74.七月二十三日 夕方 祓いの儀
宮司を中央に、八家当主がその背後に立ち、多数の巫女たちが所定の位置についたころ、寒鳴綾乃が巫女に手を引かれやって来た。儀式の場には無造作に藁が敷かれており中央にのみ真っ白な絹の敷物が置かれている。
綾乃が敷布の上に膝をつき、宮司に背を預けるように身をかがめてから両手を合わせ祈りの姿勢へをとる。彼女の着ている白装束は着物のような袷はなく、Tシャツのように被る作りのため場に対して違和感がある。しかも背中が大きく開いており、うなじから腰のあたりまでが丸見えなのだ。
娘が辱められているのかと訝しむ寒鳴夫妻であったが、これで儀式を開始するための準備がすべて整ったのだから、事前の説明通り理解して覚悟を決めるしかない。さらに、綾乃の両親はこれから起こる出来事を直視しなければならず、事前説明を併せ思い出し体を震わせていた。
まずは宮司、八畑由布鉄による祝詞の奏上が始まった。今回は祓いの儀のため宮司から八岐大蛇様へ祓詞を届けることとなる。
『掛けまくも畏き八岐大蛇の大神――
中略
―― 恐み恐みも白す』
とは言っても、今回のような産まれ持っての性質を変えるような力は祝詞自体には無く、あくまで儀式として用いられる古代神道の決まり文句のようなものである。妖に憑りつかれている程度であれば祓うこともできるだろうが今回は力不足と言うわけだ。
祓詞を終えた宮司がすり足で下がっていくと、続いて八家筆頭当主、櫛田八早月による常世開扉が行われる。これは綾乃の体内に眠る巫としての素養を引き出すために、常世、つまりあの世と繋がりを作るための前準備だ。
現在の綾乃は言うなれば妖に憑かれているのとほぼ同じようなもので、その力が災難や妖を引き寄せてしまう。今回の儀式を施すことで、綾乃の体内に封じ込められた異能の性質を変え悪影響を取り除くのが目的である。
八岐大蛇の力を用いて行う祝福は、現代の事象等に当てはめるならばワクチンや免疫のようなもの、そのため大仰な心配は不要なはずだ。それでも未知の超常を聞かされた夫妻が安心できたはずもないが。
八早月は妖を封じる時と同じように両の掌を合わせ八岐大蛇へと祈りを捧げる。すると両腕には蛇が這うように幾筋もの紋様が浮かび上がる。やがてその紋様が手の甲までたどり着くと、準備が整ったとばかりに八早月の目が大きく見開かれた。
「はああっ!
今ここに八岐大蛇様の御力借りたてまつらまほしく願ひ申し上ぐ!
我が両腕に宿りし御力を以ってこの場へ扉を開きたまへ!
いざ参られよ!」
八早月が祈りを捧げてから両の掌を綾乃の背へ向け、扉を開ける仕草を何度も繰り返し行った。いつの間にか八早月の腕には蛇の鱗のような紋様がびっしりと浮かび上がり、その筋は血が滲んでいるように薄ら赤く色づいている。
綾乃の両親はいてもたってもいられない様子でしっかりと口を抑え、声を上げないように耐えているようだ。しかし次の瞬間思わず椅子から腰を浮かし、両側にいる巫女によって取り押さえられ再び席につかされた。
それと言うのも、儀式を受けている愛娘が八早月の両手に押されるかのようにうつむきながら崩れ落ちたのだから無理もない。しかし八早月の両手は彼女の背には触れていないのだ。
さらには綾乃の背中から光の帯のような物が浮かび上がり、まるで体内から何かが引き出されたかに見える。八家当主たちには光の中に黒い何かが浮かんでいるのが見えているが、一般に人たちに見えるのは光の帯、すなわち常世の扉だけである。
ここで綾乃の母は堪えきれず気を失ってしまった。母親は巫女の手によって、あらかじめ椅子の後に用意してあった敷布へと移され横にされる。
綾乃の母親が介抱されるのをじっと見つめていた八早月は、それが終わったことを確認してから口を開き、儀式の続きへと取り掛かった。
「それでは続けましょう。
四宮臣人、ここへ参られよ!」
「はっ、四宮臣人、御前に」
いかにも儀式的なやり取りの後、紋様斬りと言う儀式が行われていくのだが、八家当主以外は何をしているのかわからない。なぜならば、当主は浮かび上がった光の帯に対面し、剣術の型のような動きを素手で行っているだけなのだ。
しかし実際には、八早月によって引き出された光の中へ浮かぶ巫の証へと呼士が斬りかかっているのである。四から順に五日市、六田、七草と進み、零である櫛田を飛ばして初崎、双宗と交代しながら儀式は終わりへと向かう。
「では三神耕太郎、参られよ!」
「はっ! 三神耕太郎、御前に!」
最後に三神家当主による紋様斬りが行われるのだが、耕太郎の呼士である組折の太刀は、それまでの当主が黒く浮かんでいる物をなぞるようにしていたのとは異なり、黒い何かを貫きながら綾乃の背に深々と刺しこまれていった。
「ああ! いやああ! うわああああ! 痛い痛い! 痛いよ! 助けてえ!
いぎゃああああ! やめてえええ! お願い! 助けてえええ!」
突然泣き叫び始めた綾乃が起き上がらないよう、それに安心させるよう八早月がその頭を胸に抱く。そんな様子に黙っていられるはずもなく、綾乃の父が腰を浮かせたのだが、これもまた巫女によって制止され娘の元へ駆けつけることは許されない。
やがて組折の紋様斬りが終わり深々と突き刺さった太刀が引き抜かれると、体を強張らせていた綾乃は脱力し八早月へと身を預けてきた。どうやら痛みのあまり気を失ったようである。しかしまだ儀式が終わったわけではない。
最後に筆頭当主八早月の呼士である真宵が、小太刀を綾乃の背中へと突き刺していく。幸か不幸か綾乃は気絶したまま目を覚まさず、大人しく八早月に抱かれたままであった。
真宵が小太刀を引き抜くと、先ほど組折に押し込まれた黒い何か、すなわち巫の証は、先ほどとは異なり濃い黄金色をした銀杏の葉のような扇型へと変わっていた。どうやら儀式はうまく行ったようである。
綾乃を抱く手を六田櫻と交代してもらった八早月は、先ほどと同じように祈りを捧げてから、巫の証を体内へと戻し入れる。そして今度は扉を閉じる動作を繰り返し常世の扉を閉じた。
しばらくすると背中から生えていた光の帯はすっかりと消え去り、辺りにはまた篝火の灯りだけが揺らめき静寂が戻っていた。




