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05

 彼女は大きく体勢を崩した。

 踏み止まれずに、空中でつまずくように、不自然に角度を変えて地面に座り込む。

 燃えきらなかった昨日の種火が、唐突に燃え上がっている。


 体育の授業が終わって、お昼休憩の最中。プール施設裏の人気のない通路で、忽那輝夜くつなかぐや九条桜くじょうさくらとその取り巻きが相対していた。

 九条さんはまだ強く手を握っている。

 ぶつかった肩辺りをさすって、忽那さんは無言で立ち上がると、きっ、と九条さんを睨みつけた。


 僕は学校内では、ほとんど忽那さんの行動は追わない。視線で追うのも、‥‥まあ、なんとか自制しているわけだから、今回の事態に立ち会ったのは偶然でしかなかった。幸い、僕以外に野次馬はいないようである。

 互いにくすぶっていたのだろう、一度手が出てからは言葉はなく、長い間睨にらみ合っている。九条さんの取り巻きの同級生2人だけが、援護射撃のように口を開いていた。

「なんなの、ちょっと触っただけじゃん」

「なにメンチきってんの」


 取り巻きの言葉は、忽那さんには届いていないようだった。忽那さんはあくまで九条さんにだけ視線を合わせて、二人の間で何らかの攻防を続けている。

 明らかにやりすぎているように思えた。今後の学園生活において、十分禍根かこんが残るだろう。

 例え彼女たちが口を開かなくても、双方の空気を察して周りが‥‥いやそれ以上に、あの取り巻き二人が黙っていない気がする。

 もしかしたら‥‥。

 今後、忽那さんには今回の件をきっかけに、今までよどんでいた女子たちの陰湿な感情が、何か形となって向かってしまうかもしれない。それがどれほど悪辣あくらつになるかまで、想像が一瞬よぎって僕は手を握りしめた。

 何とかしないと。

 しかし、昨日のような肉体の変化は現れない。むしろ、前へ出ようとすることで体は硬直していた。


 ほとんど、やぶれかぶれで昨日と同じように遠巻きながら二人に向かって手をかざす。しかし、手の平は熱くならない。

 小さく胸中で毒づく。

 心のどこかで、昨日の出来事は今までの病気の副作用か何かで、神様が与えてくれたものなんじゃないかと、なかば本気で思っていた。

 だから、いざとなれば。そう、意中の相手がピンチになったのなら、リミッターが外れて何かの物語みたいな力が発動する。

 昨日の出来事はそれほど劇的で、説明がつかず、自身の考えに都合良く働いてくれた。

 でも、今は奇跡の予兆よちょうがない。

 どうすれば良い?


 例えばもし、ここで僕が身を乗り出して、彼女たちの仲裁ちゅうさいに入ったなら。

 確かにそうすれば、きっとこの場は収まるだろう。ただ、それも、一時的なものにすぎないだろう。そんな気がする。

 ここまで来れば、例えば、彼女たちの心が読めでもしない限り、ホントの意味での和解は無理だ。

 ふと、そこまで思いいたると、かすかに耳鳴りのようなものを感じ出した。それは微細な変化だったけれど、僕はすぐに、その変化に合わせるように目を閉じ、耳鳴りの中心、自身の額へと集中を始める。

 念じるように小さくつぶやく。

「何を、考えているんだ」

 すると、凍りつく二人の空気に亀裂が入る。たっぷり間をおいていた九条さんが、ふいに口を開いた。

「なんでなの?‥‥なんで」


 声は小さくも、ピリついた空気の中で、はっきりと僕のもとまで届いていた。

「もう!水無月くんまで取らないで!」


 僕は思わず、かざしたままになっていた手を引っ込める。

 キョトンとする忽那さんの顔。思わず口元を抑える九条さん。

 一瞬双方固まって、九条さんは顔を赤らめながら、逃げるよう走りだした。

 僕はと言えば、ポケットに入れた焼きそばパンのビニールゴミを捨てることも忘れて、昼休憩が終わるまで、ずっと、そこに立っていた。


 ***


 ひと目見て分かった。

 彼はウソをついている。

 あの図書館で、私は水無月くんを見た。

 ううん。彼が図書館に行くことを知っていたので、私も友達を誘って図書館に向かった。

「そしたら何で。‥‥何であの子がいるの?」


 私、九条桜くじょうさくらは、忽那輝夜くつなかぐやが嫌いだ。

 彼女の前だと、自分がどうしようもなく小さい存在だと意識しなければならない。

 話し方だって、私は中学の頃とまるで違う。髪も染めたし、制服も着こなしを考えるようになった。これは、別に高校デビューのためとかじゃない。

 ふざけた自分を示さなければ、本気の私が敗北したことになってしまう。


 高校受験は本当に大変だった。

 先生には、合格は難しいと言われていたし、親からも無理するなと言われた。周りの友達はみんな恋愛をしたり、スポーツにかけたりしている。でも、私には何もなかったから、せめて受験だけはと思って勉強した。

 だけど、彼女はそんな私を入学初日でアッサリと超えていった。


 頑張っても届かないものってあるんだと、つくづく思った。彼のことを見たのは、そんな入学初日の帰り道だ。

 車椅子の人が自販機の前で困っていた。隣の自販機で、ちょっとヤンチャな中学生くらいの女の子が、後から来て自分の物だけ買ってさっさと行ってしまう。車椅子の人はまだ財布も出せていない。

 大人たちは、見て見ぬ振りをしているようで、何故か声をかけたりしなかった。

 車椅子の人にも、どこか人を近づかせない空気があって、私もそこを素通りしようかと思っていた。

 そんな時彼は、誰も入り込めない境界線みたいなのをあっさり越えて、車椅子の人に話しかけた。

 それはあまりに自然な対応で、理由なんて『ちょっと目に止まったから‥‥』みたいな、すごくあっさりした表情で。

 サッサと目的のモノを買ってあげると、彼は何か急ぎの用でもあるのか走って行ってしまった。

 真新しい制服と、サラサラの髪と、ビックリするくらいの足の早さと。

 私はステキだと思った。

 これからは、勉強だけじゃなくて良いと思えた。

 今まで、自分一人のためだけに割いていたものを、この新しい生活では、別の何かのために奉仕できたら。

 憧れは誰にも告げず、私は彼のことを考えていた。

 そうしたら、彼は同じクラスで。まさか、隣の席に座れるとか‥‥。

 だけど‥‥。

「最悪だよ。よりにもよって、あの女の前で。‥‥私」


 私は走った。

 下駄箱の方へ向かっていたけれど、カバンがなければ家に帰れないから、途中で教室目掛けて階段を駆け上がる。

 ホントなら先生にも声をかけて‥‥。

 だめだ。そんなの無理だ。こんな状態でわざわざ大人にウソをつきに行くなんて余裕はなかった。

 今日、このまま逃げるように帰って。そしたら、もう私は、学校には行けないかもしれない。そう思って、グッと胸の奥がつまって、熱くなった。


 教室のある3階にたどり着く。

 何故か視界が暗くなっている気がした。泣いているのかもしれない。

 息は、大分乱れて荒くなっていた。ペタペタと、うわ靴がタイル床とへばり付く音が妙に響く。

 そこで私はようやく異変に気付いた。騒がしいのは自分だけだと。

 教室どころか廊下にも、談話スペースにも誰もいなくなっている。電気もついていない。

 薄暗い見慣れた廊下道。気味の悪さからか、どこか吸う息にも重量感を感じた。

 なんだろう?体育か、いや防災訓練?

 一瞬よぎるが、すぐに教室に向かうため足を踏み出した。

 どうでも良い。

 乱れた呼吸を整えるように、私は一度大きく息を吸い、教室のドアに手をかけた。


 ***


 好きになったことは幾度かあるけれど、好きになられたことはどうだろう。

 教室に戻ってからも、僕はずっと上の空だった。

 僕は九条さんのことを‥‥。ダメだ。

 変に意識してしまって。今はちゃんと整理できそうにない。


 入学して未だ間もない僕らの人間関係は、当然途上だし、互いにそれより前のことは知らないことだらけだ。

 今後色んなことがあって、複雑になって行けば結論もあるんだろうけれど。

 それはきっと、彼女も一緒な気がする。

 あの言葉は、明確になっていないような心境を、無理矢理に形にさせた。そんな印象だった。

 不当な手段で九条さんの気持ちを知ってしまった。

 そんな気がする。

 そうだ。この力の検証には慎重にならなければならない。

 先程の件で、この何かよく分からない力は、物理現象だけでなく、精神にまで影響を与えるものであることが分かった。

 法則性については未だ判然としないことが多いけれど、やはり忽那さんに関連する時のみ、力が発動するのではないかと思える。

 これは、本来ならとても重要なことだけど。ただ‥‥。

 ぐるぐる巡る思考の中で、僕は唐突に我に返る。

「おい、水無月。聞いているのか」

 気付いたタイミングが悪かった。

 英語の西田が日本語で指摘をしてきていた。何時もなら、嫌らしく英語で呼びかけをおこなう。

 声の大きさから、おそらく数度の空振りがあった後なのだろうと察して、僕は慌てて生返事をする。

 教室内で、小さく笑い声が広がる。

 普段なら、直ぐに知らせてくれそうな九条さんが今はいなかった。

 その後も結局、九条さんと忽那さんの二人が午後の授業に現れることはなかった。


 ***


 九条桜くじょうさくらが教室のドアを開けると、無音の中、大型ウサギが傘をさしていた。

 置物とか、大型のぬいぐるみだとしか思えないような見た目の、現実感の無い大きなウサギだ。ゆうに1メートルはある。

 随分と明るめのファンシーな服を着ており、頭には藁で編まれた冠をかぶっている。

 それが、利口な犬みたいに『お座り』の姿勢でこちらを見ていた。


「君が、忽那輝夜くつなかぐやかな?」

 ウサギはじっとこちらを見て、もぞもぞと口を動かしている、が、言葉のとおりに口は開いていない。

 教室には人がいなくて、電気も消えていた。外はまだ明るいから学校の放課後という感じもしない。ほとんど見たことのない教室の表情だった。


「どうしたことだい?随分怯えているように見えるけど」

 私は声が出せず、遊園地にでもいそうな、その見た目の存在を受け入れることが出来なかった。

 気持ちが悪い。

 それはこの空間も。見た目と異なる低い声色も。重く漂うような黒い空気も。すべて含めて、恐ろしくて。私は凍える雪山の遭難者のように、ぶるぶる小刻みにふるえて固まっていた。


 この異様な空間の主は、教室の中央の机に座り、ただこちらを見つめている。表情だけは妙にリアルで、げっ歯類固有の、前歯をむき出しにする表情はひどく汚く見えた。

「ふむ。どうしたものだろう。折角スカウトにやってきたのに」

 相変わらずリンクしない口元をもぞもぞとさせながら、淡々とウサギは続ける。

「われわれは、『Eclipeseエクリプス』という組織だ。聞いたことはあるかな」

 無意識なのか意識的なのか、ウサギは時折、引きつったように笑う。その表情には、愛らしさなど微塵もなかった。

 私は、ここまでの道中で熱くなっていた瞼と、荒くなっていた呼吸が徐々に収まってきていて、なんとか自分を取り戻し始めていた。


 ふと、思い返す。

 そう言えば、さっきこの目の前にいる物体は私目掛けて「忽那輝夜くつなかぐやか?」と言った気がする。そうだ。ウサギが持っているあの傘は、彼女が利用していたものだ。


「どういう、こと?」

 私は教室内から一歩退き、声を絞り出した。

 今まで意識したこともなかったけれど、肺にある空気を腹筋を使ってようやくに吐き出させる。そうして、ようやく声が出るものなのだと初めて実感した。

 重苦しいものを一つ吐き出して、ようやく思考が少し広がる。今度は階段目掛けて走り出そうと思いつく。しかし、体をひねろうとしても、何故か視線がウサギから外せなかった。それは両頬を何かに掴まれているような感じだった。


 ウサギは、こちらを見ながら、作り物としか思えないほどはっきりと首をかしげた。

「うーん。君、ホントにあの忽那輝夜くつなかぐやかね」

「違うわ」

 私はすぐに反応する。

 違う。誰に間違われても、それだけは。


 私の反応に興味を惹かれたのか、ウサギはまた口角を引き上げた。

「ほう。では人違いか、珍しいね。力を感知することは難しくないのだけれど‥‥。反応だけ見れば、確かに君に対して2度、力が行使されているようなのだがね」

 言って、ウサギは座していた机から飛び上がった。そのタイミングで教室中の机が一斉に宙に浮かぶ。


「われわれも、未だおおやけに動くわけにはいかない」

 宙に浮かんだまま、折り曲がっていた前足をピンと伸ばすと、こちらに向かって振り下ろした。

「残念なことだ」

 ウサギのセリフの直後、教室がパッと明るくなる。

 その態度から、直感的に、私に対して何らかの攻撃が行われるのかと思ったのだが、宙に浮いたはずの机は明かりが点いたタイミングの、ホンのまばたきの間に、すべて視界から消えていた。

 ウサギは、フワフワ浮かんでいた中空から唐突に地面に落下する。

 そのすぐ後に、驚いた様子でキョロキョロと周りを見回し、ウサギらしく耳を立てて警戒の姿勢をとった。

 私も視線だけを辺りに巡らせる。


 明かりは天井からではなかった。光の珠のようなものが、教室の四隅に浮かんでいた。

「ふーん、エクリプス?聞いたことないですね」

 声と共に教室のドアが開く音が聞こえる。

 ゆっくりと、スマートフォンを見つめながら、忽那輝夜くつなかぐやが私のいる出入口と反対の、もう一方のドアから教室内に入って来ていた。


「どなたかな?」

 地面に転んだ際のホコリを払うようにしながら、ウサギは再び二足で立ち上がると、紳士然として新たな侵入者に話しかけた。

「人払いは行っているはずだが」

「へえ、ナンですかね?入れちゃいました」

 忽那輝夜くつなかぐやは、スマホから顔を上げると、にっこりと微笑んだ。

「‥‥ホンモノ、ということかな?」

「どうでしょう。試してみます?」

「と、いうと?」

「力比べしましょうか?」

「ほう?随分と好戦的だ」

「それはあなたの側だと思いますけど」

 一瞬だけ、彼女はこちらに視線を向けると、教室の中を歩き出した。


「それにしても、なめられたものですね。そもそも聞いたこともないってことは、団体名簿の端の端。まだまだ亜流の小さな組織なんでしょう?なびく理由なんてどこにもない。そもそもなんです?そのコスプレは。見えてますよ。いい歳のおじさんでしょう?」


 忽那輝夜くつなかぐやの発言の直後、ウサギは飛び上がり、先ほどと同様に宙に浮かんで、いっぱいに伸ばした前足を何かを投げつけるように振り下ろす。

 しかし、ウサギの何かが発動するよりも早く、忽那さんは、パチンと指を鳴らした。

 意図した効果が発揮されないのか、ウサギは地面に着地すると同時、慌てて声を荒らげる。

「何をした!!」

 彼女は、微笑みを崩さずに、いつの間にか手にしていた自身の日傘をマーチングバンドのバトン回しのようにクルクル回転させて、自身も横に一回転する、と。彼女の周囲から唐突に発生した七色の光線が、ウサギに向かって伸びていった。

 光線は光の速さではなく、私の目でも追える程度の速度だったが、ウサギは動けないのか、『お座り』の姿勢のまま、光線の束とぶつかる。

 花火のような光の爆発。直ぐに、バリッ、と、強い静電気のような音が遅れて聞こえてきた。

 私は驚いて、尻もちをつく。見えない拘束が解けていた。


 彼女は日傘をまた、クルクルと回して、きれいにキャッチして握り止めると、ばっちりとポーズを決めて私の方へ振り向いた。

「そう。これが、私の本当の姿。私の正体は魔法少女!」


 私は唖然として、辺りの風景と彼女を見定める。

 ウサギは跡形もなく、姿を消していた。ウサギのいた辺りは、光の爆発跡で黒い煤のようなものが放射状に広がっている。

 気付かなかったが、窓ガラスもカーテンもすべて吹き飛んでいた。

 言い逃れのできないほどに傷ついた教室。その破壊の跡と、それに見合わない女子高生の華奢で白い姿。


 意味の分からない一連の出来事を思い返して何とか口を開く。

「‥‥バカ、なの?」


 一瞬の間。

 彼女は真っ赤になりながら、「ちがうの、ちがうの」と慌てて訂正を始めた。


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