6-1 ボクは何も出来ない
花子が家に居る間は書斎や書庫と呼ぶあの二間続きの座敷、通称「古本かまくら」に入り浸っている事が多かった。
ボクが書斎に踏み込むことは無いけれど、古本かまくらにはちょっと前までは頻繁に出入りして、本を借りたり読ませてもらったりしていた。
でもあの一件以来ちょっと疎遠になっている。
夜なんかはもう絶対に踏み込まない事にしていた。
まぁ幽霊とか何とかそういったアレなモノなんて居ない、絶対に居ない。居るわけが無いと、そう固く信じているのだけれども、もし何かまかり間違って出会ったりしたらイヤじゃないか。
怨念とか呪いとかその類いも無いと確信しているのだけれども、思いもしないモノや状況から不運を被る可能性がゼロとは言い切れないじゃないか。
死ぬに死に切れない無念とか未練とか恨み辛みとか、流した血潮が汚れと共に土地に染みついて、その場に踏み込んだ者に祟るとか、知らずにその地に家を建てちゃったりとか。
そもそもこの家は古い病院の跡地に建てたんだよね。
建物は無くなってもこの場所で死んだ人間は沢山居そうだ。
っていうか間違いなく居るに決まっている。
ボクの目覚めた場所は元遺体安置所だって言っていたじゃないか。
それに昔の人間は何をやらかすか分ったもんじゃない。
人の皮膚で本の装丁とかする位だし、床下や長年使われていない倉庫の奥底から、無縁仏の骨とか木乃伊とかが出て来ないとも限らない。
そして聞えては為らぬ声とか、見えてはならぬ何某かが見えたりとかする可能性だって・・・・
「別に何も出ませんよぉ。何十年も此処で生活しているわたしが云うのです。大丈夫ですよ」
花子はそう言うけれど怖いものは怖いのだ。
理屈なんかじゃない。
それに花子が単に見落としていたり、気付いていなかったりしているダケかも知れないじゃないか。
毎日散歩する度に怪しげなモノを見たり出会っていたりしているこのボクだ。
家の中だけ例外と考える方がオカシイ。
在り得ないなどと軽々しく断言なんて出来ないと思う。
「ちょっと前には『あの世なんてとても在るとは思えない』なんておっしゃっていたではありませんか。そんな疑問を持つお方が何故、ソッチ系統のものが出るだなんて思うのです。矛盾なのでは?」
「アレとかソレとかは、現実で人間が見たり迷惑を被ったりするものじゃないか。
死後の世界がある証明にはなってないよ。
アレの実在と死後の世界の実在とは決してイコールじゃない。
切り離して考えるべきだ。アレとあの世は対等じゃない。
別個の都合で成立している。
そもそも、ゼロじゃない可能性は必ず在り得ると言ったのは花子だろう」
「確かにそうですけれども。しかし先程から『アレ』と連呼していらっしゃいますが、卯月さんは幽霊という単語すら口にしたくはありませんか」
「口にしたら引き寄せるかも知れないじゃないか。言霊ってものがあるって聞いたよ」
「心配性ですねぇ」
「何とでも言ってくれ」
そして最後に「幽霊なんて絶対に居ないと思っているけれど」と念を押す事は忘れない。
当然だ。
今話していたのはあくまで仮定の話なのである。
美味しいと噂の近所のパン屋さんで買った厚切りトーストに、牧場の出張販売所で購入したというバターを塗って、カリカリに焼いたベーコンエッグと共に胃袋に納めた。
レタスと茹でたブロッコリーのサラダと一緒に生クリーム入りのミルクを飲み、食後の珈琲となる。
この家での定番の朝食だった。
二号ちゃんはまだ復活していないから横取りされる心配はないけれど、食卓に座る人数が少ないのはちょっとだけ物足りなかった。
テーブルに置かれたままの大瓶の中で、溶液に浸された二号ちゃんの本体がゆっくりと揺れている。
まぁコレで一緒に食事をしていると言えなくもない。
「ぷくぷく」の小さなモーター音が妙に耳に付いた。
二号ちゃんをこんな目に遭わせたあの神父は業腹だけど、まだ対処の仕方が分りやすい。
まぁ確かに、再び出会したとしてもボクがどうにか出来る筈もなくて、逃げるか助けを呼ぶかの何れかだけど、対抗手段は思い付けるし用意もできる。
しかしオカルト系統はいったい何をどうすれば良い?
小説や映画やマンガなら、お祓いする巫女だの霊能力者だの特別な力を持った人達がほいほい登場するけれど、そんな特別な方々が町中ご近所を何気なく歩き回っているとも思えない。
仮に世界の何処かに住んでいらっしゃるのだとしても、いったいどうやって連絡を取り、ご足労頂くことが出来るのか。
そもそもボクは依頼どころか料金を支払うコトすら出来ないのである。
前に一度花子に訊いてみたコトがあった。ホンモノの霊能力者とか、悪霊だの呪いだのをお祓いできる神職の方々を知らないか、と。
ボクよりずっとずっと長く生きている彼女のことである。
ソッチ方面の伝手もあるのではないかと思ったのだ。
「幽霊さんや怨霊さんなんて居ませんよう。マンホールのアッチ側からやって来た方々を見間違えたり、思い込んだりしちゃってるダケですって」
そんな大雑把なことを言う。
「そもそも心とか気持ちとかはオツムから生まれ出たものでしょう?
死んじゃったら脳味噌も動かないし考えることも出来ません。
逆に幽霊さんがいらっしゃるのなら、脳味噌は何の為にあるのかという話になります。
灰になったのなら尚更です。
蘇生や復活したのならば兎も角、ご昇天あそばされたお方は何も出来ませんよ」
確かにそれはそうかもだけど、人外の彼女にそれを説かれても説得力が無い。
「まぁヒトの中には特別な技能を持った方々はいらっしゃいますが、卯月さんが考えているような方に出会ったことは在りません。
それにこの家が建っている場所には、アチラ側のヒトが気付いたり入って来られないように『虫除け』を施していますから、何の心配も要りませんよ」
「タヌキーなヒトは入って来たけれど」
「案内するヒトが居たら効果が無いのです」
「う・・・・ごめんなさい。迂闊でした」
「あっ、責めている訳ではないのですよ。あの時は仕方がないです。だって槍とかで脅されていたではありませんか」
花子はそう言ってフォローしてくれるけれど、アレは脅されたと言うよりも対処に困って連れて来てしまったと言う方が正しい。
急に恥ずかしくなった。
自分の身に降りかかった災難を振り払うどころか、恩人に迷惑をかける有様だ。
避ける術が無いどころか対処する方策を考えようとすらしていなかった。
あの時あの場面でも、もうちょっと頭を捻ればもう少しマシな対応がとれたのではなかろうか。
だいたい最初から素直に警察に駆け込んでいれば良かったのだ。
切羽詰まってから初めて当局に助けを求めるだなんて遅すぎる。
何も考えていない。
或いは花子の所に連れて行く前に、スマホで一報入れるだけでもかなり違っていただろう。
確かにそれは後知恵だろうけれども、実際オタオタするだけで何もやろうとしていなかった。
今だってそうだ。幽霊が怖いだの何だのとただ駄々をこねているだけ。
やくたいもなかった。
無能の人と誹られても反論できなかった。
ただ毎日、のうのうとこの家で花子のお世話になっているだけだ。
ホント、ボクは何も出来ない。
何も出来ていない。




