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限界集落で暮らす女子中学生のお仕事はどうやらあやかし退治らしいのです  作者: 釈 余白(しやく)
第二章 皐月(五月)

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18.五月三日 夜 伝統

 次期当主の修練具合を確認するための神事である織贄(しょくにえ)の儀は三日目となった。本来であれば後継者同士が一対一の総当りで戦い、その結果ではなく現時点での修練度合いを測るもの。


 過去を遡れば五月一日から三日掛けて行ってきた儀であったが、八家筆頭当主が八早月(やよい)になったときに五日までに延長された。これは筆頭が小学生であったことにあわせ生活に影響が出にくいよう改定したものだ。


 この織贄の儀に限らないが元々全ての神事は旧暦に沿って行われていた。それを社会の変革にあわせ変更してきたので、今更歴史や伝統に縛られ忠実に実施することはなく、時代に合わせ柔軟に対処してきた。無論これもまた歴史である。


 それに現代は大昔と違って休日が存在することも大きい。八家や八岐神社の社家が神代から続く一族と言えど現代社会の一部であるから、社会通念上の常識に照らしあわせ適合していくのは当然なのだ。


 儀式の実施時間も、過去を遡れば一日(ついたち)の深夜から不眠不休で行われたところから始まり、近代には深夜零時から朝方までを三日間、それが今では八早月が起きていられないという理由で二十時から一、二仕合のみと変更され、その結果として日程が五日までに延長された。


 こう言った子供世代を中心として風習を強要する、八岐神社と八家が伝承してきた神事の残虐性と奇行が現代社会には到底そぐわず、許されるものでないことを大人はきちんと理解しているが、かといってこれを変更することは難しい。


 そのため社会的上位層へ圧力をかける手段を持つことは必須だ。親類縁者等の関係者を関係各所へと送り、社会的政治的影響力を継続的に保つことも欠かせない。場合によっては一般常識で測れず裁けないものへの対処に助力したり、物品金銭を供与したりと、いわゆる裏の仕事や癒着、賄賂(実弾)等の手段も使われる。


 俗的に言えば、世の中にある裏表や上下関係を理解し利用し合うことが伝統を守る秘訣の一つなのである。こう言った手段を用いずに、多くへ受け入れられる形で残されたものも多々あり、相撲や神楽のような神事であったものをスポーツや芸術へと昇華させた例や、神事祭事で使用する器具や道具等の製造や提供を特権階級が独占せずに一般から買い付けるなどがある。


 ただ後者に関しては、今や大量生産品や海外製造の輸入品までもが混じるようになってしまい、本当に魔を祓えるか、益が得られるか怪しいものも多数ある。工場で作られてる祈願シールやお守り等がいい例だろう。


 そんな近代にそぐわない生活を続けているのがここ八畑村の住人であり、ある意味洗脳されていると言えるかもしれない。しかし外部との交流や、婚姻で外から血が入ってきても守られ続けているほどその結束力や絆は固く、もうそれは拘束力や(しがらみ)どころか呪いと言ってもいいだろう。


 そんな呪いの一つである織贄の儀が、今まさにこの演舞場で行われるのだが、今年からは間に日を設け当主たちによる演舞が行われる。これは一年間鍛錬し修練度合いを披露する後継者たちに、現当主たちがその力を示し自分たちがなにを目指しているのか理解させるという名目で行うものだ。


 決して見ているだけでは暇だから、などと言う(よこしま)な気持ちで当主筆頭とその呼士(よびし)取り決めた(ゴリ押した)わけではない、と当人たちは言っていた。


「それでは始めましょうか。

 呼び出しはそうですね、無くても構いませんね。

 ではみなさん、東方(ひがしかた)へ並んでください」


 八早月が言葉をかけると、その言葉を待っていたようには見えない当主七名が返事と礼をしてから演舞場へと進み右手へと整列した。それを見た後継者候補である八岐贄(やまたにえ)の四名は驚いた様子で目を見開いている。


 それほど驚いた理由は、儀式機関の中日(なかび)に演舞をすること以外には何も聞かされていなかったからだが、それでも型や舞の手本披露か模擬戦くらいだろうと想定していたのだ。だが目の前で行われるであろう出来事は、明らかに一対七の仕合だと思われる。


 そしてその異常な緊迫感の中、子供たち(・・・・)の予想通り八早月は整列している当主たちの反対側である西方(にしかた)へと歩みを進めた。この立ち振る舞いを見たものは、目の前にいるのが自分より年下の中学生だとはとても信じられないと、後に口を揃えた。


 それは迫力や威厳、雰囲気があると言うものとは異なり、もし神が地上へ降臨したならばこう言う姿なのだろうと思わせる荘厳さがある。そしてそれは当たらずとも遠からず、実際に神事の際の八早月には八岐大蛇(やまたのおろち)が乗り移っているように感じることがある。


 その最たるものが八歳時の大蛇舞祭(おろちまいまつり)で行われた八岐贄の儀式が終わった後の事だ。体中を斬られ流れた血を母に洗い流してもらいながら、贄として用意された八匹の蛇の尾を切り落とすなんて怖くなかったかと聞かれた八早月は、平然とした笑顔でこう答えたと言う。


『おろちが小さなへびをおそれるわけありません。

 とらは猫を、たかはすずめをおそれはしないでしょ?』


 その場にいた当時の当主や神職たちは、自我を失ったかのように自然と地べたへ膝を付き、大桶の中にたたずむ童女(わらわめ)へ平伏していた。若い巫女の中には、まるで絶頂を迎えて果てたかのように崩れ落ち、気を失った者もいたらしい。


 他にも、気を抜くと年寄りは迎えが来たと勘違いするだとか、神事の際は身体に鱗が生えるとか、ヘビを従えていた、影に八本の尾が見えた、暗闇で目が光った、脱皮していた、カエルを丸呑みしていた、ツチノコを見つけたなんて噂もあった。


 そのほとんどが妄言なのだが、中には、ひと睨みしただけでヘビの首が落ちたとか、空を歩いていたとか、一人で鳥居と話していたなどと言う、真宵(まよい)が原因と思われるものも含まれているのは言うまでもない。


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