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ふたりのねがいごと

「……よ……!」

「き……か!」


 誰かの声がする。

 優しい誰かの声。

 私を呼んでいる声。


 濁った水の中でも鮮明に聞こえる、私を求める声。


 ――×××。


 でもそれに混じってなにかが聞こえたような気もする。

 大好きな、大好きな人の声。弱虫な私をずっと支えてくれた人の声。


「清香!」


 ハッと、呼びかけに反応して目を開く。

 目の前に浮かんでいる光景は、白い……いや、優しいクリーム色の天井と、両親の涙に濡れた顔。お母さんはともかく、お父さんはいかつい顔をしていて、泣き顔なんて見たこともなかったのに、みっともなくてぐしゃぐしゃの……そんな見たこともなかった顔がそこにあった。


「お母さん、お父さん……?」

「清香!」

「ぎよがぁぁぁ!!」


 二人に抱きしめられてやっと自覚する。

 生きてる……! 私、生きてる! 


「あの、メジロちゃん……は?」


 喜びもひとしおに恐る恐る二人に聞くと、共に浮かない顔、やるせない顔になる。つまりは、そういうことなのだと察して顔を覆う。


 確かに私は生きている。でも、その予想だけは、外れて欲しかった。


 ◇


 私達はどうやら、あの廃別荘で寝ている間に土砂崩れに巻き込まれてしまったらしい。メジロちゃんと共に廃別荘から脱出しようと決めたあのときからすでに、私達は生死の境を彷徨っていたことになる。


 そして、メジロちゃんは私が目覚める少し前に息を引き取ったらしい。

 お見舞いに来ていたお姉さんが、憔悴した様子で教えてくれた。


 あなただけでも助かって嬉しいと、目の下に真っ黒なクマのついたお姉さんにそう言われて私はやるせない気持ちになる。


 自分だけが助かった。

 自分だけが。


 私の臆病な心が、そうさせたのだ。


 だって気づいてしまった。

 メジロちゃんは、まだ選べたはずなのだ。


 私を騙して殺してしまえば、メジロちゃんのほうがきっと生き残っていた。

 私が目を覚ます少し前に彼女が息を引き取ったということは、そのときまでメジロちゃんは生きていた。


 あのとき、私達が泉に飛び込むまで、きっとメジロちゃんはまだ生きていた。

 最後に聞いた声、『ごめんなさい、姉さん』というのは、きっと私が生き残ることを選んだから、そう謝ったに違いないと。


 メジロちゃんのお姉さんに渡された紙切れを手のひらの上でいじる。

 メジロちゃんが息を引き取った際に、いつのまにか握られていたらしい。監視カメラも、看護師さんも、そしてずっと彼女を見ていたはずのお姉さんも知らないうちに握られていた一枚の紙切れ。


 起きた形跡もないのに、突然現れたとしか思えない紙切れ。

 それを、きっとあなた宛だからとお姉さんは私に渡してくれた。


 びゅうびゅうと吹く風の中、私は病衣のまま屋上のベンチに座り込む。

 そして、紙が飛ばされてしまわないように、慎重に折り畳まれたそれを開く。


 目の前に飛び込んできたのは、所々紙の端が乾いた血で茶色くなった状態のメッセージ。


 ――――

 いきてほしい

 ――――


 ただ一言だけのメッセージ。


 あとからあとから、決壊してしまったかのように涙が溢れて止まらなくなる。

 メジロちゃんは、もういない。私が生きたいと言ったから、私が、生きたいと願ってしまったから! 


 わたしが、ころした。


 メジロちゃんは、私が殺したんだ……! 


 悲しくて悲しくて苦しくて、自分のせいで人が、親友が死んだという事実を認められなくて、あのときあんなに死にたくないと願っていたのにもうどうでもよくて。


 風の吹く中、立ち上がってふらふらと屋上の端に吸い寄せられるように向かった。


 ヘリに立つ。


 そして、なんの躊躇いもなく足を宙に投げ出して――。


 ……気がついたら、病院のベッドだった。


 両親が目の前で泣いている。

 土砂崩れでお前だけが生き残ったと、すでに知っていることを言う。

 混乱のさなか、メジロちゃんが死んだという報告が入って、なにかがおかしいと焦りを覚えた。


 同じだ。


 まったく同じだ。

 私が生き残ったときの状況と、まったく同じなのだ。

 おかしい。絶対におかしい。


 だんだんと正気を削り取られていくような感覚とともに、腕にペンを突き刺して自殺しようとする。電源コードを抜いて濡れた手で指を突っ込む。窓から身を投げる。頭を壁に打ち付ける。病院から逃げ出して何日も食事を取らずに餓死を試みる。先の丸いスプーンやフォークでどこまでいけるかと首を何度も突いて死のうと試みる。箸で目玉から脳をえぐり出そうと死のうとする。


 死のうとする。

 死のうとする。

 死のうとする。

 死のうとする。

 死のうとする。


 どうして死なない? 

 どうしてメジロちゃんと同じところにいけない? 


 せっかく助かった命なのにとか、そんな綺麗事は知らない。

 それよりも、どうして私は死なないの? どうして? どうして? どうして? 


 何百回目かの目覚めから二日目の日。

 いつもは両親かメジロちゃんのお姉さんくらいしか来ない病室にはじめての見舞客がやってきた。


 その人は全身真っ黒なスーツを着ていて、背中まである長い黒髪を三つ編みにした男性だった。やけに綺麗な人で、髪の長さもあってか声を聞くまで女性モデルかなにかかと思ったくらい。それくらい、美しい人だった。


「随分と疲れていらっしゃいますが、お体のほうはいかがですか?」

「死にたくなるほど、健康ですね」

「そうですか、それはよかった。願いを叶えた甲斐があるというものです」


 その言葉を、一瞬理解できなかった。


「え?」

「覚えておりませんか? メジロさんのほうは、夢の中で私のこともなにもかも覚えていたようですが……あなたは随分と心が弱いご様子。忘れてしまったのでしょう。無理はない」

「そ、そ、それってどういうことですか!?」


 黒い三つ編みの男性はにこやかに笑って答える。


「お二人とも、死にかけでした。そんなときに私が偶然お見かけして、ひとつだけ願いを叶えて差し上げることになったのです。ですが、お二人とも同じ願い事で……叶えられる願いはひとつだけだったので、お二人で選んでもらったんですよ。その結果が……」


 美しい流し目が私に向けられる。


「つまり、私の『生き残りたい』と思った願いが叶えられたということでしょうか?」

「いいえ、願いを叶えたのはメジロさんのほうですよ」

「え……?」


 わけが分からなかった。だって、生きているのは私のほうで。


「おや、それも覚えていらっしゃらない? お二人とも、同じ願い事でしたから印象的でしたよ。まさか」


 彼の顔がいやらしい笑みを浮かべ、告げる。


「お互いに『自分はいいから友達を生かしてほしい』と願うケースなんてほとんどありませんからねぇ。いやしかし、この結果を見ると、どうやら……あなたの『メジロちゃんを生かして』という願いは口先だけの綺麗事だったようですが」


 愉悦に浮かぶ彼の顔とは反対に、私は自分の体からさあっと血の気が失せていくようだった。


「残った相手がどう思うかも考えずに自己満足で死ぬ愚か者に、口先だけ綺麗事を言って実際には自分のことしか考えていなかった臆病者……ふふ、互いに自分のことしか考えていないのに一見自己犠牲のお涙頂戴な物語に見えるのがなんとも言えない風情がありますねぇ」


 ちがう。

 ちがう。

 違う! 


「違う! 私のことはどうでもいい。でも、メジロちゃんのことをそんな風に言わないでください!」

「ほうら、綺麗事。よかったですねぇ、死人に口無し。いくらでも綺麗なことが言えますよ? 願いの通り、君のことは『生かす』ことにしたので感謝してくださいね」


 生かす? 


「まさか、私が……死ねない……のは」

「だって『いつまで』生かすのかは願い事の条件に入っていませんでしたからね。終わった物語にいちいち興味を向けるのも億劫なので、とりあえず『ずっと生かす』ことにしてみました。おかげんはいかがですか?」


 目の前が真っ暗になっていく。

 だって、この人が言うことが本当なら、私はこのままずうっと……死ぬこともなく生きていかなくてはならないということ。


「あなた……なんなんですか……」


 怯えた声で訊ねると、男はにいっといやらしく貼り付けたような笑みで答える。


「神様ですよ」

「かみ……さま」

「神様が矮小な人間に合わせて、いちいち融通が利くようにするわけないじゃないですか。君は気まぐれでアリの願い事を叶える際に、ずっと付きっきりでいてあげますか? ……しないでしょう? そういうことです」


 男はそれだけ言うと、病室から出て行く。

 ハッとして追いかけてみたけれど、扉を開けるともうそこには誰もいなかった。


 これから一生。

 いやもしかしたら寿命さえもどこかへ消えていってしまったのかもしれない。

 死ねば、あのときに戻ってくる。数時間後か、数日後にはメジロちゃんが死んだと告げられる、私が生き残ったあの日に。永遠に戻ってきてしまう。


 お婆ちゃんになって本来の死ぬときが来ても、きっと戻ってしまうのだろう。

 その事実に気がついてしまった私は――。


 自らの心を壊して、なにも、なにも、考えないようにすることにした。

これにて完結。


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