冒険者ギルドの幹部になるには三年間の冒険者実習が必要です。
鬱蒼とした森の中で、俺は草を集めていた。
勿論、ただの草ではない。
ポプラス草。すり潰して傷口に塗れば止血効果が望め、煎じて飲めば鎮痛効果やリラックス効果が望める、所謂、薬草と呼ばれる草だ。
なぜ薬草を集めているかといえば、依頼だからだ。俺は駆け出し冒険者として、初歩中の初歩とも呼べる薬草採取の依頼を受けているのだ。
平民出身ながら、その類稀なる才能で王立大学院を首席で卒業し、エリートコース真っしぐらであったはずの俺が、なぜこんなことになってしまったのか。
それは一週間前のことだった。
「冒険者実習て、本気ですか?」
俺の問いかけに、困ったように頷いて答えたのは一人の若い男だった。仕立ての良いスーツと、右目には特注のモノクル。そして、この男の私室でもあるこの部屋は大陸南部最大の商業都市マティアを一望できる超高級宿のスイートルーム。
男の名前は、マグマ・マリーズロウ。冒険者ギルド始まりの地とも言われる、マティア支部の支部長だ。去年まで本部役員としてギルド本部にいたが、昨年マティア支部に栄転してきたのだ。ここであと何年かキャリアを積めばまた本部に戻って、冒険者ギルドのトップであるギルド長の一人となることが確定している、正真正銘の超エリートだ。
「残念ながらね。僕の推薦ということもあってか、どうにも叩き上げ連中がうるさいらしいんだ。」
その言葉に俺は頭を抱えた。
マグマ・マリーズロウという男はあまりに若いのだ。エリートと言ったことからわかるように、ありえない速度で冒険者ギルドの出世街道を駆け抜けている。年齢は今年で二十八歳。ここ、マティアに何年いるかはわからないが、それでも歴代最年少ギルド長となることは間違いないだろう。それは輝かしい功績であると同時に、大きな問題でもあるのだ。
今や、大陸最大の組合とも言われている冒険者ギルドには、当たり前だが様々な派閥がある。その中でも、近年対立が激しいのが、元々冒険者として活動をしていた所謂『叩き上げ』と呼ばれる派閥と、俺やマグマさんのように大学院卒業の『キャリア』と呼ばれる派閥だ。そして、キャリア筆頭であるマグマさんは勿論のこと、そのマグマさんによって急遽作られた『幹部候補生制度』という制度で支部長補佐の座にいる俺も叩き上げ派閥から猛烈に嫌われている。
「だから言ったんですよ。幹部候補生なんて、反発が目に見えてたじゃないですか」
「しょうがないじゃないか。君が王立大学を首席で卒業できたら相応しい席を用意して迎え入れると約束してしまったんだから」
「だったら、前もって準備してください。あなたのゴリ押しのせいで俺への陰口がすっごいんですよ」
「ははっ、僕もこれほど早く栄転が決まると思わなくてね。そのせいで君の受け入れ準備ができなかったんだ。」
「にしてもですよ。それなら、準備ができてから昇進させればよかったじゃないですか」
「それについても言っただろ?約束を違えるのは嫌いなんだ」
キリっとモノクルを光らせてそう言い放つマグマさんにため息を吐きたくなるが、我慢する。それより問題は、その実習とやらだ。
「それで、その冒険者実習はどうにかできないんですか?」
俺の言葉に、マグマさんは苦笑いで応えた。
「できなかったんですね」
「まあ、彼らの言っていることは間違ってはいないからね」
確かに、叩き上げ派閥の考えは保守的と言われるが、言い方を変えれば堅実だ。冒険者を支援するものとして、冒険者としての経験があって損はない。それについては俺だってわかっている。
「まあ、正しいからってそんなめんどくさい事やりたくはないよね」
真面目な俺はとてもそんなこと口には出せないが、全くもって同感である。だが、マグマさんが覆せなかった以上、受けるしかないのだろう。覚悟を決めた俺は、取り敢えず一番気になることを尋ねた。
「で、実習ってどれくらいなんですか?」
「ああ、実習期間ね。今年の5月からまる三年だよ」
「……ま、まじすか」
俺は思わず膝から崩れ落ちた。
「はい、ポプラス草一キロ。確かに受け取りました。状態もいいですし、きっと依頼主さんも喜んでくれると思います!お疲れ様でした!」
そう言ってニコッと笑うのは冒険者ギルドマティア支部の更に支店であるミティア支部の受付嬢だ。大陸南部にある商業都市マティア。そこを中心として、南は南海と付近にあるミクロネシアと呼ばれる小さな島々まで、東と北はマティール大森林と呼ばれる巨大な森まで、西はカッティオ山脈と呼ばれる山脈までをマティーア地方と呼ぶ。俺が冒険者としての活動を始めた都市、ミティアはマティアにほど近い都市であり、周囲の森は深すぎず浅すぎずで、生息する魔獣も数は多いがそこまで強くないというかなりの好条件の都市だ。
「ポプラス草ですが、残りはいかがいたしますか?」
そう言われ、俺は採取籠のそこに残ったポプラス草に目をやった。依頼は一キロだったが、足りないよりはいいだろと少し多めにとってきたのだ。そのまま換金してもいいが、大した金にはならないだろう。
だが、幸いなことに、俺はアカデミーで錬金術基礎の授業を受けている。端金に変えるよりよほど有効活用できるはずだ。
「持ち帰ります。」
「かしこまりました。それでは、成功報酬は後日振り込まれますので、確認お願いしますね」
俺は受付嬢に礼を言ってギルドを後にする。取り敢えず、初日は何も考えずに冒険者として登録して依頼を受けた。だが、薬草採取なんてものをチンタラやってる暇はない。
俺は、先日の会話の続きを思い出していた。
『冒険者実習の期間は3年だよ。あっと、怒んないでね。僕だって文句は言ったさ。でも、君の若さも問題視されてね。若すぎるってのは、君が思っている以上に枷だよ。』
『飛び級なんてしなければよかったです』
『ははっ、僕もそう思うよ。あ、その間も、支部での仕事はしてもらうからね。勿論、今までよりは仕事の数を減らすけど、幹部候補生なんだから。そして、冒険者としてもしっかり活動して、月に一度活動報告を提出しなければならないことになってる。』
『報告書ですか。にしても、わざわざ俺ひとりのために色々考えたんですね』
『それが、この冒険者実習ね、かなり大規模に実施されるらしいよ。月末の報告書を見て、優秀な人は期間を短縮もしてくれるらしい。』
『ついでにってやつですか。それで、期間の短縮についてはどれくらい期待できるんですか?』
『さあ、叩き上げ派閥が仕切ってるからね。あんまり期待しない方がいいよ。ああっと、重要なことを忘れてた。これは僕が取り付けた特別ルールなんだけどね。三年を待たず、叩き上げ連中に媚び売ることなく、冒険者実習を終わらせる方法を用意した。』
『さすがですね。どんな抜け道を用意してくれたんですか?』
俺は借りた宿に着くと同時に、着替えてベッドに寝転がる。そしてポケットから一枚のカードを取り出す。手のひらサイズの、金属製のカード。これが冒険者の証。
そこには、『ミカド』という俺の名前。そして、『E』という冒険者ランクが書かれている。
『君が三年を待たずに実習を終わらせられる方法。それはね、冒険者の最高ランクであるAランクになることだよ』
俺はベッドの上で思わず笑みをこぼす。
「さて、まずは仲間集めからだな」