子の胸へと視線を向けてしまったが、流石に女子の胸をじっと見つめるのはヤバいやつだ。
「あ、いや。そういうわけじゃ……」
「ぷっ。わかってるってば。心配してくれてんでしょ? まじさんきゅー」
そう言って瞳子は改めて俺に笑いかけると、直後、その笑みはフッとどこか寂しそうなものへと変わった。
「でもせいっちが来てくれてよかったかも。誰も来てくんなかったから寂しすぎてマジ萎えてたんだよねー」
「誰も来てない?」
「そーだよー。せいっちはしってるっしょ? うちの親のこと」
「……ああ」
そうか。そういえば、瞳子の家は〝そういう家〟だったな。普通なら娘が入院したとなれば親が来るものだろうけど、星熊家なら見舞いにすら来ていないのも納得だ。
「できそこないの娘は見舞う価値もないってことでしょ。まーそれに関してはうち自身ヤバいって思ってんだけどね。あの程度のやつに負けるとか、マジださすぎ」
瞳子はそう言って笑ったけど、その笑みは空元気のように見えた。
「それに、友達は付き合いだけの〝おともだち〟だし。まー付き合いで放課後に来たりはするかも? たぶん一回だけちょこっとって感じだと思うけど。せいっちみたいに学校休んでまでってのはないかなー」
まあ、家の付き合いのためにやってる〝おともだち〟なんだったら、学校を休んでまで見舞いにくる、なんてことはないかもしれない。
そのことは分かるんだが、でもなんだろうな。なんだか今日の星熊は卑屈すぎる気がする。
病気の時には心細くなるというが、それと同じようなものなんだろう。
親は来ず、友達も来ず、こんな場所で一人っきり。しかもその原因が自分の力不足ときたもんだ。前々から強くなりたいと願っていたのに、ついこの間強くなろうと思ったばかりなのに、その矢先に自身の力不足による事故。こんな状況では心が弱っても仕方ないだろう。
けど、それを受け入れて終わりなんて気に入らない。ふざけんな。あいつは頑張ってるんだ。俺はそれを知っている。
だったら、その努力が報われないなんて認めるわけにはいかないだろ。
「––––駄目だな。ろくなもんがねえ」
「へ? 何が? なんか探してんの?」
突然服のポケットを調べはじめた俺を見て、瞳子は訝しげな様子でこっちを見てきた。
「んー。まあな。せっかく来たんだし、なんか見舞いの品以外に渡しておこうかと思ったんだけど、財布とケータイしかねえや」
俺が何を言ったところで、瞳子の心には響かない。こんな状況だし、それは仕方のないことだってわかってる。
でもせめて、見て思い出せるように。今は駄目でも、あとになってからでいい。自分を応援してる奴はいるんだってことが理解できるように、何か形のあるものを残しておきたかったんだけど、あいにくと何か渡せるようなものなんて持っていなかった。
「別にいいってそんな気にしなくっても。来てくれただけでマジさんきゅーって感じなんだからさ。ってかなんで急にそんなこと?」
「なんか、らしくなかったからさ」
「らしくないって、うちが?」
「ああ。普段のお前なら、そんな落ち込んだ姿見せようとしないだろ? まあ普段の、なんて言っても、俺が知ってるお前なんてほんの表面的な部分だけかもしんねえけど。でもなんか違うなって思ったんだよ」
今だって笑ってるけど、それは無理して笑っている作り笑顔だ。短い付き合いだけど、それくらいは理解できるさ。
「まあそうなる理由もわかるけどな。親に見捨てられて、頼れるような友達もいなくてこんなとこで一人なんだから、腐るのもわかるさ。––––でも、そんなのつまんねえだろ」
「……」
それまでの笑みを消して苦し気に顔を顰め、何か言いたいことを堪えるように口元を戦慄かせた。
そうなるのも理解できるさ。事情を知っているって言っても、所詮は少し調べただけの知ったかぶりだ。実際に見たり体験したことがあるわけじゃないんだから、自分の人生に口出しなんてしないでほしい。
そう思うのは当たり前のことだ。
でも、それは間違いだ。正確に言うのなら、全てがわからないわけではなく、その境遇に理解できるところもある。
確かに俺は星熊の家に生まれたわけじゃないし、瞳子と幼馴染でこれまでの人生を見てきたってわけでもない。だから、本当の意味で瞳子のことを理解することなんてできてはいない。
けど、そんな俺でもわかる部分はある。だって俺も……俺達も、親に捨てられたんだから。
「俺にも両親はいるけど、俺達は両親から捨てられたんだ」
「え……」
突然話し始めた俺に、瞳子は声を漏らしてこちらを見てくるが、俺はそれを無視して話を続ける。
「祈は『祝福者』だろ? 俺達の両親はそのことが気に入らなかったみたいでな。戸籍上は俺達の親のままだけど、実際に親らしいことをしてもらったのはずいぶん前のことだ。祈が『祝福者』になってからはもう俺達は〝家族〟じゃなかった。あの日以来、俺にとっての家族は祈だけだったんだ」
あの日、俺達が『祝福者』となった事故の日を境に、俺たち家族の暮らしは一変した。
本来なら死ぬはずだった娘が生き残ってくれたことはうれしい。でも、両親はそう思いながらも娘が〝娘〟でなくなったことが受け入れられず、祈と距離を置くようになり、祈のことを大事な家族として接し続けた俺とも距離を取るようになった。
今では、戸籍こそ残っているものの親としての役割を放棄している。俺達に会うことなんてほとんどなく、年に一度電話があるかどうか程度の関係。その電話だって、最低限必要なこととかの事務的なものでしかない。
あの日を境に、まだ小学生だった俺達は両親から捨てられたのだ。
「それでもこれまで何とかやってくることができた。だからおまえだってそんな卑屈になるひつようなんてないだろ。親なんていなくても人生は楽しいもんだぞ」
最初のころは親を求めたさ。家からいなくなりがちだった両親を強引に呼び止めたり、帰ってくるのを待って夜まで起き続けたり。
でも、結果なんて変わらなかった。
俺に与えられた選択肢は、妹を捨てて〝家族〟で暮らすか、それとも両親をあきらめて妹と〝家族〟になるか。その二択だけだった。
その結果、俺達〝家族〟はたった二人だけになった。
それでもこうして生きてこれたし、笑っていられる。
それに、俺達もう高校生だぞ? 親なんていなくても好きに生きていけるさ。
「……そんなの、独りぼっちじゃないから言えるんだって」
俺の話を聞いてもぶすっとしたままの表情で瞳子が呟く。まあ、それは間違いじゃないな。
「たしかに、俺には祈がいた。俺に何かあったら心配してくれる人はいた。だから、俺とお前はまるっきり同じ状況ってわけでもない。けど、これからは俺がお前のことを心配してやるよ。俺達は〝家族〟じゃないけど、〝友達〟だからな」
なにも家族だけが心の支えになれるわけじゃない。その役割を外に求めてもいいはずだ。友達でも恋人でも、なんでもいい。ペットやアイドルなんかだっていいんだ。あるいは、宗教でも。
本当になんだっていいんだ。でも、せっかく友達になったんだから、友達が困ってるときに肩を貸すくらいはしてやってもいいだろ?
少なくとも俺は、友達が沈んでるときに無視して放っておくほど薄情じゃないつもりだ。だから、助けさせろ。
「……さっきなんかくれるって言ったよね? だったらさ、今じゃなくていいから退院したらくんない? 病院のごはんって味うっすいのしか出ないし、もっとちゃんとしたの食べたいんだよね」
そんな俺の言葉に何を感じたのか、瞳子は一つため息を吐き出すと、力ないまま、でも先ほどまでとは違って作り物ではない笑みを浮かべてそう言った。どうやら、少しは〝友達〟のことを頼ってくれることにしたようだ。
「そんなんでいいのか? まあ、退院祝いと考えればありかもだけど、退院祝いと贈り物が被るな」
「そんなんまで気にしなくてもいいってば。だから一回だけ奢ってくれればそれでいいって」
「そっか。わかった。じゃあ早く体治せよ」
あんまり話過ぎて体調悪くさせても悪いし、精神的にも多少は元気になったみたいだからここらで退散しておくか。
そう思って立ち上がったのだが、その直後にかけられた言葉に、俺は動きを止めることとなった。
「じゃあ、退院したらデート楽しみにしてんね~」
「ああ。……あ? デート?」
デートって……俺と瞳子がか? でも別に付き合ってるわけじゃないだろ俺達。
「男女が二人でご飯食べんだからデートでしょ」
「それは……そう、だな」
たしかに言葉にすればデートと言えないこともないような気もするけど、実際はどうなんだろうな? この状況はどう言うのが正解なんだ?
でもまあ、さっきよりも元気が出たみたいだし、本人が楽しそうならそれでいいか。
「なあに~? 今更なしとか言わないでしょ? そんなこと言ったらまじ萎えぽよなんだけど」
「いやまあ、いいけどさ。あー、まあそれじゃあデートな。デート。よろしく」
「よーし。それじゃあマジ気合い入れてくからワンチャン好きぴにしてもいいから」
「その前に怪我治せっての。楽しむのは良いけど、何するにしてもまずはそっからだろ」
もうデートでいいし、気合を入れるんでもかまわないから、早く元気になって退院しろよ。
「それじゃあ、今日はもういくわ」
「おっつー。ばいばーい」
俺が部屋に入ってきた時とは対照的に、瞳子はいつものように明るい笑顔で俺を見送り、俺はそんな瞳子に手を振り返してから病室を出て行った。