37.五月二十六日 夕方 見知らぬ土地
まったく馴染みの無い海岸沿いの町には、いかにも箱モノ行政と言った造りの漁業資料館があった。これは戦後復興と共に発展してきたこの町の漁業について学ぶことができる施設らしい。
時代ごとの漁船の規模や形状の移り変わり、漁の方法などがまとめられており、確かにこれは勉強のために訪れるにふさわしいと言えそうだ。行きのバスの中では大人の事情で誘致された学校行事であり、好ましくない金が動いているのではないかと勘ぐっていた八早月は宛て先不明なまま心の中で謝罪していた。
その展示物の中でひときわ目を引くもの、と言っても八早月だけだとは思うが、海にまつわる妖や妖怪・怪異の浮世絵が何点か飾ってあって興味深い。これらは相当古いものに見えて実は複製品かもしれないが、誰でも聞いたことのある海坊主から始まり、海女や海影と言った人型のもの、平家蟹や大蛸のような海の生き物に近しいものなどさまざまである。
『八早月様、この辺りにもやはりいるのでしょうか。
山に出る妖とは大分形が異なるようではありますが、似ているとも感じます』
『それは当然いるでしょうね。
人が住んでいれば妖の餌には事欠かないもの』
八早月は声には出さず真宵と妖について話していた。きっとこう言うのを職業病と言うのだろう。
「八早月ちゃんってこう言う怖いのが好きなの?
そう言えば十久野郡の昔話にも妖怪の話があるもんね。
金井町には銭洗いとか髪斬りなんてのが伝わってるよ」
「小学校の時に先生が脅かしてきたやつだ。
遅くまで遊んでいるといつの間にか髪の毛を斬られちゃうって妖怪ね。
銭洗いはなんだっけ?」
「無駄遣いばっかしてると、夜な夜なお金数えに枕元へ現れるってやつだよ。
減ってる…… 減ってる…… って言うんだってさ」
「そんな親切な妖怪がいるなら節約になっていいわね。
八畑村だと影法師とか土砂の坊が有名かな。
でも一番怖がられているのは影憑きという妖なの。
これは誰かの恨みつらみが宙を漂って無関係な人に憑くものよ。
憑かれた人は自分の意思とは無関係に元の悪意に囚われてしまうの」
「さすが現役の巫女さんだ、詳しいんだね。
やっぱりお祓いとか手伝ったりするの?
巫女服ってかわいいよね、憧れちゃうわ」
「お祓い、そうね、たまにやるわよ。
直臣のお父さまも巫だからそういうお役目についているわね。
男性は巫女って言わないけれど役割は同じなのよ?
残念ながら八岐神社では夢路さんが想像しているような巫女服は着ないけどね」
「なんだ、あの服って全国共通じゃないんだね。
よくよく考えるとただの和服なのかも……」
「そうね、白の半着に朱色の袴が一般的に連想されるものよね。
でもうちの神社の袴は半人前のうちは上下白で、一人前になると濃紺を履くの。
神事の時には襷がけをして勇ましい感じね」
「なんか本当に武道みたいな雰囲気なのねぇ。
もしかして八早月ちゃんって強いの?」
「どうかしらね、体は小さい方だから体力ではなかなか勝てないでしょうね。
でも剣技はそれなりに修練を積んでいるわよ?
あくまで心技体を高めるためだから誰かと競ったりはしないけれど」
はっきり言ってこの言いぐさは大ウソである。確かに人間同士の戦いでは大人に敵わない。それでも剣技に関しては二つ上の直臣よりは上だし、三つ上の楓よりはるかに長けている。なんと言っても普段の練習相手が真宵なので上達も早いのだ。
こんな雑談をしながら資料館を一回りしていたが、それほど広くないのであっという間に見終わってしまった。他のクラスメートたちも手持無沙汰の様子ですっかり飽きてしまっている。
「こらこらみんな、少し弛みすぎだぞ。
この資料館に限らず見学で回ったところに関してはレポート提出があるからな。
きちんとメモを取るなりしておかないと後悔するぞー」
担任の松平吉宗が注意を促した。すると焦った生徒たちはいまさらながらメモを取りながら熱心に展示物を再度見て回っている。八早月は妖の浮世絵についてまとめるつもりで控えを取っていたので心配ない。
美晴は船について、夢路は漁の発展についてまとめるらしい。とは言ってもレポート用紙一枚以上なので大した手間ではないだろう。八早月の場合は提出物のまとめが冗長になりがちなので、逆にいかに短くまとめるかがポイントだ。
そんな時、行きのバスの中でも感じていた気配を再び察知した。しかも今度は真宵にもわかったようなので妖だけではない。おそらくはこの地域の巫や呼士に当たる何者かが妖討伐を行っているようだ。
こんな心が躍ることは久しくなかったため、管轄違いだと分かっていても見に行きたくて仕方のない八早月だった。




