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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

stand by me

作者: 仲村 なか


※虐待、ネグレクト、性的暴行を想起させる描写があります。ご自身で判断して閲覧をお願いします。



「じゃあさ、一緒にいこうよ」


 僕の手を取った君の手が震えていたことに気がついていたけど、僕はそれに気づかないフリをした。

 気づかないフリしか、出来なかった。


 寂れた国道沿いにある、どうやって経営してるのか検討もつかないラブホテルの受付には、きっと食べることにしか興味がないようなスッピンの太ったおばさんが、ふてぶてしく椅子に座りながら昼間から発泡酒を片手に音質の悪いラジオを聞いていた。


 受付って言っても小汚いベンチと絶対に掃除されてないトイレがあるだけで、料金表は古びて所々見えなくなっている。

 汗ばんだ手を握りしめながら、乾いた喉を潤すように粘ついた唾液を飲み込んで口を開いた。


「宿泊で」


 僕がそう告げると、受付のおばさんはジロリと淀んだ黒目で睨みつけてきた。

 なにか言われるのかと身構えたけれど、おばさんは僕らからすぐに逸らして、なにも言わずに無愛想にカウンターに鍵を放り出した。

 こういう場所って多分料金は後払いなのかな。

 あんまりにもあっさりと手に入った鍵を、誰にも奪われないように強く握りしめた。


 僕らが未成年なことなんて一眼見ればわかるだろうけど、おばさんにとってはどうでもいいことらしい。

 既に僕らから興味を無くして、胡乱げに発泡酒を傾けるおばさんに会釈をする。握りしめた手を引きながら、階段の方へと向かった。


 おばさんに背を向けても僕の心臓は張り裂けそうなくらいに心拍数が上がっていて、手汗で滑って鍵と握った手を取りこぼさないようにすることで精一杯だった。


「バレなかったね」


 バクバクと鳴り響く心臓の隙間に、内緒話のように小さく掠れた声が、驚くほどすんなりと耳に届いた。

 悪戯っぽい声にどうしようもなく救われる。振り返れば、すこし青ざめた、それでも精一杯笑う君の顔があった。

 精一杯の虚勢を張って「余裕だったね」と笑い返した。


 ありったけのお金をかき集めて逃げてきたのは三日前の話だ。

 ありったけのお金っていうのはそれこそ家に隠してあるヘソクリとか小銭とかそんな些細なお金で、僕たちはまだ通帳とかカードとかを持てる年齢じゃなかったし、きっと親の通帳とかは探せば見つかるんだろうけど使い方なんて知らないから、とにかくありったけの現金を集めた。


 親が酔っ払って寝ている隙を狙ったから、集合したのは深夜とも言えない明け方の四時くらいの話だった。

 まだ生まれたばかりの清廉な空気で満ちた薄暗い道路を二人だけで歩くのはひどく気分が良かった。


 どこに行くかなんて決まってなかったし、お金に限りはあるからあんまり公共交通機関は使えない。

 それでも歩くよりはマシだろうとアパートの駐輪場に数年前から放置されていた自転車を盗んできたけれど、当然のようにパンクしているからどこかで修理しなきゃいけない。


「自転車の修理ってどこでできるんだろうね」


 カラカラと壊れた自転車を押して歩く僕の隣で君がそう呟いた。


「わかんない。自転車持ってないし」


 そもそも自転車を持つのも初めてだったから、乗れるかどうかもわからない。運動神経には自信がある方だから多分大丈夫だと思うんだけど。


「自転車いっぱいあるところなら直して貰えるんじゃない?」


 ふあ、と欠伸をしながら隣で君が言う。


「盗んだやつってバレないかな」

「バレたら逃げよう」

「そうだね」


 なんの計画性もない逃避行だった。

 警察には捕まりたくなかったけど親に見つかるよりはマシだから、どうせ捕まるならおっきい犯罪を犯してから捕まろうねって二人で約束してた。

 どうせなら死刑になるような犯罪がいいけど、少年法で守られている僕たちが死刑になるにはなにをすればいいのか、頭の悪い僕には検討もつかなかった。

 できれば人を悲しませない犯罪がいいけど、人を悲しませない犯罪は果たして罪なのか、僕にはよくわからなかった。


 自転車を不安定に片手で支えながら、となりを歩く君の手を握りしめた。

 まだ明けない空は、薄紫と藍色と遠くに滲む薄く伸ばした蜂蜜みたいな色がてんでばらばらに入り混じっていて、握りしめた手がひどく冷たくて、でも僕の手も同じくらい冷たいからあまり気にならなかった。


 視線をとなりに向ける。となりを歩く君の、空気に透ける栗色の髪の毛がきれいだと思った。

 君はすぐに僕の手を握り返して微笑んでくれた。

 それが嬉しくて胸がじんわりと暖かくなる。


 君が笑ってくれるだけで幸せになれるんだけど、その幸せに縋り付くには生きることが難しすぎて、君の笑顔を巻き添えにいまからこの世界を見捨てようとしている。


 君のその笑顔が僕が居なくなったあと、だれか別のひとに向けられることを思うと僕は苦しくて、それでも幸せだと思えるんだけど、君は僕と一緒にいこうとしてくれている。


 それが嬉しくて、手放し難くて、君は来なくてもいいんだよって、その一言がどうしても言えないでいる。

 弱くてごめん。

 君の手を握り締めないと立っていられないような人間でごめん。

 頭の中で何度もごめんを繰り返しているけど、君は僕が謝ると怒るから、未だに君に謝ることさえできずにいた。


 軋む階段を登ると、窓から刺す光にチラチラとホコリが瞬いていた。

 趣味の悪い黄ばんだ花柄の壁紙は所々剥がれている。

 やけに粘着くフローリングを歩いていきながら、鍵に彫られた部屋番号を探していく。といってもワンフロアに部屋は片手に収まるほどしかなくて、階段上がって扉の二つ目に目当ての番号を見つける。

 鍵を差し込むけど、やけに気持ちが焦ってガチャガチャと音が響くばかりでうまく鍵が開かない。後ろにいる君は何にも言わずに待っていてくれていた。

 僕にはそれだけが救いだった。


 生きていて、楽しいとか、嬉しいとか、幸せだとか、そういう感情が本当にあるということを僕は君に出会うまで知らなかった。

 人生は生きていたくないか消えてしまいたいかの二択で、多分人間はみんなそんな感情を抱えて生きているんだろうから自分も我慢しなきゃいけないと、ベランダから遠くに見える公園で両親と楽しそうに遊んでいる同年代の子供を、どこか別世界のように眺めながら思っていた。


 親から貰ったのは名前と暴力とあとはなけなしの食べ物だった。

 あの人は、僕の父親は、多分頭のおかしい人で、僕が自分と同じ人間だと理解することができなかったのだと思う。


 たまに仕事に行っているみたいだったけど、なんの仕事をしていたのかはよく知らない。

 食べ物は父親が残したものとか戸棚に仕舞って忘れたままの缶詰とかお菓子を食いつないで生きていた。

 僕のことを引き取りはしないけど僕を学校に行かせようとする親戚の人間もいて、多分その親戚のお陰で僕は学校に行けていた。

 小学校に上がってからはどうにか給食で食い繋いでいた。あとは万引きとか、ゴミ箱を漁ったりしていて、僕の周りの子供もみんなそんな感じだったから特段自分が不幸だとは思っていなかった。


 君に出会ったのは中学校に上がってからだった。

 中学校に上がる頃にはあまり学校に行かなくなっていた。どちらかと言えばお金が必要だったし、中学生の僕には色んな需要があったし、学校に行くのは学校に行っていないことが父親にばれて殴られた次の日くらいのものだった。


 君が僕に声をかけたのはどうしてだったのだろう。


 今日まで僕はそれを聞けずにいた。

 でも、僕に声をかけてきた君の長い栗色の髪の毛がとても綺麗で、話の内容なんかは覚えていないけれど、髪の毛と一緒で色素の薄い琥珀色の虹彩が、どうしようもないくらいキラキラしていて、僕は生きていて初めて本当に綺麗なものに出会ったのだと、本当にそう思ったんだよ。



 ようやっと鍵を開けて部屋に入ると、ずっと換気をしていなかったのか、ホコリとカビが入り混じったひどい空気が部屋の中を満たしていた。

 ダブルベッドが部屋の7割を占めていて、水道が通っているのかも怪しいシャワールームが扉のすぐ隣にあった。扉の正面の壁の窓には日焼けしたブラインドが閉められている。


 僕たちはあまりのオンボロさに笑い合って、それから誰も入ってこれないようにすぐに鍵を閉めた。

 換気扇を回して、カビ臭いシーツの上に手を繋いだまま座り込んだ。

 ギシリと年季の入った音がするけど、こんなひどいベッドでも普段寝ているカーペットの上なんかよりもずっとマシで笑ってしまう。隣で同じことを考えていたのか、君が「フカフカじゃん」って笑っていた。


 こんな小汚いラブホテルで、肺炎になりそうなほど空気は澱んでいて、一泊したら多分手持ちのお金はほとんどなくなるのに、隣で君が笑っているだけで、どうしようもなく幸せに感じられた。


 窓を開けてシーツの埃を払って、日当たりは悪いけど昼間ののんびりした空気が部屋の中に入って来た。カビ臭いシーツの上にどちらともなく寝転ぶ。


 三日間ほとんど寝ずに、途中で修理した自転車に二人乗りしながらここまで来たから本当に疲れていた。

 本当は今すぐお風呂に入りたかったけど、水が出るのかも怪しいし、いまはとにかく眠りたかった。


 瞼を落として呼吸をしていると、隣で深い寝息が聞こえてきた。

 すー、すー、と規則正しい寝息。

 眠る君の手を握りしめて、シミの滲んだ天井を眺めていると、いつのまにか頬が生暖かく濡れていることに気がついた。


 隣で君が眠っていることが嬉しかった。

 この部屋に二人きりで入れることが嬉しかった。

 本当はやりたくない仕事をやらなくてよくて、父親に怯え無くてよくて、もう、ぜんぶ諦めることをゆるされていて。

 しばらく、呑気にねむる君の横顔を、ただ静かに頬を濡らしながら見つめていた。




 いつのまにか眠ってしまっていたようだ。夢も見ないほど泥のように眠っていたから、目が覚めるととっくに日は落ちていた。

 薄暗い部屋の中で君が僕に手を握ったまま、僕のことを見つめていた。


「おはよう」


 まだ眠気の残る掠れた声だった。寝起きの掠れた声で「おはよう」と返す。

 しばらくベッドの上で微睡んで、それからシャワーのお湯が出ることを確認して、それぞれシャワーを浴びた。

 久しぶりに清潔になったからまたあの汚い洋服に袖を通すのが嫌で、シャワールームに置いてあったバスローブを来て出て行くと「映画みたい」と君が笑った。


 バスローブのままベッドに寝転び、シャワールームから聞こえる水の弾く音を瞼を閉じて聞いていた。

 雨音のようだと思ったけれど、雨は嫌いだからかき消すように歌を歌った。

 知っている歌は少ない。街角で流れているやけに頭に残るラブソングみたいなのしか知らなくて、しばらくしてバカらしくなってやめた。


「もう歌わないの?」


 ちょうどシャワーを浴び終えた君がバスローブ姿で出てきた。

「歌わない」返すと「じゃあ歌おっかな」と言って君はベッドの上に立って歌い出した。


 綺麗な歌声だった。

 知らない英語の歌だったけれど、明るくて、すこし寂しくて、僕もベッドの上に立ち上がって歌う君の手を取った。


 楽しそうに歌う君の歌に合わせて適当に踊り始めた。

 歌声の中から、すてんばいみー、と歌詞が少しだけ聞き取れる。義務教育もまともに受けていない僕には言葉の意味はわからなかったけれど、この歌は好きだなと思った。


 曲が終わると僕たちはまた手を繋いだままベッドに寝転がった。バスローブははだけてお互いほとんど裸同然だった。

 ずっと裸を人に見せるのが苦痛だった。でも、君のまえだけでは平気だった。


 僕は自分の膨らみ始めた乳房が、隠部を覆うように生えてきた柔らかな毛が、丸みを帯び始めた肩が、どうしても厚くならないお腹が、ひょろひょろと細い自分の手足が嫌いだった。


 君もきっと君の体が、陰茎を覆うように生えた硬い毛が、広がり始めた肩幅が、厚みを帯び始めた自分の手足が、君の綺麗な声を阻む喉仏が、全部全部嫌いだろうから、僕はなにも気にならなかった。


 僕が君を羨ましいように、君は僕が羨ましいのだろう。


 君のその手足が、肩幅が、喉仏がどうしようもなく欲しいけれど、君は僕の手足が、乳房が、喉仏のない細い喉が、どうしようもなく欲しいのだろうね。


 僕たちはどこで間違えられたのだろう。

 君は素敵な歌声を持っていて、綺麗な栗色の髪と素敵な琥珀色の瞳を持っているのに、性別が違うだけでこんなに生きづらいんだ。

 僕は君のように綺麗な髪も目も歌声も持っていないけれど、君がいたから生きていくことができていたのに。


 でも、もうダメなんだ。

 お腹の中には僕の父親の子供がいて、このまま産んでも産まなくてもきっとダメになってしまうだろうから、僕は今から君を道連れにしてこの世界から消えようとしている。


 一緒にいこうと言われたときは、本当に嬉しかった。


 本当はお別れの挨拶をするつもりだったから。でも心のどこかで君がそう言うだろうとわかっていて、だからそれをちゃんと断らなくちゃって思っていた。


 でもダメだった。


 君の言葉を聞いた瞬間泣いてしまって、僕を抱きしめる君に縋り付いてしまった。


 弱くてごめんね。

 一人で最後まで生きられなくてごめんね。

 お腹の子を産んであげられるような強い人間じゃなくて、ごめんね。


 僕たちはそれからまた少し眠って、小汚い洋服を身に纏ってまた夜が明ける前に部屋を出た。

 受付に人はいなくて、でもどうせもうお金はいらないからありったけのお金を受付に置いてラブホテルを出た。


 夜明け前の空気をひとりじめしながらまた手を繋いで歩き始めた。自転車は置いて行こうってラブホテルの中で決めていた。


 海までもう少しのはずだし、どうせならゆっくり行こうねって。


 薄紫の空の向こうに蜂蜜色の夜明けが頭を覗かせている。

 隣で君がまた歌い始めた。

 だーりんだーりん、適当に合わせて一緒に声を上げて歌った。

 夜明けはもうすぐだ。



 


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