55.六月二十六日 午後 呪詛
去っていく少年をぽかんとしながら見送った八早月は、再び前に向かって歩き出した。天駆ける剣客乙女、呼士の真宵はすでにはるか遠くに行ってしまっている。
やがて先行している真宵から連絡が入った。どうやら妖の姿を発見したようだ。
『八早月様、向かっている先にある住宅に妖の姿が見えました。
かなり大型で二階建ての家とほぼ変わらない大きさです。
それに――』
「それに? 真宵さん、どうかしましたか?
なにか問題がありそうでしょうか」
『影法師のように黒い影のような姿ではございません。
あれは虎? いえ猿? なんとも言えない面妖で異形で奇怪な!』
「虎のような猿のような? それはまさか鵺でしょうか。
なるほど…… どうやら周囲に災いと病を振りまくという大妖が現れているからこの状況なのですね」
『まもなく現地へ到着しますがいかがいたしましょう。
先に仕掛けてしまいますか?
それともご到着をお待ちした方がよろしいでしょうか』
「周辺に人はおりますか?
鵺のような大妖なら肉眼で視認できる可能性が有り騒ぎになるかも知れません。
とりあえずは私が到着するまで待っていてください」
急ぎ向っている八早月だが、鵺などという大妖が近年現れたと言う記録は無く、その強さは未知数である。もしかしたら真宵の力だけでは力不足となる可能性がある。時間は惜しいが一旦足を止めて分家一位の初崎宿へとメッセージを送っておいた。
幸いにも市街地から住宅街へ向かっていくと歩いている人はかなり少なくなる。この様子なら大騒ぎになることはないだろう。恐らくまだ呪術が完全に成立しておらず今まさに形作られようとしているのかもしれないが、術式が完成すればいつ動き出すかもわからない。
かと言って先に仕掛けたことが原因で、鵺が不完全な形で暴走する可能性も考えなければならない。出来れば呪術の原因となっているまじないの仕掛けへの対処を最優先としたいものだ。
「真宵さん、どこかにまじないを施すための呪符や呪詛具はありませんか?
釘打ちの可能性もありますが、ある程度の範囲に札が貼ってあるかもしれません」
『承知しました、探して見ます。
対象の大妖ですが、先ほどよりも色が濃くなりつつあるように感じます。
一度こちらに姿引致しましょうか?』
「ありがとうございます、しかしそれには及びません。
遅くなりましたがまもなくそちらへつきますからご心配なく。
到着したらすぐにまじないの元を探しますが、鵺が動き始めたら真宵さんは防衛をお願いしますね」
『かしこまりました。
む、八早月様、鵺の真下にある住宅ですが、周囲に札が張られております。
しかし異国の文字のようで私には読めず、内容も用途もわかりませぬ』
「梵字か、それとも西洋のものか、いずれにせよ面倒かもしれませんね。
直接呼び出していると言うよりは、やはり常世の扉を開いているのでしょう。
異国の呪術で鵺が召喚できるはずはありませんからね」
八早月が目的地となる鵺のそばまでやってくると、その辺りはすでに妖の放つ悪気に包まれ始めている。このままでは人体に影響が出るのも時間の問題か、と考えている側から倒れている住民を発見した。
すぐ近くにある公園のベンチに座っていたのだろうが、お年寄りが横たわっており、その近くには子供も倒れていた。これは思っていたよりも強大な力が働いている。まだ命にかかわることはないだろうが、早めに対処する必要があるだろう。
そう考えた八早月はさらに足取りを速め、ようやく呪術の行われている住宅へとたどり着いたのだが、驚きのあまり思わず目を見開いた。そこには、アルファベットのような西洋文字と円形の紋様が描かれた呪符のようなものが多数貼られていたのだった。




