04
「何してるんです?ここは子供のための遊戯場ですよ。高校生が公園のブランコを占有してよいのですか?」
「おれも子供だ」
「精神年齢じゃありません。肉体的には」
ギロリと視線を投げると、凜は小さく「‥‥すみません」と続けた。
ゴタゴタのあった図書館から撤退して、僕は公園のブランコで夕日を眺めていた。
公園には確かに子供たちもいたが、少し離れたベンチのあたりで、みな携帯ゲームに夢中になっている。
凜はいつもどおり、というよりはいつもよりずっと楽し気にしていて、さっきから僕へ絡んでくる言葉もかなり強引というか、辛辣というか。
今は、ブランコ周りの鉄の囲いの上に乗るかどうかを吟味しているようだった。
そんなことよりも、だ。
切り替えるように、僕は凛から視線を戻す。ブランコの鎖を握っていた手を離して、そのサビのついた手のひらを見つめた。
先程の不可思議な出来事について考えなくてはならない。
「お前見てたか?」
「あなたが公園のブランコを、子供たちから強奪するところをですか?」
「そんなことはしていない」
視線を合わせずに反論だけはしておく。
僕は確かに、‥‥本を投げたつもりがなかった。
本は独りでに飛んでいったのだ。
そもそも、例え自身気付かぬうちに本を投げていたとしても、あれほどコントロール良く目的の場所へ投げられるだろうか。
しかも、二人に怪我はなく、それでいて、体勢を崩させるような絶妙な力加減で。
もし出来たとしても、それはどの程度の確率だろう。
少し二人が体勢を変えていたなら怪我をさせてしまうかもしれない。そんな無謀なことをするだろうか?
自身の手を見つめたまま思考を続けていると、凛が両手を組みながら目の前に立ちはだかっていた。手すりに乗るのは諦めたようだ。
「ふふん。なるほど。そろそろ私の正体も明かさなければならない時のようですね」
無いヒゲを、モフモフと撫で付けるような仕草をしながら、大分もったいぶって凜は鼻の穴を大きくする。
「あれは超感覚的知覚。いわゆる、超・能・力でぇす」
僕はブランコから立ち上がる。
無言で一歩近づいて、得意気になっている凛の頭をワシャワシャとかき混ぜた。
「うぐぐ」
うなる彼女を退かして、僕はそのまま夕日に向かって歩き出した。
***
昨日の出来事を思い返して、僕は体育館の天井を見上げていた。
授業はバレーボール。
男女に別れ、更に男子の側はチームを3つに分け、試合をしていくため、必然的に1チームはやることが無い。
試合組をあぶれた僕が所属するチームは、閑散と散らばって、各々(おのおの)時間を潰すことになった。
真面目な何名かは、トスやレシーブの個別練習をしたり、コートを見つめて声を掛けたりしている。
けれど、僕はどうにも身が入らなくて、先生に見つからないよう、体育館のステージ上に上半身だけ寝そべって時間を潰していた。
ふと思いついて、天井に手を伸ばし手の平の中心に力を込めてみる。
‥‥が、やはり何も起こらなかった。
あれから、家に帰って今に至るまで幾度か試してみてはいるが、反応は無いままだ。
昨日のアレは、何だったんだ。
こんな思わせぶりもツレナイじゃないか。そう思う。
昨日の帰り道。僕はホントに弾むような心地だった。
凛の悪ふざけの一言を、ワシャワシャと蹴散らさなければ、道中、叫び声でも上げてしまっていたかもしれない。
超能力。高校生になって唐突にそれに目覚める。
今考えても笑けてくる。ニヤける口元からは、思わず息が漏れていた。
「んな訳あるカーイ!」
うっかり、口に出してしまった自分に気付いて、僕は半身を起こし辺りを見回す。
「何やってんの?」
ちょうど、見廻組の佐々木くんが舞台下に立っていた。
運動が苦手な彼は、僕同様、時間を持て余しているようで、先生の目につかない程度にフラフラ彷徨っているようだった。
「マジで寝言言ってるやつ初めてみたわ」
あたふたと、慌てる僕を笑いながら、彼は続けた。
「お前さ。夏休みってどうするの?」
もう再来週からは夏休みに入る。
そう言えば、最近のクラスの話題はそればかりだったと思い返す。
とりわけ、リア充組から聞こえてくる海だのプールだの、夜の街だのの冒険の予定は刺激が強かったのか、心配になって声をかけてきた、ということだろう。
僕は予定もないし、多分何もないことを告げると、「そっか。そうだよな」と安心したように見回り活動を再開しに、コート脇で声を上げている集団の方へ向かった。
「夏休みねぇ」
今までの、平穏というか、代わり映えしない日々を思い返す。
小学校までは部活ばかりの日々だった。
中学に入ってからはウイルスショックのせいで、野球は出来なくなってしまった。
それは、やはり寂しいもので。夏のお祭りだの、花火だののイベントを、わいわいと一気に埋めてくれる集団生活は、思い出まで騒がしくしてくれた。
比べて、中学3年間の夏休みは、何も残っていない。
まあ、今年もきっとそんな感じになるのだろう。社会的な問題が解決したからって、心象に残る爪痕までは消えてはいない。
高校に上がって、部活は入らなかったわけだし、それは仕方が無い。
ただ。
心残りなのは、一つだけ。
彼女の姿を見れなくなること。
虚ろになっていた視線を戻して、彼女の姿を探そうとする。と、今度は九条さんがいつの間にか舞台下に立っていた。
「うわ」
「よっ!」
彼女は少し恥ずかしそうに、角度の甘い上目遣いでこちらを見ていた。
体育の授業は、男女別になることが多い。
彼女の体操着姿は見慣れていないためか、何かいつもの彼女らしくない雰囲気を感じた。そういえば、今朝から珍しく彼女と話をしていない気がする。
「どったの?」
「そっちこそ。バレーやんないの?」
「いや」
言いながら、僕は少し煩わしげに試合組の方に指をさす。
「そっか、試合無いんだ」
「うん」
ボールの弾む音。ゴム靴の底の摩擦音。体育館固有の音響効果によって、彼女の声は少し聞き取りづらかった。
「部活は入らないの?」
「え?」
慌てた様子で、彼女は取り繕うように言葉をつづけた。
「野球やってたって言ってたでしょ?ホントに運動神経が良いか、見てやろうと思ったのに」
いつもの明け透けで、率直な九条さんらしくない言いまわしな気がした。
何かきっかけを探るような彼女の言葉。そんな感じ。
「ん?‥‥ああ。小学校までだよ。中学はさ、駄目になっちゃったから」
「そっか、そうだよね。はは。小学校の時はどうだった?ポジションは?」
「一応ピッチャーですよ。これでもね」
「へぇ?じゃあ投げるのは得意だよね」
「え?‥‥まあ、それなりに、かな」
「そう」
うつむく彼女。ちょっと間を開けて顔を上げる。
「‥‥昨日さ、‥‥図書館にいた?」
一瞬言葉に詰まる。
う、っと息が漏れるのを何とか止めて、僕は彼女を見返した。
明らかな躊躇いを察してか、彼女は「‥‥ありがと」と、僕の返答を待つまでもなく、休憩中の女子の一団の中に消えていった。
***