57.六月二十六日 午後 大妖『鵺』
血を流しながら倒れている老婆だが、その傷は浅く命に別状はない。しかし呪術の中心にいることで生命力が直接吸い上げられているため、このままでは命を落とすことになるのは間違いない。
そうさせてなるものかと、八早月は常世の扉を閉じるべく八岐大蛇様への祈祷を続けていた。先ほどの結界生成と同様に両腕の表面が蛇のような姿に変化していく。
祈祷が終わると両掌を老婆の腹にある呪詛文様へとかざし、手を開いては閉じ、閉じては開くと繰り返している。これが常世の扉を閉じる儀式であり、成功すればこれ以上妖や悪気が流れてくることはない。
今回の場合で言えば屋根の上で具現化しつつある鵺に、常世からの力がこれ以上供給されないよう止めることが目的である。その目的を果たすため、八早月が開閉動作を繰り返していくと、やがて老婆の腹から溢れ出ている悪気は減っていきほどなくして完全に止めることができた。
「真宵さん、扉を閉じました。
鵺が動き出すと思われますのでご注意ください!」
「須佐乃! 鵺が動き出すようだ、心してかかるのだぞ。
決して侮ってはいかん、鵺は百年に一度と言われる大妖なのだからな!」
二人の呼士から勇ましい返答が来た直後、上空で激しい争いの音が聞こえてきた。すでに力を使い果たした八早月を初崎宿が抱きかかえ、さらに老婆を結界の中へと運び寝かしておく。
宿が表へでると、上空では鵺が須佐乃と真宵に向かって牙をむいている。鵺が持つ虎の四肢には鋭い爪が有り、避けて近づくのは容易ではない。尾の先には大蛇の頭が生えており、猿の顔と共に威嚇を繰り返している。
「真宵殿、我が飛び込みますゆえ、奴が動きを止めたら攻撃を。
なに、こちらには鎧がありますから心配無用」
「承知した、神速の一太刀で首を落として見せましょう。
ではお頼み申す!」
須佐乃の背後に真宵が控え構えた直線の陣を取ると、須佐乃はその直剣を構えて鵺へと突進した。巨大な妖の両腕は当然須佐乃へと襲い掛かったが、片方を剣で受け止め、もう片方を手で掴んで動きを封じた。
しかし蛇の尾が須佐乃へ向かって襲い掛かった。その瞬間、一気に駆け寄り抜刀しながら逆袈裟を放った真宵が蛇の頭を落とすと、その返し刃で猿の頭をも一太刀で落とした。
だが八早月から力の供給が途切れていた真宵もまた、この一撃で精根尽き果て地上へと落下していった。ハラハラと光の粒のようになりながら消えていく鵺を見送りつつ、須佐乃は真宵を受け止め主である宿の元へ戻る。
「お二人ともご苦労様でした。
大ごとにならなくて本当に良かったですね。
櫻さんが来たら龍脈に沿って悪気の残滓を叩いてもらってください。
あとあのおばあさんは軽傷ですが怪我をしていますので救急車の手配をお願いしますね」
そう言うと八早月は完全に力尽き、宿に抱えられたままで眠りについた。その姿は完全に十二歳の少女の姿であり、妖相手に力を振るう巫にはとても見えない。
「さてと、目撃者は多くないだろうし、鵺の姿も見られてはいないかな。
念のため僕は役人へ連絡を入れておくが、あとは櫻さんが来てからだね。
須佐乃はここまででいい、今回は大変だったな、おつかれさん。
真宵殿も無理せず、筆頭は任せて下され」
「か、かたじ、けない、宿様、あとは、お願い、申し上げ、ます……」
主が気を失っていると言うのにまだ現世に留まれるとは大した忠誠心、いや絆と言うべきだろう。宿はそんなことを考えながら消えゆく真宵を見送っていた。
間もなく六田櫻が到着し、地鎮祭でも使われるほど効果のしっかりした弧浦の鎚によって龍脈の乱れを修正しに町中を回っていった。その途中で娘の楓と遭遇したらしく、楓にとっては母と弧浦の活躍を間近で体験できる良い機会になっただろう。
それにしてもあの見慣れない呪符と紋様は一体なんだろうか。詳しいことは担当部署が聞き取りを行うだろうが、できればきちんと情報を流してもらいたいもんだと宿はため息を付きながら引き上げていった。
余談ではあるが、神社仏閣は各都道府県や文科省の管轄なのだが、八岐神社のような妖討伐に関わっている古代神社は、内閣府宮内庁直下に設けられている専門部署と関連が深い。
しかしその関係性はあくまで協力関係であり、政府下部組織のように指揮命令系統を委ねているようなものではない。八岐神社に関してはむしろ政府を裏から突くことすらできる関係なのである。
今回の鵺のような大妖発生の場合も報告義務があるわけではなく、あくまでその後の騒ぎや噂の鎮圧が必要になる可能性があるため、そのことを気に留めておくよう指示する意味合いが強い。
そう言った事後連絡や繋ぎは本体八家筆頭の役目なのだが、八早月がまだ幼声で威厳にかけるため、こう言った仕事は全て宿に回ってくる。そんなことまで考えると、宿のため息はさらに深く、しかも回数を重ねてしまうのだった。




