表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

07

 高い空は、本来の夕刻を大きく伸ばしていた。

 いつもの帰宅道に、見学していた小一時間が加わっても、十分に明るい。

 僕は、公園のブランコに腰をおろしていた。

 凛もいつものように、学校帰りに合流して、となりのブランコを漕いでいる。


「今日は犯罪行為はしないんですね?」

「お前はオレを何だと思っているんだ」

「ヒネクレ変態ストーキング野郎。ですかね」

「う、‥‥」


 カウンター気味に差し出された毒ワードに、僕はいつものように言葉を詰まらせられる。

 オレンジの夕焼け。蝉の鳴き声。仲良く騒いでいる小学生たち。

 狭い公園だけれど、凛とのやり取りは置いておいて、とてもゆったりとした時間が心地よく感じられた。


「それで?どうかされたんですか?本日は何やら、ご機嫌に見えますけれど」

「え?何だろう?そんな感じ出てるかな?」

「ええ。日頃の不健全な熱心さが見えません」

「それはどんなものなのさ?」

「その、なんというか。下心が具現化したような、イヤらしい顔つきですよ。そう、例えるなら。夜な夜な不意のチャプター変更でディスプレイに反射する、あの表情です」

「‥‥いや、もう、それは、なんで知っているの?」


 僕が訝しげに凛を見つめると、それを振り切るように凛は漕ぎ足を強めた。


「小学生なんて、とつぜん思いもよらない言葉を口にするもの、じゃないんですかね」

「そうかな?」

「ふふ。それで?何なんです?何かあったんじゃないんですか?」

「うん、まあなんというか」

 僕はちょっとした発表、というか決意表明のような形に、何となく乾いた喉を改めた。


「ウ、ウン。いや、さ。部活に入ろうかと思って」

「え?」

 驚く凛の声が、ブランコの鉄鎖の摩擦音を容易に貫いた。


「部活ですか?」

「う、うん。そう。そこまで驚く?」

「どんな部活です?」

「野球部だよ。これでも、小さな頃は野球少年だったんだ」

 言うと、凛は言葉を失って、大きくなった振り子運動を唐突に緩めていった。


「どした?」

 僕はてっきり、からかいの言葉とか、皮肉めいたセリフが返ってくるかと思っていた。

 それはただ、今までの付き合いから、いずれにしても応援めいた温かいものも、きっと何処かに含まれているのだろうと、勝手に考えていた。

 凛になら、少し恥ずかしい小さな決意を打ち明けても構わないと。

 しかし、振り子運動の中で垣間見える、凛の表情には間違いなく暗いものが混じっているように思えた。


「変、かな?」

「いえ。ちょっと」

 凛は、ブランコのユラユラとした動きをすっかり止めて、そのまま少し前方の地面を見て何か考えているようだった。

 それから、しばらくして顔をあげる。


「ごめんなさい。あはは。いや良かった。運動部ですか?それはとても健全なことですね。どんな心変わりです?」

「あ、うん」

「何か理由があるのでしょう?」

 凛の反応に違和感は残った。ただ、むしろ、自身の気持ちを固める良い機会だとも思えて、僕は立ち上がった。


「今日学校で勧誘を受けたんだよ。まあ、そんなに強く誘われた訳でもないんだけど。さっきも言ったように、小さい頃野球やってたからさ」

「それが理由ですか?」

「え?まあ、そうだけど」

「他にないですか?何か合ったはずです。最近心境が変わるような何かが」

「心境?」

「ええ。日常の中で何かなかったでしょうか。それはきっと些細なことかもしれないですが」

「些細、ね。まあ、確かに、あんまり気にしてなかったんだけどさ。この一週間ちょっと変なんだ」

「変?」

「うん。何か違うんだよ。説明が難しいんだけど、さ。さっき凛に言われたとおりなんだよ。憑き物がとれたみたいな感じ。何か周りの空気が軽くなったというか、昔の自分に戻っているというか、自分が自分であるというか。そしたら、つい最近まで見向きもしなかった、グラウンドに足が止まったんだ」

「なる、ほど」

 考え込む凛。浮足の弱々しい反動に対して、錆びたブランコの鎖が過剰にひしめいて音を立てた。


「それは、具体的にいつからです?」

「だから一週間前だよ」

「もっと具体的なタイミングです!」

「え?ああ、あれだよ。ちょうど図書館で凛に会った日の翌日、あれ翌々日かな」

「その日、何かがあった。心当たりはありますか」

「なんだよ。急に」

 あれ?

 そうだ、あの日何かあった気がする。

 忽那さんと九条さんがケンカしてたのを見ていた‥‥。あれ?そのあとどうしたっけ。


「なんだろ。よく思い出せない」

「そう、ですか」

 凛は悔しそうに爪を噛み、そのままブランコを降りて歩き出した。

「どした?」

「何でもありません。水無月さんもお早くお帰りください」

 凛は、そのままスゴスゴと歩みを早めて行ってしまった。


 ***


「私、知っていたの。病気のこと。あなたが私を見ていてくれていたことも」

 彼女は彼の手を拾い上げる。


「そして、決して私に思いを伝えられないことも」

 外は、鋭利なまでの雨飛礫つぶてが地面を叩き続けていた。

 僕が彼女に近づけないこと。それは、僕自身に起因していることだ。


 それは魔法のように僕らを縛ってきた。そしてそれで十分だと僕は満足していた。

 こうして、向かい合って話しができる。それだけで十分なのだ。


 命を削って言ってくれた彼女の言葉。

 僕らは、互いに無言のまま顔を近づける

 ずっと焦がれて叶わなかった、彼女の唇が目の前にある。


「私のこと、きっと覚えててね」

 そう彼女が優しく告げる。


 ――バタン。

 九条桜くじょうさくらは本を閉じた。

 そのまま『君夢』15巻を読み終えて、力尽きるように寝転がる。

 固まっていた首と肘の関節を振って緩めていく。そのままゴロゴロと横に回転しながら、リビングの絨毯の上を蹂躙していった。


「あ〜〜〜」

 転がりながら、肺に収まっていた空気と読後感を、感情を、一緒に吐き出していく。

 ひとしきり絞り出したあと、ふと積み上がったマンガ本の束を見つめる。

 どうしたことだろう。擬音をまったく感じなかったのは。

 ふわ~、とか。ギュッっとして、とか。散々言ってた気がするのだが。姫の拙い説明のおかげで、ほとんど初見に近い感覚で読めたのは、まあ、良かったのかもしれない。


 最終巻が19巻だから、物語ももう終盤。さすがに2日かけて一気に読んだから、固まった体がだるさを残していた。

 確かに、まあ、面白い。さすがにこれだけ巻数も重ねているわけだから、それなりに支持されてきたのだろう。

 けど。


 作品自体はかなり古い感じがする。今から十数年前に完結しているお話だ。

 どうりで聞いたこと無いわけだ。周りでこのマンガの話をしている子はいない。

 展開も今となっては、斬新さに欠けている気がする。

 エリート医学生の『日比谷水色ひびや みずいろ』という主人公。

 病気の恋人『朝比奈あさひな レイナ』。彼女の病気を治すため、医大に入学した主人公。けれど、学生時代に彼女の病気が一気に悪化していってしまう。そして何も出来ないまま彼女は亡くなってしまった。

 それから六年の月日が経って、製薬会社の『もり 葉月はづき』という女性と婚約していたところ、亡くなったレイナに瓜二つの女性と知り合い、イケないと分かっていながらも惹かれ合ってしまう。

 そして、15巻、遂にレイナとそっくりの彼女とキスをする。

 うーん。

 ここまでのストーリーを読んで、私は何とも言えないモヤモヤとする読後感を抱えていた。

 それらは明確になんだとは、言い切れない。

 ただ、この本を読んで一つだけ感じたことがあった。


 この主人公の男の子と水無月くんは似ている。

 一途なところ。分け隔てないところ。正義感が強いところ。一人でいることが多いところ。

 口調や、ちょっとした表情など、彼の面影が感じられる。

 そして、彼女の言った言葉。

「私、二人目なの」

 この漫画に熱中する彼女。何処かリンクする二人の関係性。そして彼女の不思議な力。

 それらが妙に繋がりを持っているように思えた。

 でも、そうだとしたら。もし、この奇妙なリンクを認めるのなら。

 多分、彼女も水無月くんのことを。

 私は、再びゴロゴロと転がりだした。


 ***


「ねえ?」

 嫌な予感がした。

 朝のHRが終わって一時限目の授業が開始される、ちょっとした隙間の時間だった。


 隣の席の九条さんが、授業の準備をしながら声をかけてくる。

 気になったのは、それがあまりに自然だったからだ。

 隣同士とはいえ、座席同士は少し距離が離れている。ウイルス対策の名残だが、その分声の大きさには気を使わなければならない。

 いつもは他に聞かれても問題のない、他愛ない会話がほとんどだから、あまり気にもしないのだけれど、先程の声量はいつもよりずっと抑えられていて、その上で意図したように素っ気ないものだった。

 僕は、相槌を打つか黙ってやり過ごすかを少しためらっていた。けれど、彼女は不意に半身を乗り出してきて、強引に話し始める。

「ちょっと!聞いてる?」

「あ、うん。どしたの?」

「水無月くんってさ、忽那さんと話したことある?」

「え?」

 声は、発してすぐに失態を自覚するほど上ずったものになった。

 雪山で暖を取る人の服の内側に、唐突に氷水を入れたら同じような感じになるだろう。

「どしたの?」

「あ、いやゴメン、変な声出た」

「うん、たしかに」

 彼女はクスクス笑って見せる。ただ、眼差しの奥はどこか冷静なようにも思えた。


「どう?話してるの見たことないからさ」

「うん、確かに無いけど」

 それを言うなら、最近までクラスの大半がそうだった気がするけれど、とは思ったが黙っておく。

「やっぱ、ちょっと緊張したりする?」

「あ、‥‥うん」

「あはは。かわいいなあ」

 いやいや、最近までその一人だったんじゃ‥‥、と再び胸中で抗議の声を発する。

「じゃあ、さ」

 ったく、こっちはキミの動向で、どれだけしなくても良い心配をしてきたのか。「結構、振り回されたんだぞ!」と語気強く、これまた、あくまで胸中で抗議する。


「じゃあ。紹介してあげよっか?同じクラスで変だけど」

「は?」

 微笑む九条さん。

「それは?‥‥ふぇ、えええええええ!!」

 2度目の暴発は、1度目よりもずっと間の抜けたものになった。

「いやいやいや」

 取り繕うように慌てて続けるが、すぐに心臓がドクドクと脈打ち始める。一気に顔が赤くなっていくのを自覚した。

 なんだなんだなんだ。なんだ!

 どういう展開?どうしてこのタイミングで?理由は?

 浮かぶ疑問に押し流されそうになりながら、兎も角も、一つだけ決心した。

 胸中での態度を改めなくてはならない。『様』をつけよう。


「いやさぁ。姫、完璧だから、みんな遠慮して話しかけないの、だから、さ」

 それは存じてますよ、九条様。でもなんでこんな唐突に。

 ゴクリと喉が鳴った。

 言いたいが、それが野暮であることは分かる。

 口にすれば、この機会を。そう、このチャンスを失ってしまうかもしれない。

 僕はビビリで、人見知りで、会話もうまくないけれど。

 小さい頃からあったあの憧れと、忘れられない後悔に向き合える機会は。逃したくない。


 僕は顔を上げた。

 不安はある。

 僕はただのビビリじゃない。筋金入りだ。

 けれど、あのとき考えていたとおりなんだ。もしかしたら、何かが起こるかもしれない。

 そうだ。

 なんだか最近は、雰囲気も変わった。

 だから、きっと。

「うん。そういうことなら、喜んでだよ」

「りょ!じゃ昼休み外で食べようよ」

「う、うん」

「あ、でも、変なことしちゃダメだよ?」

 最後の彼女の軽口をほとんど聞き入れる余力もなく、僕は机上の教科書の中に埋もれていった。


 ***


 うっすらあった期待が見事に打ち砕かれた。

 不安は的中した。

 僕は九条さんの指示に従って、食堂のテラス席に向かった。

 途中、僕だけは昼食を買いに行く必要があったので、彼女たちより先に席を立った。

 ただ、離席が早かったのもあって、校内の売店戦争に出くわすことになってしまった。

 おそろしく速い手刀が、目前を飛び交っているのをたくさん見逃して、僕は随分と妥協して、売店の端に置かれていたフルーツサンドとパックミルクをどうにか購入して今に至る。


 要らぬ徒労にため息をつく。

 足取りはどちらかと言えば重くなっていた。

 食堂に着くと席はそれほど混んでいなかった。幾つかのグループがまとまって占領してはいるが、席は十分確保できそうだ。

 埋まっている場所はほとんどが先輩らのグループが使っていた。僕は少し気まずさもあって、すぐさまテラス席に向かう。

 テラスに出ると、席はさらにいていた。というより、座っている人が一人もいない。

 そのまま、席確保のためテーブル四人席に今日の昼食を置き、そしてすぐに思った。

 暑い。

 さきほど、九条さんに声を掛けてもらった時、『外で』、と頭に残っていたためテラスへ出たが、さすがにコレはないだろう。

 テラス席のガラスの屋根は、真夏の日差しにはまったく意味がない。

 ふと、忽那さんの登下校の姿を思い返す。彼女はいつも日傘をさしていた。

「室内に変更だな」

 一人つぶやいて、すぐに立ち上がる。

 逃げるようにテラスの出入り口の方へ引き返すと、タイミングよく、九条さんとその一団が食堂に入室してきていた。


「ちょっ」

 僕はとっさのことで、思わずテラスの柱の影に滑り込んだ。

 メンバーは、九条さんと忽那さんだけではなかった。

 例の九条さんの取り巻きが追加されていて、結局、ほかにあまり喋ったことのない4名の女子がいる。

 女子は集団で行動する。特にこういう時に限ってだ。

 自身が人見知りというのもあるけれど、ただそれにしたって、こういうのはそれなりに心積もりが必要だろうと思うけど。

 敬称も忘れて、胸中で再び毒づきたくなった。


 僕の心情をよそに、彼女らはテラス席を一瞥したあと、食堂内の端、テラスへの出入り口近くの席に陣取った。

 ガヤガヤと、他愛ない会話が一団から聞こえてくる。

「あれ?まだ来てない」

「どしたの?」

 九条さんの独り言に忽那さんが疑問符を投げた。


「ん?ちょっとサプライズを、って思ったんだけどな」

「サプライズ?」

「うん。ちょっと男子呼んでて」

「へぇー」

 途端、2人の会話に全員が食いついて、高い黄色い会話が一層大きく膨らんでいった。

 やばい。出るタイミング無いかも。これは、出ていくハードルがめっちゃ上がっていくヤツだ。

 思うが、もはやどうしようもない。


 気付けば、病気はすでに発動していたようで、足はカチコチに固まっていた。

 柱の影から話の成り行きを聞くしか無くなっている。

「で、だれなん?」

「いやぁ」

「ほかにいるっけ?」

 すでに、数名の学園イケメンシリーズの名前が出揃っていた。

 九条さんは、それらの名前が通り過ぎるのを、涼しい顔で黙って首を振っている。

 さっさと一思いに殺してくれ!、と胸中で懇願するが、九条さんは大分勿体ぶってから口を開いた。

「呼んだのは、水無月くんでーす!」

「えー!」

 一同(忽那さん以外)から一斉に声があがる。

「そうなんだ。いがぁーい」

 声はそれぞれ、大きく高低に分かれていた。その含みは一体どういうことなんだ。と、本来なら、全員の顔色をひとりひとり観察していきたいところだったが。

 ただ、そんなことはどうでも良い。

 気になるのは彼女の反応だけ。それだけはなんとしても。


 僕は逃げ出したい欲求をなんとか押し殺して、出入り口のガラス戸を覗き込む。

 彼女はまったく会話に参加していなかったようで、あさっての方を見つめて固まっていた。


「ふふ。実は、姫に紹介しようと思ったんだけどさ」

「え?あ、そう」

 話の焦点が自分に向いたのを察して、彼女は頬杖を解いた。

「知ってるでしょ。私の席の隣のさ」

「え?あ、そうなんだ。ごめん、未だ名前と顔一致しない人多いし」


 僕は小さく息を飲んだ。

 ヒュッと鼻孔が揺れる音が耳に入る。

「あれ?どしたの」

「姫?ホントに」

「う、うん。どして?」

 九条さんは、まっすぐに忽那さんを見つめていた。

 空気が唐突に重くなっている。それは、薄いヴェールがあのテーブル席だけにかかっているような感じで、明らかなものではないけれど、確かにちょっとだけピリついているように見えた。

 話の流れを見守るように、周りの女子たちも黙って二人の会話を見守っている。

 忽那さんは少し間をおいて、そして、思い出したように口を開いた。


「あれ?そっか。それって、この間言ってた」

「うん」

「‥‥なるほど」

 僕はここに来て、ようやく九条さんの意図が知れた。

 先日の平手打ちの一言。

 それを解き明かすための機会だったんだ。

「サクラはストレートだね。でも、大丈夫」

「そうなの?」

「うん。私好きな人いるから」

 僕は柱の影に、再び身を隠して、熱射に干からびたミイラのようにその場に腰を落としていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ