目元さらい
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、こんなところに落ちていたか、いやよかったよかった。こーらくんが拾ってくれるとはありがたい。
――お前って、前からメガネをしていたっけ?
いんや、こいつは伊達メガネだな。今でも視力は1.5を保っている。半年くらい前からこのメガネをかけているよ。
ん? 別におしゃれに目覚めたとかじゃないぞ。安全のためかな。
こーらくんも、聞いたことあるんじゃないか? 「目元さらい」の話を。
ありゃ、知らない? 博識なこーらくんなら、すでにご存じかと思っていたよ。
あ、いや皮肉とかじゃないよ。純粋な意味でね、うん。
ふーむ、時間もあるし、少し聞いてみるかい? ほとんどお父さんが話してくれたことの受け売りなんだけどね。
目元さらいは、その名の通り目元、ひいては視力を奪っていく妖怪といわれている。
君は、昼間でほとんど眠気がないにも関わらず、ふっと意識がわずかな間、途切れるような経験をしたことはないか?
てんかん、とまではいかない。目をつむったつもりはなくとも、ほんのわずかだけ視界が暗くなってしまう。そんな経験が。その多くは目元さらいの仕業だと、お父さんが話してくれた。
目元さらいがなぜ視力を狙うかは、はっきりとした結論は出ていない。
理系なお父さんの考えでは、目の機能を担う器官や、そこに集う栄養やホルモンなどを好物とし、それを少しずつ奪っていくのではとのこと。
いっぺんに奪わない理由? 人間が竿いっぽんを持ち出しても、大海にいる魚すべてを釣りつくせるはずがないのと、同じ理由だとさ。あくまでお父さんの判断だけど。
誰かと競うわけでもないなら、自分が口にのりする程度さえ確保できればそれでいい。そこらへんは、社会に囚われない奴ほどわきまえているだろう、と。
でも何事にも例外はつきもの。たまには大食らいが現れることもあるんだってさ。
その日、お父さんはいやに目ヤニが溜まるのを感じていた。
起きてすぐにしっかり顔を洗い、目ヤニを落としたはずだ。それが何分も経たない食卓の上で姿を見せてしまう。
ぽろぽろとちゃぶ台の上に落ちる目ヤニを、おばあちゃんは最初フケだと思ったらしい。ちゃんと頭を洗えとお父さんに言いつける。
お父さんもこの時は異状に気づけない。生返事をしつつ、食事を終わらせて立つも、急に目の前がほんのわずか暗くなったんだ。
まぶたを閉じた意識はない。けれど、それがちょうど居間を出る寸前だったのがまずかった。
家の用事などを書きつける白板。見えない視界に方向を誤ったお父さんは、側面からそれに激突してしまう。
入り口から一メートル近くずれた壁にかかったものだ。当然、お父さんの動きは背後から見れば、おおいにふらついたようにしか思えない。どん、と音が立って視界が戻った時には、お父さんはおばあちゃんに肩を支えられていたらしいよ。
そのとき、先ほど目をぬぐって取り除いたばかりの目ヤニが溜まり、また床の上に落ちたんだって。
お父さんはそこで初めて、目元さらいの話をおばあちゃんから聞いた。
目ヤニが溜まるのは、目元さらいが白羽の矢を立てんとしている証。ここから奴が愛想をつかすまでの間は、狙われ続ける恐れがあるといわれた。
当然、お父さんは対策を聞く。家の中だからよかったものの、これが運動や、繊細を要する作業の途中なら、惨事を招きかねない。
そうして、おばあちゃんが用意してくれたのは、家の奥に眠っていた伊達メガネを出してくれたんだ。
「これを掛けておきなさい。本当に目元さらいの仕業であればそうしている間は、目ヤニが出るのをおさえられるはず。
あいつらは目を好み過ぎて、それ以外のことには盲目さ。正面から触れようとして、メガネがあるのに気づかず、ぶつかっては弾かれる。メガネが曇ることさえあっても、目に至ることはできないんだ」
正面からしか来ないとは、なんとも潔い怪異だな、とお父さんは思った。
「でも、寝ても覚めてもメガネをつけっぱなしは、いただけないよ。
誰だって腹をすかせたら、少しずつ神経が参ってくるものさ。あまりにお預けを食わせず、ちょっとは手を抜いてあげた方がいい」
話を聞いてお父さんは、基本的に椅子に座って動く必要がない時などは、メガネを外していたらしい。突然のメガネをからかうメンツもいたが、それは一過性のもの。
ほとんどをメガネをかけて過ごしつつ、ときおりは外して目ヤニが溜まらないか確かめつつ過ごしたお父さん。
その期間はおよそ2カ月に及んだらしい。またメガネを外して過ごすお父さんをいぶかしく見る目があったけれど、さしたる問題はなし。
ただ一度だけ、肝を冷やしたことがあったみたいなのさ。
その日の体育は、水泳の授業。たいてい疲れは次の授業とかで現れそうなものだけど、お父さんの疲れは、家へ着いてから出た。
カバンを置くや、押し寄せる眠気の波。のけぞりながら、背中を床にしたたか打ち付けたのが、お父さんが寝る前にできた、最後の知覚だったらしい。
そこから先は夢さえ覚えていない、熟睡具合だった。
ぱっとまぶたを開くと、目の前が真っ白になっているのを、お父さんは知る。
それだけじゃない。メガネそのものが、コツコツと音を立ててながら揺れていたんだ。
レンズの曇り、そして振動。
すぐにまずい事態になっていると分かったお父さんは、メガネを取ろうとフレームに手を掛ける。
が、それを止めた。メガネの両レンズに、曇りの上からでもはっきり分かるほど、大きなひびが入ったからだ。かかる圧力は明らかに跳ねあがっていた。
――もう、どかせない。どかしたら、かえって危ない。
察したお父さんが目をつむり直すのと、メガネのレンズが粉々に砕けるのは、ほぼ同時のことだったとか。
砕けたレンズは、いずれもお父さんのまぶたを軽くなでるだけで済んだ。けれども閉じるのがあと少し遅ければ、どのような角度で眼球に触れていたか分からない。
しかもその後で、しばらく視界はぼやけたままだったらしくてね。よほどごっそり持っていったんだろうって、お父さんは話していたよ。