2-7 我らが住まう地とは似ても似つかぬ
歩く外の天気は良かった。
よく晴れているけれど空は薄雲が張っていて、日差しはさほど強くない。
風はちょっと強めだった。
花子に言わせれば今の風向きは最低最悪で、山の尾根を超える花粉がダイレクトに町へ降り注いでいるのだという。
でも幸いというか何というか、ボクにはてんで関係ない。
ただうらうらとした春の日差しの中でののんびりとした散歩、もとい、町内巡回の最中であった。
強めの風に麦わら帽子が飛ばされないよう、片手で押さえながら単線の小さな踏切を越え、脇の路地に入った。
線路脇の黄色い花が風に揺れている。
名前も知らないけれど悪くない光景だなと思った。
でもそこでボクはぴたりと足を止めた。
このまま真っ直ぐ歩いて、三つほど交差点を越えれば花子の家はもうすぐソコである。
散歩のお土産がてら、途中のコンビニで買ったアイスが溶けない程度のささやかな距離だ。
今日はちょっと暑いからちょっと食べたくなったのだ。
急ぐ必要はないけれど、ボンヤリと突っ立っていない方がきっと良い。
しかし立ち止まってしまったのには訳がある。
目の前では道端のマンホールが開いて、何処かで見たような見慣れないナニかが、ぞろぞろと這い出て来るところだったからだ。
ソレはみな衣服を着ていた。
厚手の布で出来たシャツやズボンの上から、金属製と思しき胸当てとか兜とかを身に着け、手にはそれぞれ槍だの剣などを持っていた。
一言で云えば中世の兵士を思わせる格好だ。
そして彼らは一人残らず小柄で真っ黒で毛むくじゃらで、黒っぽい目に尖った鼻先、そして口元に牙を生やしているのである。
背丈はボクの腰にも満たない。
一番背の高いヤツでもヘソよりもちょっと上くらいだろうか。
彼らは次から次へと這い出してきて、辺りを見回しては「おおう」とか「うおおおう」とか感服したような奇声を発しているのである。
「やむを得ず入り込んだあの石造りの狭道より出でてみれば、かような新天地へと出ずるとは。これぞ正に神のお導き」
一際立派な鎧を身に着けたモノがそんな台詞を口にした。
喋った、と驚くと同時にその言葉が日本語であることが更に吃驚だった。
元々の声質なのか当人がそうなのか。
甲高くてキイキイとした声音であったが、間違いなくヒトの言葉だった。
唖然として立ち尽くしていたら、きょろきょろと気ぜわしく辺りを見回していた一人がボクを見つけ、「何奴」と誰何して槍を向けた。
その途端数人が駆け寄ってきて、あっという間に取り囲まれてしまったのである。
そしていま、ボクの喉元にはぎらぎらと輝く槍の穂先が突き当てられていた。
「怪しいヤツ。ここでナニをやっている」
動物めいた顔つきの毛むくじゃらな一人に詰問されて困った。
ナニと言われてもボクはただ散歩を、いやいや日常定例業務である町内巡回をしていただけなのである。
どう返事をしようかと迷っていると、「待て」という声があった。
「槍を引け。見ればサルヒトの娘ではないか。手荒な真似をするでない」
あの立派な鎧の人物だった。
人間の装いをした動物が二本足で立っているという風情なのだが、何処かで見たような顔つきだ。
しかしそれが何という動物だったのか思い出すことは出来なかった。
小熊にも見えるがどちらかと言うと犬に近いと思った。
開けた口の中から覗く牙は思いの他に立派だし。
「見慣れぬ風体よな。
我はサムスギカナワンより以北、シバレールの地を治めるシーバレッテン伯爵の家臣スイトンの子、トンジル子爵である。
娘よ、兵が驚かせてすまなんだ。
一つ訊ねたいのだが此処は如何なる名の者が治める地か。そして何という名の町なのか教えてもらえぬか」
「サムス、シバ・・・・え、何だって?」
無礼な、何という口の利き方か娘、と声が上がった。
だが名乗ったその御仁は片手を上げてそれを制すると「冗長であったか」と呟き「トンジル子爵でよい」と言い直した。
「ト、トンジル子爵さん?」
「左様。して、此処は?」
「え、ええと、此処は日本です。首相は山田、そしてこの町は三日月町といいます」
「ニ、ニホン。それにシュショーとは如何なる階位か。領主とは異なるのか?ミカヅキ町というのも聞かぬ名だ。町の様子といい我らが住まう地とは似ても似つかぬ。
それにこの気温、とても真冬とは思えぬ陽気よ。娘、サムスギカナワンの名に聞き覚えはないか」
知らないと首を左右に振ったら「そうか、やはりな」と目を伏せた。
そしてこの土地の様子だの、気候はどんな案配なのかだの、人々はどれ程住んで居るのかだの様々な質問を重ねてきた。
取敢えずボクは当たり障りのない範囲で答え、ざっくりとした町の概要を説明する羽目になったのである。
「どうやら此の地は我らの土地とかけ離れておるらしい」
一通り説明を終えると、そう言って彼は吐息をついた。




